好きである理由
僕は好きなものに対して、好きな理由を明確に人に伝えることができない。
できないというか、したくない。
好きである理由を口に出してしまうと、その理由ありきの好きになり下がってしまうからだ。
僕の好きなものを上げればきりがない。芸人さんやアイドルみたいに好きな人もいれば、アメフトや野球など好きなスポーツもある。今が旬のナスなんて大好きだ。好きなものそれぞれにおいて、本心ではどの部分がどう好きかもわかっているつもりだ。それでも、僕の場合は口外してしまうと理由は条件へと変わってしまう。抽象度が上がってしまうのだ。
案の定、先日noteに書いた僕の中のHIP HOPの定義は新たなHIP HOPをディグるうえで大きな障害になっている。かつてそのグルーブが好きだった曲も自分の話=HIP HOPという定義をしてしまったせいで、捉え方が変わってしまった。好きなものを自分で好きだったものに変えてしまった。
こんなことになったのは、研究活動のせい、ひいては今流行りの論理的思考のせいだと思う。日々、「この遺伝子がこう発現するから、こういう生命現象が起きる」みたいなことを延々と考えていたから、理由=条件に知らぬ間になってしまった。
論理的思考力は問題を解決していくうえで大切な考え方であることは明らかだし、就活で趣味答えたらもちろん理由を聞かれるから答えざるを得ない。その代わり、自分の好きなものが狭められていく。好きなものが減っていく。
僕がもっと柔軟な、バランスの取れた人間ならこんなことに悩まずに生きていけるんだろうなあ。
ああ、人間やるって超難しいな
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