お騒がせ三女
私には姉が二人いる。
三人ともそれぞれ何かしらで親に心配をかけるお騒がせ姉妹だ。
その中でも一番お騒がせなのが末っ子。そう、私だ。
大学受験で東京に行きたいと泣いて懇願し(結局不合格で福岡残留)、大学生らしく夜遅くまで遊びまわり怒られ、社会人になったかと思えば遠い東京の地ですぐに転職をし、今も親に内緒で転職活動をしている。
小さい頃のお騒がせエピソードもある。
家の中を走り回って柱に激突したからか、机の上のコーヒーカップを頭に命中させたか、どっちだったか覚えてないが、頭を切って縫うはめになるなどもした。どっちかを覚えてないのは、片方は姉が頭を縫ったエピソードだからだ。みんなお騒がせすぎてて混乱。そして縫った箇所はいまもハゲている。
怪我をした繋がりだと、小学生のときに馬跳びをして遊んでいたら指にヒビが入ったこともあった。あとソファに思い切り足をぶつけて指を折ったとか。
いろんなお騒がせがあるが、一番親が不安になったのは私が幼稚園児だったころじゃないかと思う。
まだ福岡に住む前の話だ。
小さい子供は周りのことをよく見ている。よそ見をしてぶつかったりこそはすれども、周りに怒られてる人がいれば自分も静かになるし、大人が喧嘩してたら悲しそうな顔をする。周りが楽しいと楽しい。全員がそうというわけではないが、そういう子供に会ったことはある。
私が小さい頃はとりわけ、誰かが怒るということに敏感だったようで、幼稚園の先生がお友達のことを叱っていた場面に遭遇したことが、自分にとっての恐怖に感じ、不登園児になってしまったことがあった。
期間としてはどのくらいだっただろうか。そんなに長くはなかった気がする。
登園拒否をしてしばらくの後、年中組にあがるタイミングで親の転勤が決定、福岡に引っ越すことになったため、幼稚園も転園することに。
仕切り直して新しい幼稚園に通ってくれるか、親としてはハラハラしていたようだったが、何の問題もなく登園をして安心したとのことだった(なんで登園拒否になってたかもその時はおそらく覚えていない)。
ともあれ、突然の登園拒否でも無理に連れて行こうとしなかった親にはとても感謝している。
***
小学生4年生のとき、「二分の一成人式」というイベントがあった。
その一環で親から子供への手紙をもらった。
中には「登園拒否のときはどうなるかと心配しました」と書いてあったのを覚えている。(そのあとに続く感動メッセージは心の中にとどめておく)
当の本人は、このエピソードを親から聞いていなければ、全然覚えてなかったくらいの認識なのだけど、心配かけてたんだなぁと素直に申し訳ない気持ちになった。
それ以降、性懲りもなく心配をかけ続けるお騒がせ三女だったが、
それもそろそろ終わりにして、これからは私があなたたちの心配をする番でしょうか。そのために早くいい就職先決めて、堂々と胸を張って、心配しに帰省をしたいものです。