地方のLGBTの実情 その一 〜なぜノンケ議員がLGBT活動に取り組むのか〜
LGBTとはいまでは市民権を得た言葉で、各種調査によると人口の5%から8%程度の方々が当事者であるというデータが示されております。
あらためてLGBT説明すると、
L=レズビアン(心身共に女性で、恋愛対象が女性)
G=ゲイ(心身共に男性で、恋愛対象が男性)
B=バイ(心身は一致。恋愛対象が両性)
T=トランスジェンダー(性同一性障害など)
の頭文字をとったもので、いわゆる性的少数者を示す用語です。
議員として何故この問題に取り組むのか。18歳の体験
私は議員として初当選した2014年からLGBT理解推進のため活動してまいりました。
活動にあたり私が当事者だから?とよく聞かれますが
私はいわゆるノンケ(LGBTではない方を指す用語)
でして、心身ともに男性、恋愛対象は女性で、嫁も子供もおります。
では何故この問題に取り組むのか。
それは18歳(2005年)のときの体験がきっかけです。
LGBTなんて言葉は存在せず、意識すらしたことなかった
当時私は東京新宿にある米国留学するための学校に通っておりました。
米国留学を目指す人間が通う学校なので、本当に多様な方々がおり、日本の教育制度から
省かれてしまった人、社会からドロップアウトしてしまい再起を期す人、夢をかなえる為に留学を志す人。
当の私は大統領を目指すためアメリカ行くなんて言ってましたがw
それはさておき、その中には後になって分かるのですが、LGTB当事者として日本は息苦しいと感じていた少なくない方々がおられました。
当時LGBTなんて言葉は存在せず、私もそうした方々はテレビで見るぐらいで、自分の周りにはいない、というか意識した事すらありませんでしたが。
半年で10人の方とおつきあい?
楽しくおかしく学校生活をおくっていた私ですが、入学して半年程たった時に友人たち数人で経験人数の話になりました。
その話の中で、A君がいままで10人経験したと語ったのです。そのA君は入学当初付き合ったことない、と言っていた事をみんな知っていたので、彼のその人数の増加に、驚き、その秘訣を聞こうと躍起になりました。
「どうやって?どこで?写真見せて」
こんな話を延々繰り返してました。しかしその日にA君がその答えを教えてくれることはなく解散。
しかし特に仲の良かった、私には後日メールがあり、○日にうちに来れる?と連絡が。
「お、こんだけ短期間で付き合った人数の増えた秘訣教えてくれるのかな?もしくは女の子紹介してくれるのかな?」
などと淡い期待を持った私はなんの疑いもなしに「行くよ」と返信
約束の日に彼の家にあそびに行きました。
初めて見た男性用AVと初めて受けたカミングアウト
ワクワクしながら向かったのですが、部屋に入ると女性は居ないどころか、A君はなんだが暗い。
話も盛り上がらず、時間だけが経過してった時に、A君が「前の経験人数の話の答えを教えるから、そのビデオ再生してみて」と言われ、僕はなんの疑いもなく再生ボタンを押しました。
すると流れてきたのは性器を露出した男性同士の絡み。
その映像を見た瞬間も意味がわからず、なんの冗談やねんと思っていた私に彼は
「そういうこと」
と一言だけ
「いやどうゆうことなん。なんの冗談なん」
「いやだから私ゲイなの」
一瞬意味がわからず、戸惑っている中彼は
「私の経験相手は全部男性なの」
とカミングアウト。
その時に私が抱いた感情は
「気持ち悪い。怖い。俺は今からなにされるの?このAVのようなことを求められるのか」でした。
しかしゲイを否定してはいけない事だけは察した私は
「いやそうなんそういう人もいるよな?でも経験人数がそんなに増える答えになっていない」と
心情を悟られないように当初の話に戻しました。すると
「それはハッテン場があるから」
※ハッテン場とは男性同性愛者の出会いの場として使われる公共施設や専門施設。
というように話を無理やり当初の話題に戻して話をしていたのですが、心の中では「怖い。早く帰りたい」という思いに溢れておりました。
その後、俺は理解しているからと言うような顔をしながら帰宅。
正直この時点では全く理解できず、彼を遠ざけようとすら考えてました。
わかり始めたゲイ
しかし当時の私は偽善者ぶって、俺理解あるよという顔をして、A君ともなにも無かったように普通に接していました。そうして接するうちに
ゲイについてA君から話を聞くにつれてゲイに対する認識が変わってきたというよりも、知らなかったものが分かるようになっていきましした。
今考えると当たり前のことですが
「男性なら誰でも性欲の対象でない。あなただって女性全員に性欲いだかないでしょ」
「むりやり押さえつけて襲うような事はしない。倫理観は当然あるでしょ」
「普通の男性と同じ。ただ好きになる人が男性なだけ。」
「ノンケに恋することもあるけど、叶う事は無いから基本的にはゲイやバイの人が恋愛対象」
など折に触れて彼の言葉を聞くうちに理解をしていき、次第に「気持ち悪い・怖い」という感情はなくなっていき、彼とも自然に接する事が出来るようになりました。
この時の体験から
人は分からないものには恐怖を抱く。幽霊がなぜ怖いかそれは見えないしわからないから。ゲイの人達も一緒で分からないから怖いし嫌悪感を抱くんだ。
と考えるようになり、また同時に、大好きな友達を「気持ち悪い。怖い」と感じてしまった自分を恥じて議員になったらこの問題に取り組もう。ではどうするか。知らない、分からないという無知をなくすために教育としてLGBTについての時間をとり、性は玉虫色であると教えていくなど、LGBTについて理解を進めていかなくてはいけないと決意しました。
その後A君と
それ以後は自然と話しが出来るようになり、新宿2丁目に連れて行ってもらったり、ゲイの友達を紹介してもらったりしていき、ゲイという方々に対してなんの偏見もなく、一人の人間として交流をするようになっていきました。
その後はAくんとの友情関係も続き19歳からは一年間ルームシェアをするなど本当に仲良くさせていただきました。とはいえ日本においては誰もが理解があるわけではなく、息苦しさを感じていた彼は日本を離れてしまいましたが。
海外に行ったいまでもメッセンジャーなどでLGBT政策やLGBTセミナーを開催する際はアドバイスを頂くなど私の活動に協力してくれています。
議員としてLGBT問題に取り組んだ事はまた後日