7月4日 土

そら見た事か、毎日連続で投稿なんてできるはずもなく早くも穴あきになってるじゃないかという声が聞こえるくらいの不安極まりない投稿頻度になりつつある。


それもこれも午後19時に起きて午前8時などに寝るなどを繰り返すと一日という単位がその生活をしている割にはズレていると感じるわけで、どうしても書くにしても日記を書くのには適さない時間帯にならざるを得ないのだ。(早く寝ればいいんだけど)


小学二、三年生の頃塾?というのにはお粗末な簡単な国語と算数を教える、生徒が自分を含めて二人しかいない小さな謎空間に放られてた。


そこの宿題で必ず出ていたのが日記で「一週間毎日あったことを日記としてノートに書いて提出しなさい」というもので、この宿題が嫌でしょうがなかった。


そもそも宿題が嫌いとかそういう話は置いておいて毎日日記を書くなど性格からしてもやる価値を感じられなかったのもあってとうとう『今日は一日特に何も無く平和だった。』といったことを書くようになった。

すると当時見ていてくれていた先生は『そんなことあるわけがありません。もっと探してみましょう。』とかなんとか必ず赤ペンでノートに書いてきた。


ガキの浅知恵で日記という課題をメタりにいった事実をもう少し褒めてほしかった反面あんまり可愛げのない生徒だったなと思う。

確か国語の時間のために買った小学生用の学習辞書でずっとうんこだの浣腸だのが載ってるかどうか調べていたので可愛げがあると言えばあると思われるかもしれない、お前どう?(ちなみにこの数年後それなりに古い広辞苑で様々なお下品ワードを発見できて感動した覚えがある)




大抵小学生の頃の記憶なんぞあんまり美味しい思いをした感覚がないので結構が消し去られており、中学受験を結局することになったことも今思えば受験も塾(前述とは違うゴリゴリの学習塾)も自分の意思で断っておくべきだったなと思ってしまうくらい味気ないものとして扱っていた。


未だに小学校の頃の同級生と非常に親しく接するため彼らが公園にいたクソ怖い年上の話をしたり遊戯王で"俺ルール"を量産して絶対に勝たせてくれない年上の話をしたりしているのを聞くと、そういう環境に身を投じたかったなとしみじみ思うこともある。


小学生の子供にそんな意思があってそれを親に言い放つことは結構難しいと高校進学後くらいまでは考えていたが、周りのそれまでと違った環境で接した人間と話すとそうでもなく、本当に強い意思があればちゃんと異を唱えることができた人の方が多い。年齢関わらずその当時にコレジャナイ感があったことを強く実感しなかったことがその時の状況を変えられなかったことに繋がっていたのかと思った。



逆にそういった意識から歪んだ反骨精神が産まれるのも好ましくないので、このようなことは現状を見るときに障害になるため「ただそれがあった」程度で処理している。


だいたい過去の振り返りなんてそれくらいにしておかないと一生シミのように残ると思ってるので自分の「とりあえず今が大事!」は未来を見越した意味での考えになる。





ご飯食べたあとすぐうんこするとなんか損した感覚になるよね。




おやすみなさい。

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