自分でこがねーとイケねーから。
私は知っている。会社のお金で、何でもかんでも処理しようとするサラリーマンにろくな奴はいない。他人のお金でやってることは、残念ながら身につかない。
特に、マーケティングという分野に属している者に限って言っても・・・自分の金でモノを買わない。自分の金で本を買わない。自分の金でヒトに逢わない。そんな、ないないづくしの奴は、うんこたれの中のくそったれである。自分で金を出さないマーケッターに、「消費」や「消費者」の話しをしてもらいたくない。
「消費」とは、「自腹を切る」ことである。自腹を切る覚悟がなくては「消費者道」は、見えてこない。買って損したという悔しさ。想像以上に良かった喜び。自らの財布を開くリスクなしに、その実感は得られない。
買い与えられたモノと用意された環境で、人間は、大した成長なんてできない。成長する企業には、各人が自腹を切って集めたモノや知恵が集積するものだ。会社の接待で聞いた話しが流布するより、各人が自腹で挑んだイベントから得られた情報が喧伝された方が、役に立つ。会社の課題になっている書籍の情報より、各人が自腹で買った本の感想の方が、自分のことばになる確率が高い。言い換えると、給料の使い方の上手な社員が多いところが、成長企業になるということかもしれない。
芸術の世界では・・・人間として、より純粋な思いを育てている者の手になるものは、余計な知識や思惑が心の中に入ってしまった人間の創るモノとは、質的に全く違ってくるという批評を良く読むことがある。商ビジネスの世界でも同じだと思う。
「純粋な消費=身銭を切る」ができない奴が、他人を動かす売れるマーケティングの実践ができるはずがない。純粋な消費ができるセンスこそ、マーケティングに携わるものに必須のセンスだ。買い物を、理屈でこねくりまわしても、あんまり実のある成果はない。
お金儲けや、モノの消費や、ヒトとの出会いに、余計な知識や思惑が入ってくると、消費の王道は見えにくくなる。自分の欲しいものを、自分で稼いだお金で買って、それを創ってくれたヒトに還元する。「自分の金で勉強した」純粋なお客様が、市場を健全にするのだと信じたい。
悲しいけれど自転車操業である。自分でこがねーとイケねーから、今日も一生懸命こいでいる。自分でこがねーと自分がどこまで行けるのかがわからねーからである。