歌詞考察「月並みに輝け」
まず初めに。以下、注意事項になります。
1. 「ぼっち・ざ・ろっく」とは絡めない考察
2. 自分が感じたことを書いていくだけです。
3. 求めていない答えを提示されたからって、石を投げつける人は回れ右
この記事を書くに至った経緯
考察に入る前に、この記事を書くことになった経緯について。特に面白い話でもないし、有用なことは書いてないので、暇人だったり興味がなければ、迷いなく読み飛ばしてもらって構わない。安心して欲しい。
私は特に熱心なぼざろファン、という訳ではないのだが(人並み程度にはファン)、この曲に対する考察や感想を見聞きする機会があった。
ただどうにも自分の意見と合わないのだ。
この曲はそんな前向きな曲じゃない。
とんでもなく後ろ向きな人が、死にものぐるいで自己を鼓舞して、なんとか前に進むような、そんな曲だろう!
そんな想いを抱えて、周辺だけではなくわざわざ「月並みに輝け 考察」でググりまでしたにも関わらず、結果何も変わらなかった。
だって巷に溢れる考察記事、大体がぼざろ前提だから(それはそう
ならもう自分で書くしかないと。故に筆(キーマウ)を取った次第である。ね? 全く読む意味なんてなかったでしょ? こう見えて、案外嘘つかないんですよわたくし。なのでちょっとだけ信用して欲しい。
曲名について その1
この曲を語るうえで、タイトルについては欠かせない。
Twitter(私の推しに、Xと呼ぶと都度訂正してくる過激派が居るので、敢えてこう書かせてもらう)でも書いたのだが、「まず曲名が好き」だ。見た瞬間天才だなと思った。
推し(先ほどの推しとは別)も好きだと言ってた。やったぜ。
ただ、「何故好きか」についてはおそらく全然違うんだろうなと思う。
だって自分がこの曲名好きな一番の理由って、「こんな曲名つける人、最高に後ろ向きなんだろうなぁ!」というところなので…w
(あとダブルミーニングどころではないほど意味が詰まってるのも好き。)
それは何故か……という話をするには、まず歌詞を紐解いていく必要が。
ということで、ここからが本編。
思ったことをただ書き殴っていくだけ、かつ稚拙な文章だがご容赦いただきたい。
歌詞考察
天才だって~踊っていたかな
ここは原作を踏まえるかどうかで解釈が異なるセクションだと思う。
原作を踏まえて読むと、「偶然」とはメンバーとの出会いだろう。
つまり「孤独だったけど、今は仲間が居る」と読める。
だが原作を踏まえず読む場合、「偶然」とは何か、前後の文から解釈する必要がある。
つまり、「自信が溢れ落ちて割れ」るような「偶然」がなければどうだったか? その場合は、今も「孤独感と手を繋ぎ踊っていた」という訳だ。
ではここでいう「孤独感」とは何か。それは「天才」故の孤独ではないか。
べつに誰に理解されなくても、「天才だから」理解されないだけ。
いつか日の目を浴びて理解される日が来る。だって自分は「天才」だから。
……なんてのは、ただの妄想だった。バカみたいだ。
いやしかし文章力が凄まじいな。自信が溢れ落ちて「割れた」という表現かなり好きで、普通だとここは「砕けた」と表現しそうなところ。
そこを「割れた」にしているのは、ちょっとグラスから溢れた程度で割れてしまう程度の、薄っぺらい自信だったことの比喩ではないか。
こーれは文豪 in 下北沢。
いいな~届かない
「いいな」は2回だけど、「まだ」は3回、一回多く繰り返す。
そう、「いいな」という憧れの何倍も、「まだ」の苦悩は大きい。
憧れを抱くのは簡単だが、届ける側にまわるには、並大抵の努力では届かない。指を止めるな。奏で続けろ。
一生存在証明~いつか どうか
一生かけても証明できないかもしれない。それこそ永遠に時間が必要だ。
そんなこと考えている間にも、時間は過ぎていく。
生きてる間に、自分が前線に居れる間に、果たして間に合うのか?
ゴールはまだまだ見えない。すぐでなくてもいい、いつか。いつかでいい、どうか届いてくれ。
秒速340m~革命寸前の未来を睨んだ
なんだこのとんでもなくシャレた表現のオンパレードはw
秒速340m、変われなくても代わりはいない、革命寸前の未来
真ん中はともかく、両端2つはどう頑張っても自分からは出てこなそう。
秒速340mは音速のことなので、音速を超えろと。カッコ良過ぎだろ。
音すらも超えるから、「誰も聞いたことない」
…と、いきなり凄いイキり始めたけど、「変われなくても」と急に現実に戻ってしまう。え、どういうこと? というところで
「鏡を閉じて」そして「革命寸前の未来を睨んだ」
なるほど、音速~等は、「革命寸前の未来(自分)」を見て思ったのか。
それは果たして何年後の自分だろう。3年? 5年? 10年以上?
ただ、「睨んだ」ということは、その未来が不満だったらしい。
「まだ寸前なのかよ」と。いつになったら革命するんだ? といった感じか。
だったら、もっと速く進まないといけない。
音速を超えて動かなきゃ、あの旋律はいつまで経っても鳴らせないんだ。
天才だって~無知で無敵だったヒーロー
何回目なのだろう。自分は「天才」だと思ってたけど、本当は「偽物」だと、「本物」を見たことで気づき。でもちょっとしたらまた、ほらやっぱり自分は「天才」なんだと。そんなことを繰り返してきたのかもしれない。
そしてまた何度目かの負け。
でも、漫画なんかだとこういう「負けイベ」ってあるもんだ。
どうやったって絶対勝てないイベント。だからこれは必然。
……なんて、無知で無敵で「自分がこの物語の主人公なんだ!」なんて信じ切ってたあの頃にはもう戻れない。「偽物」だって気づいてしまったから。
どうする?どうしよう?~欲しくないでしょ
人間誰しも、人生において一度は経験があるんじゃないだろうか。
「自分にはもう無理、向いてなかった。だからここで終わりにしよう。」
そうして大半の人は物語から降りていく。
でも、世の中には一定数「諦めの悪い」やつがいて。
「何者か」になれないと気が済まない。
「普通」じゃ満足できない。
「自分」が「自分」として存在する理由が欲しい。
例え端役であっても、存在理由が欲しいから、物語にしがみつくんだ。
一生全身全霊~敗北宣言の未来を進んだ
もう限界? 限界を超えないと「本物」には追いつけないだろ。
何回間違えたって構わない。「偽物」なんだから当たり前だ。
いつまで経っても叶わない? 叶わない確率の方が高いんだ。
だから「絶対叶う」なんて言わない。
ただ「叶えたい」という気持ちだけは取らないで。もうそれしかないんだ。
一生を賭ける覚悟。それは、「一生賭けてやっと叶うかもしれない」ということ。ならこれはもう、ほぼほぼ敗北宣言のようなものだ。
一生才能凡庸~ついてこいよ
才能ってのは生まれつき決まってるもんだから、自分が今後
「本物」になることはない。いつまでも「偽物」だ。
でも、「偽物」に価値はないのか? 今まで続けてきたことに何も意味はないのか? 今後も何も成すことはできないのか?
ふざけるな。そんなもん認める訳にはいかない。
例え自分以外の全員がそう言ったとしても。
例え心の底では「そうかもしれない」と思っていたとしても。
まだだ まだだ。わたしはもう戻れない。叶わなくても続けるんだ。だから
ついてこいよ
秒速340mを~それでもまだ
また鏡を見たが、まだ「革命寸前」らしい。
でも革命寸前だとしても、自分はまだ続けてる。「抗い続けてるんだ。」
ある種、戦友にも似た気持ちかもしれない。
ああそうか、自分はまだ諦めてないんだ。続けてるんだ。
ならここでやめる訳にはいかない。革命のその日までは。
天才だって信じてた、それでもまだ。
曲名について その2
さて、全編を考察したところで、満を持して曲名の考察に。
また、併せて最後の歌詞についても考察していく。
最初にタイトルについて振れた際に「ダブルミーニングどころではない」と書いた訳だが、では実際何通りあったのか?
自分の中では大きく分けて次の4通り。
「月」並みに輝け 1
自分だって「月」と同じくらい、月と同じくらい輝ける。いや、輝け! という強い意志。なんなら月を超えて「本物」に成り代わってやる、くらい思ってそう。
→ 天才だって信じてた、それでもまだ。(文面通り)
月並みに輝け
「月並み」(普通)だって輝ける。
主役じゃなくていい。端役だとしても、与えられた場所で輝こう。
→ 天才だって信じてた、それでもまだ。
これだと意味が通らなくなってしまう。つまり、これは本心ではない。
よくある「思ってもないけど自虐しちゃう」アレ。
理解できる人だけ理解して欲しい。
というかそもそもの話、「月並みに輝け」なんてタイトル、そういう類の人間でないとつけない訳で。
「月」並みに輝け 2
自分は「偽物」だから、自分には「月」並みがお似合いだ。
自分は決して「月」を超えることはできない。
そんなこと本当は思ってもいないけど、そう自嘲しないとやってられない。
でも心のどこかでは、未だに自分は「月」だと信じてる。
→ 天才だって信じてた、それでもまだ。
「月並み」と実際の意味はほぼ変わらないが、少し、本当に若干だけ前向きになった感じ。
「月」並みに輝け 3
自分はどう頑張っても「月」にはなれない。
でも、「月」に近づいて並ぶくらいはできるかもしれない。
ナンバーワンにはなれなくても、オンリーワンにはなれる。
だから絶対に手は止めない。いつまでだって奏で続けるんだ。
→ 天才だって信じてた、それでもまだ。
自分は生まれながらの「天才」ではないかもしれない。
でも、「偽物」が「本物」を超えちゃいけない道理なんてないんだ。
(どこかで聞いたような台詞)とも取れるし、
「結局総合点は超えれないけど、一点だけでも超えてやる!」
と、ある程度の諦観を持ちつつも、それでもできるかぎり抗ってやるという…なんだろう。「ベクトルとしてはマイナスなんだけど、ちょっとだけプラスに戻ってきた」みたいな感じ。
終わりに
この書き方だと最後の「3」が正解に思えるかもしれないが、正解なんてものは決めるだけ野暮。
聴いた本人が感じたものが、その人にとっての正解でいい。
考察だってこんなしたり顔で書いてるけど、仮に正解があったとして、それがわかるのは作詞家のみ。
もし「偽物」だったとして、本人が納得できたなら、それでいい。
この考察が、誰かの疑問や考察の一助となれば幸いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?