1月10日の日記 テート美術館展へ
・10日ぶりに着物を着た。昼前には家を出る予定だったのに帯を締めるのに1時間以上かかってしまい、お腹ペコペコのまま外出することになった。ペコ……。
・手先を抜くところで「仮紐って確かこう結ぶんだよね?」とうろ覚えでやっちゃうのがよくない。やってるうちにテンションが(イライラして)上がって、平静に戻れずオラァ!!どうや!!と現実に叩きつけてしまう。最終的に結び終わったとき、今日も結局帯が波打ってしまった。今日は美術館に行くのが目的なのでこれ以上チンタラできない。諦めて上から道行を着た。
・というわけで行ってきました。テート美術館展。また会期ギリギリになってしまった。行けたからヨシ。
・もうこのジャケ絵(?)が良すぎて絶対行く!!!!!!!!!!!って決めてた。完全に印象派をいっぱい見る気満々で行ったがそんなことはなかった。テーマ:光って書いてあったね。印象派ももちろんあるけど、そうじゃないやつも多かった。光がテーマだったので写真や球体もありました。(本当にある)
・今回は平日に行ったおかげなのか、中之島美術館さんが頑張ってくれたのか、椅子が前よりも増えていた気がする!!前よりも休み休み見ることができた。助かる〜。助かりすぎる……。そこそこ広いから何度か休憩を入れないと全く見れないので助かる。本当に。前よりもかなり楽だった気がする。も〜ちょっと増やしてくれるともっと助かります。見てたらよろしくお願いします。
・そうやって休み休み、たまに遠距離で見てた。やっぱり印象派って遠くから見てる方がきれいだ。近すぎると何を描いてあるのか分からないんだけど、遠目だと「わ〜きれい〜、すごい〜」と心が洗われる気持ちになってとてもよい。何が描かれてるかは分からんことも多いけど。遠い方がそういうときの混乱が少ないような気がする。
・あと、近年になるにつれ「全時代的な抽象画を描くことで普遍的なものを残す」って意図のものが多かったのが印象的だった。産業革命を経て社会のなかで科学が大きなものになっていったという知識はあったけど、美術品という非必需品の場面でもそれが適用されたってのが不思議だった。
・光の当たったモノだけではなく、「光」そのものを展示する展示物もあった。
・これです。
・回転しているのでミラーボールのように壁に光が反射していて、雪国みたいできれいだった。
・でも壁に映ったものを見ると、何となく「科学っぽいな」とも思った。宇宙というか、遺伝子というか、細胞というか、数学というか。うまく言えないけど「きれいなものを作ろう!」というモチベーションだけで作られてない気がする。なぜか光の中央に位置してないし。帰ったら図録見ます。
・「科学」というものの与えたショックを思い知った日だった。と同時に、普遍性を求める心も所詮時代性なのだなと儚さを思った。漫画を例に出すけど、心象風景を敢えてビジュアル化ことで、第三者視点では作れない複雑な心境を非言語的に伝達している。これを良しとする人と、ナシとする人によって将来はまた変わった表現方法が出てくるのだろう。人類は似たようなことをずっとやっている。