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何者にもなりたくない。

小学生の頃は世界が輝いて見えていた。

中学生のころも世界が輝いて見えた。

高校生になったら、たくさん知りたくない現実を知ったけれど

それでも世界は輝いて見えた。

でも、大人になったら世界はもう輝いていなかった。

なんで?

あの頃と何が違う?

そうだ。

僕たちは大人になると、何者かにならないといけない。

学生のうちは、何者でもない。

自分は〇〇学校の学生ですよ、という学生証を持たされていても

どんな学校に在籍していようとも

それでもなお何者でもないのだ。断言する。

自分が何者でもないということは素晴らしい。

何者ではないということは、逆に言えば何者でもある、ということ。

何者かになることに憧れている人もいる。

けれど、自分はそれが怖くて仕方がない。

自分はこうです。と断定してしまうということは

自分で自分の可能性を潰しているのと同じなんじゃないの?

人生が長くなるにつれて、こっちは願ってもないのに

勝手に人生の履歴書が出来上がっていく。

ある程度履歴書が出来上がってくると、ふと気づく。

履歴書の欄が既に半分くらい埋まっていることに。

勝手に自分という存在がいたずらに定義されようとしている事実に。

世の中のほとんどの人が当たり前にそれを受け入れて生きている。

いやだ。

ずっと白紙のまま、何者でもないまま生きたい。

手に職をつけることが嫌だと言っているわけではない。

分かって欲しい。

勝手に人生の履歴書が埋まると言うことは

入れたくもない刺青がどんどん自分に入れられていくようだ。

(刺青を否定しているわけではありません。むしろ肯定派です)

大多数の人が、最初は入れたくなかった刺青だけれど、

一度入ってしまったものはもう仕方ないから

それを受け入れるしかないから

無理して肯定して、どう?いいだろ?って見せびらかして。

これが一般的な人間の生き方なんだよね。

理想の人生の履歴書は

大きくど真ん中に自分の名前が書いてあって

顔写真が貼られているだけ

これが理想。

人生の履歴書に自分の積み上げてきたキャリアが誇らしくて、

それを書きたい人は書けばいいと思うけどさ

いつか気付くと思うんだ。

いくら誇らしくても、どれだけその時輝かしく見えても

白紙だった頃には敵わないって。

どうやったら白紙の履歴書を持って

上手く生きられるのだろう。

そんな方法はないのかな。

いやきっとあるはず。

たまに見るんだよね。

この人白紙だって人。

でもそういう人たちの共通点が分からないんだ。

ちなみに、有名な歌手にもそんな人を見つけた。

その答えを探すために、今日も冒険しよう。

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Yuhei
もし僕に興味を持って、もっとこの人と交流してみたい、サポートしてあげてもいいかな、と思ってもらえたらうれしいです。成長のための大きな力になります!