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ヒプノシスマイク 10th LIVE ≪LIVE ANIMA≫ -HOMIEs-の感想と、考えたこといろいろ

ライブの概要

4月6日、ヒプノシスマイク10th LIVE ≪LIVE ANIMA≫ -HOMIEs-に参加しました。
特に今回は、チームを縦断したTHE BLOCK PARTY楽曲や、2チーム合同の楽曲が披露されました。チームごとの個性がはっきりと出ることの多いヒプノシスマイクですが、それを超えたパフォーマンスはお祭り的であり、王道と逸脱を押さえていて大変楽しかったです。


ライブ会場での経験

ヒプノシスマイクのライブ初めての現場参加を決めた私は、まず「応募」をしました。応募……。原画展に行くための応募はしたことがありましたが、当落が絡む応募の経験はほとんど初めてです。(ないことはないけど、昔は電子じゃなかったので手続きの詳細は全く覚えておらず何の役にも立ちませんでした)
ファンクラブ会員優先なのでそれ以外への席があるのかどうかさえ定かではなく、「一般客の応募開始!!!!」と情報が出たときはホッとしました。

無事チケットを当ててヒプスター(ヒプノシスマイクのチケット専用アプリ)をダウンロード。しかしヒプスターから「おい!!!!お前の個人写真をさっさと登録しろ!!!!!ライブ入れへんぞ!!!!!!」と心配の連絡が来ました。忘れてました。令和は個人情報をここまで提出しないとライブに行けないんですね。嫌ですね~。

一ヶ月ほど前から長距離移動に気が重くなりつつも、アニメを全部観たり、曲を聴き込んだり、鞄や双眼鏡を買ったり、親戚に色々お願いして泊めてもらう約束を取り付けたりお土産を準備したり、仕事の休みを取ったり。色々やりました。
当日は東京の友達に新宿歌舞伎町に連れて行ってもらいました。ありがとう!!
そのあと東京駅京葉線に辿り着くまでに疲れて嫌になったり。こういう風にして会場の幕張メッセの会場に着きました。


会場のある海浜幕張駅では、多くの人が概念ファッションコーデをしていました。概念ファッションコーデとは、一般的なファッショングッズを用いて好きなキャラや推しチーム、推しカプを表現するコーディネートのことです。

個人的に「おわーっ!!すご!!!!!」と思ったのが、どついたれ本舗(オオサカ)の白膠木簓《ぬるでささら》の概念コーデをしている方でした。オレンジ色のチェックのスカートに緑がかった青の帽子をかぶっておられました。どついたれ本舗のチームカラーと、簓の髪色の見事な落とし込みです。考え抜かれたコーディネートは今回のライブへの意気込みを強く感じましたし、カラーリングもとても鮮やかで美しく、素晴らしかったです。


また、缶バッジをたくさん付けた痛バッグや、キャラが印刷された大判のタオルなどを持っている方もたくさんおられました。私は「これ会場で買えるんだ!私も一個買おうかな!笑」と思ってグッズ売り場まで意気揚揚と行ったのですが、実際にはどれも現地で売っていませんでした。

「この日のためにグッズをチェックして、予約して、買って、身に付けて、持ってきて……。一体どれほどのスケジューリングを……」と、かけたであろう労力にうち震えます。私自身はグッズなどはあまり集めないようにしているので、雷に打たれた気分でした。そうなんだ……。みんな……。普段から……。ハレの日のために……。私がしたよりも、もっともっと……。

改心。お金を出せば手に入るというものではないんですね。グッズって。


ライブ中の感想

↑セトリ

ライブ参加にあたり、コーレスがうまくできるかどうかがかなり不安でした。それが不安すぎて長年ライブとかコンサートとか全然行かなかったくらい心配でした。
しかし、実際に参加してみるとみんな何となくでやってるんだ……ということが分かりました。
後方中央席だったので全体を見渡せたのですが、リズムに合わせて腕を振るとき、人によって左右にズレがあるのがよく見えました。フリが全部決まってるなら起きないはず。縦揺れか横揺れかも結構その場の塩梅なのかな~と思うことが多々あり、あと演者さんの動きを見て「こっちか!」と変化したり。
あ、そうなんだ。「ライブはみんなで作る」ってこういうことね、と。ホッ。グループダイナミクスです。


あと、会場の幕張メッセは一目で見渡せるほど小さな会場ではありませんでした。自分の挙動が多少不審だったとしても変な空気にはならない!とまたホッ。2曲目のHypnotic Summerの最初あたりで「大丈夫かも!!」と安心し、それから後は気にならなくなりました。

一番楽しかったのは、大勢の人と一緒に大声を出したことです。合唱したときと同じ脳のところが活性化するのを感じました。シビビビ!と思考の麻痺を実感です。
「そうかもな。確かにそうかも。大きな会場でみんなで同じ歌を歌う。実質合唱かも……。合唱って楽しいかも……。またやりたいかも……」
こうなってた。


ジンギもSANITYも「スマホで聴くとちょっと臭いかな?」と思ってたのが、ライブだとバチバチに気持ち良かったです。臭いぐらいの方がギャー!!ってアガる。今まで「ライブ映えする曲」という視点はなかったから、新しい視点が得られました。
ジンギの駒田さんパートがすごくて「何何!!!!!!!!」と悲鳴を上げたような記憶があります。恐らく実際に上げました。

Get busyはちょうど私の席から正面前あたりで始まったので、オワー!!!!!とテンション上がりました。曲も激しくてかっこいいし。石谷さんの着ていた服の青さまで肉眼で見れて「生ってすご!!!!!!!!!!!」と驚きました。めっっっっちゃくちゃライト当たってるんだ!!!!!!!って。実体験として得られるとまた違う感慨があります。すっっっっごい眩しいと思う。ステージに立つと。

Move Your Body Till You Die!の、マジで全員で運動してる感もよかったです。めちゃすごかった……。レスポンスが結構求められる曲だったので、いっぱい声を出せて楽しかったです。ステージはほぼ見えない席だったので、モニターで木村昴さんがソーラン節を踊ってる?とこだけ見えました。


特に中王区のパフォーマンスは、レスポンスの音程も合って本当に楽しかったです。

中王区のことはね。本当にね。本当に、一切許してないです。マジで。擁護できること一個もない。
暴力、洗脳、人身売買。マジでこんなんが政権を運営してるの全然許してないです。

でも中王区の曲で叫ぶのってめちゃくちゃ楽しい……となっていきました。参加するうちに。
今でも別に全然許してないんですけど。これは大事なことなんで何回も言います。でもコーレスには参加……してしまう!!!!という矛盾。「叫べる場面を逃したくない!!」という衝動が自然と心に根を下ろして、叫びました。「お、と、め!!」って。


パフォーマンスで一番良かった……すげえ……最高……と感動したのは、オオサカの二人・簓と盧笙の漫才曲『まいど生きたろかい!』です。あのサビがね。あのダンス?に感動しました。「漫才がある」ということにめちゃくちゃ感動した……。好きとか嫌いとかではなく「貫かれた」って感じ。

いや。マジで全部サイコーでした。本当に。めちゃくちゃ良かった……。
終わらないでほしかった。

次はリングライトを買って参加したいです。今回は会場で売ってたブレスレットしかなかったので……まさか会場にリンライ売ってないとは思わなくて……。無知でした……。
サードバトルの開催も本当に決定?したっぽいので、次は「ぜったいぜったい勝ってほしい!!!!!!!!!!!!!!!」と思うチームのリンライ買って参加する予定です。どこで注文したらいいのか分からんけど。まあどうにかなるでしょう。



ライブからの考察

会場に到着し、ライブに参加し、自分の意識が変容するのを感じながら、いくつかのことを考えていました。

大きな声を出したり、身振りをすることが楽しいのは、「ファシズムに参加するのは楽しい」ということと同じじゃない?そういえばラップバトルで相手を罵倒したり自己誇示することファシズムと類似かも……。
そういえばヒプノシスマイクの設定の、あれもこれも現実にある政治制度と似てるわ……。ディビジョンバトルは全然公平でも何でもない……。
我を忘れたわけではないけどライブを通じて社会通念がどうでもよくなっていくのはフランス革命に参加した民衆と似てるのかも……などなど。

まとめると「ヒプノシスマイクってめちゃくちゃポリティカルだ!!」です。

前回の ZERO OUTはアーカイブを視聴したんですけど、現地に行って別のことをたくさん思い付いたので、以降はこれらについて書いていきます。


ディビジョンバトルは単にラップバトルの技巧(?)を争うというだけではなく、テリトリーや政治的権限を奪い合うという側面もあります。地方ディビジョンに病院設立をしたいと言った神宮寺寂雷や、優勝賞金1億円で会社を設立したFling Posseが記憶に新しいかと思います。

ヒプノシスマイクでは単なる自己表現の手段として使っているだけではありません。ディビジョンバトル上で彼らは政治的闘争をしており、そこに罵倒や自己誇示がある点でファシズムとの類似性があると言えるのではないでしょうか。

ここで言った「ファシズム」は、歴史上起きたホロコーストを主導した政治思想という意味ではありません。もっと、人間の本能に結びついた行動の習性一般のことを指します。

「ファシズムの教室」書評 興奮・歓喜の危険 体験して学ぶ|好書好日 (asahi.com)

『ファシズムの教室 なぜ集団は暴走するのか』では、歴史上存在したファシズム活動を模すという体験学習について書かれています。(この形式の授業は既に終了しています)
白シャツにジーンズをインした大学生約200人は「ハイル・タノ!」と大声を出す事前練習をし、翌週大学構内を練り歩き所謂「リア充」を糾弾します。

一連の授業の流れは、単に講師に指示されたというだけでは成立しません。学生の一定の自主性が必ず存在します。受講生は自分の行動や精神的高揚を通じ、ファシズムとは一体どういうものなのかを学ぶのです。
私は、自分が中王区のライブパフォーマンスでテンションを上げているときのこの本のことを思い出しました。

狭義の「ファシズム」が何なのか、上記の本ではこう書かれています。

上からの強制性と下からの自発性の結びつきによって生じる「責任からの解放」の産物

『ファシズムの教室 なぜ集団は暴走するのか』p.183

権威に服従するとは、自分の責任を放棄するということです。残忍なことをしても「○○という権威がそれを許している」と自分の無罪を主張できるのです。
ライブ後、この本を読んで「自分のことだなあ」と思いました。思想的に相容れない中王区であっても、目の前でライブが行われていてコーレスが推奨されれば、気分が上がって会場の盛り上げに貢献してしまいます。
これを意図してディビジョンバトルを開催しているのであれば、中王区言ノ葉党政権はかなりやり手です。


闘争手段として「ラップ」を選んでいるのも上手い設定だなと感じました。
ロックでは反権威や恋愛などを歌いますが、ラップバトル(MCバトル)ではお互いを攻撃し合う"喧嘩"的側面が大きいです。
互いを排斥しその排斥に正当性を与えるために、相互にディスりが起きます。するとチーム内の結束力を上がり、同時に他チームとの共闘が難しくなってしまいます。中王区が自政権を維持するためには、やっぱりロックやポップスでは駄目なのでしょう。ラップである必要がある。
共闘されてしまっては困るのです。

作中ではかなり関係性が改善しているのでそう思われない方も多いでしょうが、構造的にはそうなることを意図していると考えられます。(構造的に「仲良くすんな!」とされているのに仲良くなっちゃうのって……すげ~いい……)


ヒプノシスマイクの作中設定も、考えてみればかなりポリティカルです。
ディビジョンバトルに出場するチームは全国から募るのではなく、各ディビジョンから1チームを選出しているに過ぎません。選ばれなかったディビジョンからは、どんなに強いチームであっても出場は叶わないのです。
これは小選挙区制との類似点があります。どんなに強いチームでも、準優勝者が舞台に上がることはできないのです。比例当選はありません。


前述した通り、優勝したチームには前述した通り中王区から一定の政治的権限が与えられます。政治的権限付与の権利獲得の機会が与えられないのは、明らかに他ディビジョンに対する差別です。それがどんな理由かは作中で明言されていませんが、いまのところ全国民を平等に扱う気はないのでしょう。

運営者と参加者の性別が完全に分けられていることも注目すべき点です。「分割統治」と実際に歌詞にされている通り、参加者は優勝の利益を受けるために被差別者(男)同士で争わざるを得なくさせられています。
これにより、男同士での連帯は難しくなってしまいます。


しかし、出場者同士はバトル後明らかに仲を深めています。ファーストバトルの後も、セカンドバトルの後もです。互いに歩み寄ったり氷解したりと、軋轢が減っています。それは真正ヒプノシスマイクの威力を相殺できたり、フェスを全員で開催できるレベルにまで達しています。
これは言ノ葉党が意図したことではないはずです。開発者が「精神というのは異なる性質が集まれば強固になるもの」と言った通り、6チームは言ノ葉党の思惑を離れ、政治的権力や賞金、名誉以外を求めて既に活動を始めています。


ヒプノシスマイクが伝えたいメッセージってこれ?

ヒプノシスマイクが"ラップ"を選んだ理由。
それは、パフォーマンス力の高さ(罵倒、自己誇示、一体感)かもしれません。他人の悪口を聞いたり、自己を誇ったり、他者との一体感を覚えたりすることは、人間にとって本能レベルで魅力的なことです。

観客としてライブに参加するだけでは、何かを変えることはできません。中王区の政治に反対していても、相互のリアクションで盛り上がり続けるライブで黙っていても、大勢は変えられません。ではどうするか。

舞台に上がるしかないのです。現状、観客を煽り、自分を見せつけ、多くの人の意見を主導していく側になるしかありません。
18人の男たちも同じです。彼らは現状、女性だけで運営される政権の催しに参加していくことでしか自己表明ができません。
「地べたばっかり見てるやつにはいいことなんて一つも起きない」というメッセージが象徴する、「参画せよ」こそが、ヒプノシスマイクの伝えたいメッセージそのものなのではないでしょうか。


でもそれって、いいの?

作中では「ヒプノシスマイクを使用した闘争を一般化することで武力闘争は根絶された」とされます。
しかしそれは国民に完全なる平等が達成されたことと同義ではありません。

言語を使用するのが困難な人、音楽的素養の低い人、聴覚に困難を持つ人は、ラップバトルへの参画は難しいです。男女不平等社会を築いている言ノ葉党政権がこうしたラップバトル困難者を掬い上げるだけの対策を打っているとも考えづらいです。

また、人権思想の観点からも問題があります。ライブパフォーマンスは熱狂を与え、冷静な思考や慎重性を奪い、自己の責任を放棄させてしまいます。また、扇動されやすい人の本心を冷静に発表することも、舞台上でラップバトルをする社会では叶いません。
そうしたなかで弱者の人権を守るという強い倫理が果たせる使命は、限りなく小さくなるでしょう。人権天賦論との相性は悪めです。

「参画せよ」というメッセージは、今のところかなり危ういスローガンです。
しかし、この危うさにヒプノシスマイクは自覚的でもあるように思います。アニメ一期・二期それぞれで「H歴における弱者」は多く登場しているように。

今後本編がどう展開していくのか、とても楽しみです。

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