THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道 Vol.3田家秀樹その2
浜田省吾の魅力を、浜田省吾を取り巻くさまざまな人たちと浜田さんとのエピソードトークから紐解く特別企画。8月のインタビューゲストは、浜田省吾の“はじまり”から“いま”に至るまで、すべてをルポルタージュしてきた音楽ライター・作家の田家秀樹さん。2回目は、浜田省吾ファンのバイブルとも言える名著「陽のあたる場所~浜田省吾ストーリー」が生まれるきっかけについての話です。
インタビュー:屋形英貴(広島FM)
「いや、でも俺たちには、浜田省吾がいるんじゃないの」っていう感じがしてて。
田家
浜田さんのことを書こうっていう風に思ったきっかけがあって。(アルバム)HomeBoundの時にね、「浜田さんのこと書きたいんです」っていうのを、(プロデューサーの)鈴木幹治さんに 直訴したことがあるんです。ええ。で、セイヤングをね、彼が、まだ生放送でやってる時に、セイヤングのスタジオ(文化放送)に行ったんですね。で、そん時に「浜田さん書きたいんです」って言って。でも、まあ、彼らもHomeBound が出たばっかりなんで、ちょうど兆しが見えたものの、どうなるかわからないっていう段階で、「いや、もうちょっと先になれば」っていう感じで終わったんです。
田家
で、(アルバム)J.BOYが出て。いや、出る前か。あのブルース・スプリングスティーンのね、85年の、代々木の第一体育館のライブを見に行ったんですね。で、まあ、日本のミュージシャン、みんなあれを見に行って、そのあとスプリングスティーンっぽい人がいっぱい出ましたけども。
で、そのスプリングスティーンのことを書いた本の中に代々木の下りが出てくるんです。
「日本のロックファン、音楽ファンにとって、ロックはファッションだった」って書いてあるんです。つまり、あのブルースが言ってることには反応できずに、 曲だけで盛り上がってた、ていう、かなりこう、懐疑的な書き方がされてたんです。
それを見た時に、 やっぱり日本のロックファンとして、ちょっとこう、ムッとしたんですね。「いや、でも俺たちには、浜田省吾がいるんじゃないの」っていう感じがしてて。(それで、あらためて)浜田さんのことを書きたいって言って。で、「陽のあたる場所」に繋がったんですよ。
田家
で、「陽のあたる場所」の取材で、J.BOYのツアーを 何か所か見に行って、でも、コンサートツアーっていうのは、ま、所々見ててもわからないなっていうんで、 90年に、ロード&スカイの高橋さんにコンサートツアーを書きたいんで、浜田さんのツアーに同行させてもらえませんか、ってお願いしたんです。で、高橋さんに「大変ですよ。 ホントにやれますか?」って言われて、1週間お試し取材をしたんですね。
やっぱりあれで、僕、こういう仕事のやり方が、全く変わっちゃったんですね。
「THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道」8月は、浜田省吾さんのライブを最もレポートしてきた音楽ライター・作家の田家秀樹さんが、浜田さんのこれまでのライブについてたっぷり語ってくれます。次回は、前代未聞のツアー丸ごと同行取材について。広島FM「#PUSH」で2023年8月16日(水)OA予定