ダイアン津田が好きだ
ジェンダー問題、多様性、パワハラ、セクハラ、人種差別など昨今では様々なコンプライアンスが問題としてあげられ、議論されている。その中で何が正しくて何が間違っているかというのを導き出し、間違っているものを徹底的に排除しようという動きが強まっている。
こうしてここ数年で急激に息苦しい社会へと変わった。何か少しでも間違ったことをすればああだこうだと非難される。時にはそんな些細な間違いで人生が大きく変わってしまうこともある。そういった影響なのか最近は世の中が正論であふれかえっているような気がする。何か発言する時はその発言に対して根拠を求め正確な情報だけを述べる。みな人からの批判を恐れ、正論ばかりを並べ身を守っている。
そして時には正論を自己保身のためではなく、人を攻撃する手段として用いる。相手に対し、正論を浴びせ何も言い返せなくなった相手を見て至極満足そうな顔をしている人間。こんな人間が多く見受けられるようになった。
テレビを見ていても頭のいい大人が自分の知識をひけらかすようにたらたらと正論を連ねる。退屈だ。人が正しいことばかりを言っているのを見ていても何も面白くない。正論なんて当人の優越感にしかならない。だがこれこそが今の時代正義なのだろうか。こうしないと今の時代生き残れないのだろうか。
人々が理屈ばかりを垂らす中明らかほかの人種とは違う生き残り方をしている人間がテレビにいた。
それがダイアンの津田だ。全員が何かの根拠に基づきながら話すのに対して津田だけは100%感情に任せて喋る。なんの説得力もないのにもかかわらず堂々とでかい声で感情を表す。そしてその場の爆笑を彼一人がかっぱらっていく。めちゃくちゃかっこいい。率直にそう思った。あの人はおそらく何の知識もないだろう。しかし、どれだけ言われても折れることなく言い返す。そのうえ、だれも退屈にさせない。みな気づけばダイアン津田に夢中になる。
理論立てて相手を言い負かすことは知識を付け、ディベートのコツさえわからば多くの人ができるだろう。正論を述べることなんてググりさえすれば誰でもできる。しかし思いのままをべらぼうに放り投げ、爆笑をかっぱらうことができる人はそう居ないと思う。
これだけみんなが窮屈に生きている時代に自分を存分にさらけ出し、なすがままでやっていける津田篤宏という人間が私はうらやましい。