にんげんやきにく
君たちはまぶしい人
トモダチコレクションを優秀な人で固めすぎた…
聞こえによっては自慢かもだけど、わたし的にはうれしいけど苦しくて仕方がない悩みになちゃった。
なんか、私を置いて友人がどんどん出世するんですよ!年齢的なことを考えれば出世なんて当然だろくそボケっていわれちゃおしまいなんですけど、そうじゃなくて!なんかもう、みんな、みんな、みんな!本出してたり!やってる製品とかサービス紹介してきたり!そういうのないと思えばSNSで界隈でぶいんぶいんいわせてたり!趣味でやってたクラフト売りさばくようになってたり!みんなみんなみんなフィールドが上に!上がってんの!なんで!
かくいう私は、特に給与も上がらず、何かすごいものアウトプットしたわけでもなく、椅子に座って天井を眺めるだけの安月給。しいて言えば、空き巣に入られた調査の際に警察に指紋とられて一生悪いことできない体になったかな。あと博打の頻度が自粛のおかげで減った(多分すぐ増える)
かなしい。。多様化の時代ってところに甘えてたら、単純に個性を言い訳にレベルアップできていないゴミカス人間ができあがってしまっていた。
世の中見渡せばごみカス人間はいるんだと思うんだけど、自分の周りに固めたのがエリートコレクションだったせいで、まぶちい。その功績や生き様がとても。。。
その光であたしの体は真っ黒闇落ちしてしまった。
焼き肉は生肉に戻れない(ぴえん)
そんな環境に身を置いているならがんばれよっていわれるかもですけど、スーパーエクスキューズ大戦シリーズさせてください。
エリートとつるむ行為が、相対的に計らないといけない分野の判断基準や認知のゆがみを生むってのはわかるんですけど、それって評価軸が明確な「職場のみんなが優秀」とかそういう時に多いことだと思います。
友人関係って、利害以外でも複雑に結びついて形成されているものだし、関係の中で何に重きを置き何を許容しているかとかも結構差があるし、比べる必要がない無法地帯なので、あんま当てはまらないんじゃないかな…。
そんで、言い訳になるのが。わたしが友人関係で大切にしている1つが、「飾らない意見」ということなんです。気取った奴はいらない、内臓まで愛せる君だから友人なんだという価値観なんですけど。
その結果、良くも悪くもダメな部分だっていっぱい見せてもらっていて、よく言うリア充のSNS疲れ的な摩耗はほとんどないんです。
弱いところ、歪んだところ、ごみカスな価値観。どんな友人にも「こいつのココ尊敬できないな」ってところ、ないわけじゃなくて。私のほうが優れてるなって思う個所もなこともない。(たとえばわたしは天才絵師なので絵はだれよりもうまいです!!!)
隣の芝は青くみえるけど、うちの花壇は隣にい負けてないし、となりの裏庭の扉が腐ってるのも知っていて。でも、そういうの全部こみこみにして「なんにせよ青々としたその芝生が広がる家は素晴らしい」という結論なんです。つらい。ほんとうにつらい。なまじ冷静なだけにほんとうにつらい。
エリート友人たちの輝きは「明るい気がする」のではなく、計ってみたらやっぱりげきまぶのあちあちだった。
そして、自分から出ているいろんな光をがんばって集めてもこっちが焼けるくらいには光度がちがったんです。
というわけで。
あたしのブレンズとハツは焼けてしまったので、みんなにおいしく食べてもらうために、記事にさせていただきました。
おわり。
最後に1個目の見出しのオマージュ先を書かせて
「君たちはまぶしい人」この曲のフレーズからぱくりました。めっちゃいい曲だからみんなCD買おう!
あと、あたしが何でアゴアニキを世界に押してるかの理由は
これの「夏コミとアゴアニキ」のところよんでください。(がちなので)
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