競技と政治は切り離すべきか、妥当性のある規制とはどのようなものか
■はじめに
https://www.4gamer.net/games/209/G020915/20191011021/
Hearth Stoneの大会において選手の政治的発言を理由に処分が下ったことから久しいですね。
(詳細は上記リンクから。今更解説は不要かもしれませんが。)
さて、この処分に対してのリアクションは国内外様々でありましたが、大別すると論点は以下の2点でした。
・果たして壇上での政治的発言は処罰の対象として妥当か
・仮にルールに則り処罰されること自体は妥当として、その処罰の重さは妥当か
前者に関しては表現の自由の観点から選手を擁護する意見と、競技自体に政治を持ち込むべきでないとの意見が見られました。
後者に関してはその後処罰が軽減されたことからも、既に解決がなされたと考えて良いでしょう。
此度の記事では、前者の論点について、そしてより妥当性の高いルールとは何かについて考えてゆきます。
■処罰自体の妥当性について
私は以前の記事でも述べたように、
「法とあらかじめ示されたルールに則ったものであれば、処罰そのものは受け入れるしかない」
「ただし、ルール自体の妥当性は大いに議論されるべきである」
との立場をとります。
よって、個人的に選手の置かれた境遇へは同情しますが、処罰の根拠となったルールと今回の行動を照らし合わせても、処罰が下ること自体は致し方ないと判断いたします。
表現の自由に関しても、大会の場に限る規制であり、その開催者にとって不利益となる選手の行動が処罰の対象になり得ることは、他の競技におけるスポンサー関連の動向を見ても、一般的に裁量として認められる範囲に収まっているでしょう。
■処罰規定の妥当性について
では、ルールそのものの妥当性についてはどうでしょうか。言い換えれば、競技と政治を切り離すべきか、という話です。
国内においては、比較的発言力のある立場の方々からも以下のような意見が散見られました。
「現政権辞めろ!/万歳!といった発言に置き換えてみれば、それが許されるべきでないと解るだろう」
これは一見正しいように見えます。所謂日本人的感覚で「政治的発言」を定義するならば、例として上記のような発言が挙げられることは極めて自然です。私自身も、そのような発言がまかり通る競技の場を望んではいないのも事実です。
しかしあえて、「あまりに浅い」と言わせていただきましょう。
果たして「政治的発言」とは、そのように簡単に線引きできるものなのでしょうか。もっともっと、我々は「政治的」の定義について深く考えてみるべきなのではないでしょうか。
以下にいくらかの発言や行動を例として挙げます。どれが政治的で、またそうではないのか、是非とも皆様にも思考していただきたく思います。
「天皇陛下万歳!」
「女王陛下万歳!」
「将軍様万歳!」
「偉大なるアメリカ最高!」
「共産主義最高!」
「(国旗を掲揚する)」
「(国歌を斉唱する)」
「アッラーフアクバル」
「神に感謝を」
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もし、今回の処罰根拠となったルールの通りに判断をするならば、これらのどれもが「公衆の一部やグループの感情を害する行為」「Blizzardのイメージに損害を与える行為」にあたる可能性が否定できないと言えるでしょう。
しかしながら、他の競技では一般的に認められている発言や行動も多く含まれているのが事実です。
今はまだ、それらの競技と比較して「個人間の戦い」といった色合いが強いe-sports競技ですが、オリンピックへの参入が目標とされるように、いずれ規模が大きくなれば「国家間の競争」という意味を持つ大会も増えていくことでしょう。
政治的信念というものは何も具体的な個人の思想だけでなく、家族や所属している団体、国家といったありとあらゆる集団が要因となりその人やグループの中に積み上げられ、やがて表面化していくものです。
それらを処罰の対象とすべきかどうかは今後より活発に議論されて、多くの人が納得できる結論がいずれ導かれることでしょう。
それはそれとして、その処罰対象の定義の選定については、極めて慎重に行われなければいけません。
なぜなら、僅かでもその処罰の定義が偏ったものになれば、同程度の政治的意味合いを持つ発言でも、片方のみが競技の場から締め出されるといったことも予見され、それは、生まれながらのコミュニティにも起因する思想の是非が、第三者によって一方的に決められることを意味するからです。
そこまで考えたとき、Hearth Stoneにおいての処罰対象の定義と同様のものが適切かどうかといえば、私にはいささか疑問が残るとしか考えられないのです。
■理想的な処罰規定とは
この世のあらゆるルールは、可能な限り誰にとっても同じように解釈でき、また公平に運用されることが保証されるものでなければなりません。
仮に政治的発言を処罰の対象としようとするならば、選手たちが処罰を事前に避けることができるよう、またギャラリーが処罰の妥当性について正しく考えられるよう、より明快なルールの設定が望まれます。
その場合、個別の行動を列挙することはあまり有効とは言えません。偏りや漏れが発生しやすく、処罰対象の公平性の担保が難しいからです。Hearth Stoneの処罰定義は、その点についてはクリアしていると言えるでしょう。しかし、運用の公平さが担保されるほどの明快さを備えたものではないように感じられます。
先ほど述べた事例のどれがセーフ/アウトなのかも運用者以外からは判断できず、事前に処罰対象の全容を把握、回避することは極めて困難であると言わざるを得ません。
では、どういったルールならば処罰対象に偏りが生じず、誰にとっても基準が明確で運用の公平性が担保されるのでしょうか。一つ、稚拙ではありますが例を考えてみました。
「各選手は対戦中および対戦後、イベント期間中の公衆の目に映る全ての場面において、本ゲームと関連しない、あらゆる個人や集団、地域、人種、国家、性別、身分等に向けた過度な賛美や侮辱、宗教的もしくは政治的信念に関わる発言や行為はこれを許可しない。なお、選手の家族や友人、所属するプレイチームといった上記にあたらない私的繋がりを持つ者に対し、感謝の念を述べること等は、この規定に定める禁止事項から除外する。」
これにいくつか具体的事例について挙げたガイドラインを付随させれば、およそ大抵の事例はカバーできると考えます。
厳格に運用すれば私が先ほど挙げた発言や行為は全てアウトでしょう。相当厳しく見えるかもしれませんが、何かを規制しようとルールを制定するならば、どうしても巻き添えとなる者が出てきます。
そういった点で、Epic Gamesの発表(https://www.gamespark.jp/article/2019/10/10/93735.html参照)は、あえて全面的に許可をするという手法でこれらの問題の解決がなされているのは面白いです。勿論、問題も多く残りますが…
個別的事例について善悪を論じることも勿論悪くないのですが、同時にルールそのものの妥当性の是非や、より良いルールは何かについて、より活発に議論されるようになることを望んでおります。今後、e-sportsを大きくしていきたいという立場であれば尚更。
立法より司法の話の方が盛り上がりやすいのも理解できるのですが、立法あってこその司法だと、私には思えるのです。
此度は以上とさせていただきます。ご拝読有り難うございました。