大人になれない
大人っぽいね
子供の頃、何度この言葉をかけられただろう。
同年代の中では大きな体格だったからだろうか。老け顔だからだろうか。声が低くて落ち着いたテンションで話をすることが多いからだろうか。
大人っぽく見られることは、子供の頃だけでは終わらなかった。学生時代は初対面の人に常に一つ上の学生区分だと間違われた。
極めつけは20歳になりたての頃だ。英語教室のネイティブの先生のアシスタントをしていた時、先生から「お前いくつだ?」と聞かれたので、「20歳だ」と答えたら。めちゃくちゃ驚かれた。彼は僕のことを30歳で子持ち(2児)だと思っていたらしい。
よく話を聞いてみれば、外見的なことのほかに会話の受け答えの余裕が20歳のそれではなかったらしい。人見知りを隠して愛想よくうわべだけで話ができるところ、やりたいことがはっきりとしているところがそう思わせた理由なのかもしれない。
生まれてこのかた「大人っぽい」と言われ続けてきた僕は、いつしか自身を大人っぽい人間であると思うようになっていた。
今年の春、ほとんどの同級生は社会人になった。GWに飲みに行ったときは「明日から仕事だるいな」と口をそろえて言っていた。それでも毎日仕事へ行って、会社のために日々汗を流している。
一方、僕は大学院へ進んでおり、同級生から約2年遅れて就活を始めた。大人への入り口へ、やっと到達したのである。エントリーシートで、将来、日本社会にどのように貢献したいですか。という問いを投げられた。急に、文字を打つ手が全く動かなくなってしまった。日本に貢献?社会に貢献?そんなこと考えたこともないし、貢献したいとも思わない。でも、世の中の大人はこの問いに答えを出して、就活を終えて働いているのか?
よくよく考えてみれば、僕は自分のやりたいことをやっていただけだった。高校進学も部活ありきで決めた。大学の学部もただ何となく面白そうという理由だけで決めた。修士への進学も1年の研究では実験科目の延長で終わってしまうからという理由で決めた。これまで大人っぽいと言われていたのも、やりたいことの延長にある未来計画に現実感をもって取り組めていたうえで会話ができていたからだった。
興味のないものには全く熱量を注げない人間だと僕は気づかされた。ただ、今までの人生がやりたいことが見つかって、運がよかっただけだったのだ。
僕は運が良かっただけのクソガキだった。やりたいことだけやって、それがたまたま優等生扱いされていい気になっていたクソガキだった。大学生らしいバカやっているなぁなんて思っていた同級生のほうがよっぽど大人だったのだ。社会にどうやって貢献したいか自分なりの答えを出すか、外見取り繕って、就活の競争を潜り抜けていたのだ。
どおりで、Bad Orangezの「中身ガキのままハタチの形」のフレーズがぶっ刺さっていたわけだ。音的な気持ちよさ以上に刺さっていた理由が分かった。いや、わからないふりをして目をそらしていただけかもな。
僕はここから約1年間、貢献したいとみじんも思わない社会にどう貢献しないといけないか考えて取り繕って、呼吸をするように自分に嘘ついて就活を続けていく。取り繕うことを覚えることが大人になるってことなんだろうな。
日頃から、大人っぽいの本質をもっと考えておけばよかったなぁ。まあでも、ガキだから考えたところで理解できなかったか。
こんなnote書いているうちに締め切りが刻一刻と迫っているので、そろそろエントリーシートの続きを書いてきますか。
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