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教師を選んだワケ。
ねえ聞いて。
私がそもそも、なぜ「教師」という職を選んだのか。根本の話をします。ちょっと長くなるかも。
私が教師を志したのは、中学2年。それまで、ダンスや歌、言葉で何かを表現することが好きで、とにかく「好きなものを伝える人」になりたかった。中1までは、インテリアデザイナーなんて言っていたこともある。伝える人として最終的に教師に落ち着いた背景には、中2より前、小学生の時の経験からスタートしているかも知れないと、いま、振り返る。
1番大きなきっかけ(思い)は、身近な地域のことを知らない人が周りに多いことへの「危機感」。
小学5、6年に、夏休みの自由研究として出身地の旧町名を調査した。もともと歴史好きで、ポプラ社の「ポプラディア情報館」の「歴史上の人物」を毎日読んでいた程ののめり込み。城下町であることは周知の事実であったが、まちの至る所に立っている標柱に興味を持ったことから調査に至った。母が全面的に協力してくれ、市内を車で駆け回り、写真を撮って冊子にまとめた。
いざ、二学期スタート。発表の時....
これでもかという位に、大スベリ。
全員の頭に「?」が浮かんでいたことがはっきり分かった。何ならはっきり見えたまである。この瞬間から、周りの地域に対する関心度の低さに「マズい」と思うようになった。それから、「地域のことに興味を持ってもらえるようにそれを伝える人になりたい」→「社会科の先生になりたい」が志のスタートである。
次に、教師になりたい思いを加速させた想いについて。それは、こんな先生になりたいという「恩師」に出会えなかったこと。剣道をやっているため、教師であるか無いかにかかわらず、師と仰ぐ方は大勢いるが、人間的な尊敬が大きい。それと別で、授業を受けていて、「こんな先生に...!」という人に出会った感覚がない。かなり失礼な話だが、事実ではある。だからこそ、自分が誰かに「恩師」と呼ばれる人になりたいという思いが芽生えた。反面教師的な感じかな。
社会科の面白さ、地域の魅力を伝えたい思いでスタートした教師になるための道。実際に待っていた中継所は、小学校教員としての生活である。正直、中学時代は、小学校教員になるのは1番あり得ないと思っていたが、今はもうこの職以外考えられない。色んな出会いを経験できてよかった。ただ、伝えたいことはずっと一緒。だから地域と学校の連携の研究もしつこくやった。
この中継所からの新たなスタートを楽しみ、初心を忘れず邁進していきたい。
最後なんか堅苦しくなったけど、
ヒトリゴト、聴いてくれて、ありがとう。