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「そんなに言うなら自分でやってみろ」橋下×本田


テーマ「理想的なリーダシップとは?」


☞評論家や学者の立場からでは人は動かせない

サッカーにおいても、解説者や評論家が試合後に「こうするべきだった」と、好き勝手言うが、その難しさや困難を実際に経験していない人から言われても納得ができない。

「そんなに言うなら自分でやってみろ」と。

☞人間は理屈だけでは動かない

人を動かすのは論理的な正当性よりも感情的な幸福度である。

政治でも同様のことが言える。確かに、学者や評論家は言うことは正論かもしれないが、実際に、彼らがマイクを握って演説したところで誰も集まらない。

なぜなら、安全な立場から正論を言うだけの人間に対して、人は共感できないからである。

☞熱量を持っているか

公衆の前に立って、マイクを握って演説して、熱量を与えることができる人こそ、人を動かすことができるリーダーと言える。

この、「熱量があるか」どうかは、とても重要。

自分の過去を振り返った時に、「こんなことがあったな」と、思い出せる出来事というのは、決まって、その時に熱意を持って取り組んでいたかどうかに左右されるからである。

☞何をするにも全力でやっているかが全て

この時代に何が正しい、間違いとかは存在しない。

だからこそ、どんなことにおいても、全力でやれているかが重要。

ダラダラと熱意もなく取り組んでいることは、この先振り返っても思い出すことはできないし、充足感を持つこともできない。

たとえ、家にこもっていたり、寝てばっかりいたとしても、それを本人が全力でやれているのであれば、間違いではない。


☞現代的な経営と昔ながらの経営

トラディショナルな経営とは、権利を利用して、人に指示していくやり方。

しかし、現代では、個人の意見や考えが尊重され、「チーム全員で意思決定をしていこう」というマネジメント手法が主流になりつつある。

☞大きな規模になるほど意思決定者が必要

確かに全員で物事を決めていくスタイルのあり方は民主的であるが、やはり最終決定者の存在は必要である。

結果的に、決断を下すリーダーがいなければ、物事が曖昧なまま進んでしまうからである。

☞理想は現代とトラディショナルな組織のありかた

全員に権利があって、方針を決めていくまでの過程は民主的な進め方でよいが、最終決定権は、やはりリーダーが持っているべきである。

人事権は必要なのだ。


☞(本田)リーダーシップのあるべき姿とは?

自分はどっちつかずの立場は取らないようにしている。

自分の意見はハッキリとさせて、「自分はこういう立場だ」と主張する。

もし、それが結果的に間違えていたら、正々堂々と謝るのみ。

「悪気があったわけではない」「自分はこういう考え方であった」と、正直に伝える。

☞どんな選択をしても、全員が得をすることはできない

ある決断によって、利益を得る人がいれば、損する人も少なからず出てしまうもの。

つまり、どんな意思決定においても犠牲は避けられないのである。

☞方針や立場を明確にしない政治者が多すぎる

自分の意見や政策を明確にしないまま、あいまいなポジションを取る政治家が多すぎる。

それは、具体的な意見や政策を打ち出すことで、少なからずバッシングが出てしまうから。

どんな意思決定をしたとしても、全員が納得をすることはできない。

だからこそ、「今の日本は~であるべきだ、しかし、そのためには、少なからず犠牲が出てしまう。だけど、~することが必要だ」

と、先導していける政治家が必要なのである。


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