『有頂天家族』を読んだ感想
鴨川デルタにほど近い下鴨神社、糺の森。主人公の矢三郎は代々その地に住まう狸の三男坊。狸界の長だった父を失ってから家勢は衰えたが変わらず思うままに生きている。
跡目争いをする長兄・叔父、天狗の恩師の老いらくの恋、その恋の相手・弁天の大ワガママ。それらを矢三郎は何とか乗り切っていく。
ついに跡目を決める年の暮れ。叔父の策略、狸を食べる金曜倶楽部、コロコロと立場を変える弁天。これらが絡み合って大騒動。愉快痛快ちょっぴり切ない物語が『有頂天家族』である。
由緒正しい下鴨家では、船を空に飛ばして大文字を鑑賞する。毎年天空で大騒ぎをするのが大層楽しいようだ。空飛ぶ船とは化かし力を持つ狸らしく、豪気で面白い。
年中行事を規則正しく行うのが古めかしい古い一族といった感じで、読んでて好きだ。谷崎潤一郎『細雪』で、幸子一家が毎年花見をしに京都へ行くのとよく似ていると思う。
『有頂天家族』は、主人公の矢三郎視点で話が進む。ふざけるのも化けるのもからかうのも大好きな彼は心中をあけっぴろげには語らない。たとえ地の文であっても隠すところはしっかり隠している。
作品全体を俯瞰して見ても同じだ。『有頂天家族』で描かれる京都市中には実在の寺社仏閣が多く登場する。天狗の如意ヶ嶽薬師坊が隠居する出町商店街、寺町通、御池通、先斗町。そこには人間も多く暮らしていて、狸や天狗の存在には気付いていない。
つまり、構造的に「嘘」がある。
化けるのが大好きな狸たちという嘘。心中を語らず隠し事をする矢三郎の嘘。神通力を持つ天狗という嘘。
しかし荒唐無稽ではない。狸も天狗も人間も季節行事を大いに楽しむ。場所と時間にリアリティがある。のんべんだらりと話が流れていくわけじゃない。「狸界の長(偽右衛門)」なんて地位は古めかしく今や必要ないと言われながらも、そんな厳めしい名前を中心に狸たちは動く。天狗を教師として立てる序列が未だ根強く残っている。
そこに過去の日本、つまり京都へのノスタルジーがある。
本当と嘘が重なって生まれる新規性と古臭さが馬鹿馬鹿しく、愛おしい。狸たちはつまらないことと分かっていても騒がずにおれない。そんな性根を前向きに受け入れてい楽しんでいる。
だから『有頂天家族』が好きだ。京都に行けば行くほど「矢三郎というファンタジー」はどんどんと甘くなっていく。