6/29 月

フィリピンだかインドネシアだかオウゴンオニクワガタが生息するかどうかを現地民に聞くと「聞いたことも無い。」と言われたので、恐らくジャワ島ではないと思われるが東南アジアのどこかが舞台の夢を見た。


完全に現地民に案内を一任して多数の幼虫を掘り当てた。それでも成虫はただの一匹も見つからなかった。


その採集では俗に言う"魔法"を使用するらしく、ある程度の所作を施すとホウキにまたがって空を飛べる仕様になっていた。


ホウキにまたがる発着場のような場所は滝つぼになっており、どう考えてもミスしたら真っ逆さまに落っこちるかのような設計だった。問題がある。


案の定鈍臭いので落ちた。


しかし足は木製の家床のようなものに付き、深さは50cmほどしかなかった。ちょうど子供がぴちゃぴちゃと遊ぶ市民プールの水溜まりのようなプールくらいだ。


夢の中の自分はそれに「なんだやっぱりな。」といった具合に呆れた。そうしていると目が覚めた。





目が覚めると朝の5時で自分がつい寝る準備もせず寝ていたことに気づいた。


最近は随分アルバイトをしている気がする。


元々複数の事項を処理するのが苦手で、事項ごとに分けて自己管理するのもせいぜい7日先までが限界だ。しょっちゅう「ここは空けておけ!」と言われたところに間違えて予定を入れてしまう。


アルバイト先の店は昨今のコロナ騒動でしばらく風向きが悪く、店全体で受けたダメージも大きかったため大幅な改革が必要と店長は判断していた。


少なからずその改革へ向けた姿勢に賛同する形でなるべく前よりシフト希望を多めに出したりほんの僅かに業務の質を上げていこうと思って行動をしたりしている、はずだ。



まあ一方でアルバイトなのでどうしても都合が悪くなったら消滅してしまえばいいと思ってる時点で根が腐ってると思う。













一年前の今頃は塾講師のアルバイトをしていた。



そのアルバイトは3ヶ月ほど、ちょうど正規雇用が切れるタイミングで辞めた。



塾講師という職が大嫌いだったのでそこまで長続きするとも思っていなかった。



同じような意識を持つ人間が周りにいないことや疑問を持っても投げかけない同僚しかいないことに消沈したのがトドメだったと思う。そうは言っても皆アルバイトだったし当然だとは思うが。










大学受験産業については「身をもって経験した!」といっただけで、他の視点から見ることなくただの主観止まりになっているが何かしら思うところはある。


(塾講師という立場を負ったのにも関わらずそう言う辺りこの件に関しては本当にただの受験生だったときの感想しか持てないのかもしれない)



高校入学当初の元々の勉強の出来は相当悪く、授業は受けても受けなくても内容がわからない、文系理系定まっていないのもあって全教科なあなあに壊滅的なスコアを取っていた。


この後色々あって(いずれ投稿するかもしれない)まともに点数が取れるようになったのだが、その要因に塾というものは含まれていなかった。


だからといって塾に通わなかったわけでもなかった。



ある程度点数が取れるようになるといい加減自分の進路について考えるようになり、明確な目標が定まったことからそれに対する道を考えていくと、塾に通うことが悪くはないと思うようになった。



所謂映像授業を取り扱うその塾は、映像授業のもつ『毎回誰が受けても変化のない授業内容である程度名の知れた講師の授業が受けられる』というメリットから、どこぞの馬の骨かもわからないやつにあれこれ教え込まれる学習塾より余程イメージは良かった。



ただひとつ気に入らなかったのはアルバイトのスタッフ布陣が総じて融通が効かなかったところにある。


(もしかしたらアレでも融通を効かせてくれた方なのかもしれない)




映像授業という特性上、本来は授業は自分の好きな日にちや時間に受講できる。


ただ、授業を提供するだけではなく生徒のサポートをする"チューター"というものが生徒一人につき、授業の進行度や目標設定に口を出しにくる。



入塾する前にこの情報を聞いただけでこいつがだいぶ鬱陶しくなるのは見えていた。


実際、スタッフ側もより多くの授業を受けさせたいのでこのサービスは売り込みのように機能しており、生徒に対して行う純粋なサービスかと尋ねられたらその時点でそんなわけがないのだが、そんなことはどうでも良くただただ鬱陶しかった。



自分で管理していたいからこそ映像授業を受講している、だからある程度好きにやらせてくれという旨の話をある程度上の立場の人間にも話したが取り合ってもらえなかった。






それと極めつけは"グループミーティング"という最悪のクソの存在だった。


2週間に一度だったか同じようにそのスタッフが受け持つ5人ほどの生徒とスタッフが集まって受講の進捗状況について共有するという、もうコンセプトの時点で無駄としか言えない集まりはただ一度だけ顔を出したきりだった。


全く違った志と志望校の人間を同じ場所に集めて何になるんだと多分そこに集められた生徒も思っていただろうが、どう考えても意味が感じられなかった。

勉強なんてそもそもひとりですればいいし群れるときは慰めが欲しいときなので、自分の好む連中とつるんで疲れをほぐせばいいだけだと思う。





出欠確認をLINEグループでされるのだがとうとう「お前は連絡しなくていいよ。」と言われる始末だった。

この前店の客として来られてすごく気まずかった。











そもそも受験勉強において自己管理ができるかできないかによってその人間がどう学習塾と向き合うかが変わると思っている。


全て自分でやらないと気が済まない性分なのでこちらの事情を知ろうという意思もなくただ業務を押し付けてくるスタッフには大学受験を経験した上でそういう態度に出るのかとしか思わなかった。


いやむしろ大学受験を自分の人生における重要なファクターになると思った上で経験した、と言えない人間だからこそ塾に勤めるという行為ができるのではないかと思うようになった。



本当に大学受験を嫌というほど身に染みて過ごした人間はとてもじゃないが自分と同じ経験をするであろう生徒に業務通りに接したり粗末なカリキュラムを押し付けたりはしない。というよりそのような業務を続けていられるわけがない。



大学受験産業そのものが受験生に対するガンであり、そのガンを食らいながら気づきを得ることだけが唯一そのビジネスから消費者が受け取れるものだと思う。




そう考えていたからこそ自分の身を大学受験産業に置いてみようと思ってアルバイトをやってみたがやっぱり苦痛でしかなかった。



辞めることが決まった直後の授業で生徒に「自分が一番正しいと思えるやり方だけをやっていればいい。」とだけ言ったことが自分の大学受験産業に対する最後の抵抗だったのはとても情けないが、もう二度とあの手のものには関わりたくなかったのでいつまでもズブズブそこにとどまらなくて良かったと思っている。


でもそういう存在があること自体が心の安らぎになる受験生がいることは理解するし、もしかしたらその数の方が自分の考えへの賛同者よりもだいぶ多いのかもしれない。







そこまで考えたあたりで「まあ終わったことだしどうでもいいか…」となったのでこの件は特に今の自分には関係ないことだと思う。



 おやすみなさい。









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