きょう
授業は二限目だけで、私はお昼時の四条河原町で時間を潰していた。欲しかったコインケースにつけるキーホルダーを青か黒かで迷っていたら、それだけで半時間もつぶしてしまった。お店のお姉さんは私が迷っていたところを品出しの隙間で見ていたらしく、「どれにするんかなって見てたんです。すごくかわいいですね、その組み合わせ」と言って支払い済みの商品を手渡してくれた。
「かわいいですよね。ありがとうございます!」私は子どものような返事をして店を離れて、髙島屋の七階に向かった。
京都髙島屋は七階と屋上に喫煙所がある。髙島屋に喫煙所とトイレ以外の用事がない私は、決まって七階のレストランフロアにあるそこを利用していた。
日によっては誰もいないこともあるが、お高いランチを済ませた紳士淑女たちが三人ほど、相当うまいであろう食後の一服を楽しんでいた。
空いていたベンチの真ん中あたりに腰と荷物をおろして、外でしか吸わない紙巻たばこに火をつけた。
(臭いなあ)
父に文句を言われてほとんど電子たばこに切り替えてしまってからは、匂いが気になるようになった。けれどやっぱり紙巻たばこはおいしい。メンソールが口の中に広がって、朝吸えなかったぶん生き返る。灰を捨てなくてはならないのが時折面倒だとは思う。
あっという間に吸い終えてしまった時間もまだあるし、物足りないので電子たばこも一本吸った。紙とは違うけれど、やっぱりこっちもおいしい。ほんとうは焼肉とか、チーズたっぷりのパスタの方がおいしいのに。
私が入ってきたときにいた先客たちはみんないなくなってしまったけれど、隣に後から座ってきた長髪のお姉様がきれいで、なんだか得した気分になった。たばこを持つ指が女性らしくしなやかで、それがとても似合っていた。
喫煙所をあとにして、その足でお手洗いに行った。多機能トイレのスライドドアのすぐ横に女性二人が仁王立ちしていて、何事かと思ったら、女性の足元にはひんひんと何かを涙声で訴える小さな男の子がいた。
それなりに長時間そこでぐずっているらしく、涙は見えなかった。同じ階のNintendo KYOTOで何か欲しいものがあったのか、お昼ご飯が気に食わなかったのか。あるいはわけもなくただ悲しいのだろうか。母親と祖母らしき二人は、怒鳴ったり問い詰めたりせず落ち着くまで見つめているようだった。
女性用トイレは二人ほど並んで待っている人がいた。三十代前後のピンク色の髪を結んだ方と、おばあさん。タイミングが悪かったみたいで、その二人は二個ある個室にさっさと入っていったが、私の番はなかなか来なかった。三つ個室があったはずだが、私のお気に入りだったいちばん手前の個室は故障中の張り紙がされていた。待っている間、まだ男の子の声がしていた。
用を済ませてトイレを後にすると、もう男の子と女性二人はいなくなっていた。あのぐずぐずからどう回復したのだろう。どう説き伏せて移動したのか、私には知る由もなかった。
いつもはエレベーターで地下まで降りるが、なんとなくエスカレーターにした。つい右側に立ってしまうが、私ぐらいしかそうしている人はいなかった。地下一階に辿り着いて“阪急電車”と書かれている看板の矢印のほうへ歩き出すと、ゆっくり移動するおばあさんの集団の後ろについてしまった。朝みたいに時間に追われているわけではないので、追い抜かさず私も一緒にゆっくり歩いた。途中のお手洗いに二人のおばあさんが吸い込まれて、髙島屋を出てすぐの喫茶店にもう二人吸い込まれてしまって、結局一人で京都河原町駅の改札を通った。もうおばあさんはいないけれど、なぜか私はゆっくりそのままのスピードで足を運んでいた。
都会、ましてや観光地である京都には、地元と違って駅で毎日見かけるおじいさんや私立の学校の制服を着た子ども、嫌いな同級生の顔もない。すれ違うみんなが一期一会だ。私なんてただの大学生で、喫煙所の綺麗なお姉さんも私のセンスを褒めてくれた店員さんも、夜ご飯を食べる頃には私のことなんか忘れている。
でも私はきっとあの泣いていた子どもの涙の理由や住んでいるところが明日も明後日も気になるし、喫煙所にいた紳士淑女のお昼のメニューがなんだったのか、帰り道に一人で考えてしまう。
帰る時はいつも一人だけれど、世界には私以外の人間が本当にたくさんいる。このことが私を寂しくさせない。
課題とバイトに追われて、毎日銀行口座と原稿の進捗を交互に見る私もいれば、金が余って仕方ないお年寄り、欲しいものを買ってもらえなくて悲しい子どももいる。何億通りもの人が生きている。
目の前のやらなきゃいけないことも、私なんて大したことないかと。もっと大変な思いをしている人が地球上にたくさんいるから、肩の力を抜いてやるしかない。
そう思った、平日の京都。隣の席で一緒に電車に揺られるおばさまが、かくんかくんと船を漕いで、私の肩にもたれそうになっている。