自分が要らない存在であると感じる人へ(1)
自分は要らない人間だ、不要な人間だと感じてしまったり考えてしまう人が世の中には多くいます。
今回はそのような人に向けて、自分が要らない存在であると感じてしまうことに対してどうしたら良いかを書いていきたいと思います。
私達は育っていく環境の中で、親や友人に不当に叱られたり、無視されたり傷つけられたりして、劣等感を抱いたり、自分は要らない人間なのではと思ってしまうことがあるかと思います。
一見、成功しているように見える会社の経営者やバリバリのビジネスマン、大学の教授でもこのような思いを抱いて生きている人が多くいます。
自分が要らないと思いながら生きていくのは非常に苦しく、生活がなんとか成り立っていても綱渡りをしているような状況ではないかと思います。
私達人類の脳が高度に発達してしまっているのですから、その脳が生み出す苦しみや痛みというものは全て消し去ることはできませんが、少しでも緩和して少し生きやすくことを提案したいと思います。
一人行うのは厳しいと感じる人は、セラピストなどと取り組んでみるのも良いかもしれません。
自分のことを要らない人間、要らない存在であると思っている自分を肯定しよう
自分は要らない存在であると感じてしまう人は今まで「そんなことはない。あなたは掛け替えのない存在なんだ」、「お父さん、お母さんが悲しむよ」、「私が悲しくなる」と言われて、自分が自分のことを要らない存在だと感じてしまうことを否定されてきたのではないでしょうか。
自己の存在を否定するような考えであっても、まずはその考えを肯定してあげることが重要かと思います。どんな感情や思考であってもあなた自身から生じた大事なものだからです。自分の感情を理解しわかってあげるという感じです。
「自分が要らない存在であると思うのは当然のことだ」「自分が不要な人間である、消えてしまいたいと思っていることを許す、Ok」と自分の考えを肯定してあげましょう。
そうやって「自分が要らない存在である」と思ってしまう自分と、それを良くないと判断している自分の間にある葛藤を少し緩めてやりましょう。
それが済んだら次の段階です。
自分がなぜ要らない存在なのかという理由を見つけよう
自分が要らない存在であると感じている人は、自分がなぜ要らない存在なのかという理由を頭でいくつも作り出しているかと思います。
例えば、
「見た目が良くないから」
「何の取り柄もなく、いつも人を怒らせてしまうから」
「コミュ障で友達もいないから」
「何をやってもダメで、自分が生きていても迷惑をかけてしまうだけだから」「何をやっても中途半端で人に誇れるようなことは何もないから」
「出来ることはあるが、結局大したことはないし、他の人も出来ることをただやっているに過ぎないから」
「恋人も出来ずただ生きているだけしか能がないから」
「精神疾患を患い、何も出来ていないから」
「家族もおらず、恋人も友人もいないから」
などです。
「見た目が良くないから自分は要らないと思ってしまうのも当然だ」
「何の取り柄もなく、いつも人を怒らせてしまうから自分は要らない存在だと思ってしまうのも無理はない」
「コミュ障で友達もいないから消えたいと思うのは自然なことだ」
「何をやってもダメで、自分が生きていても迷惑をかけてしまうだけだから、自分は不要な人間だと思ってしまうのも無理はない」
「何をやっても中途半端で人に誇れるようなことは何もないから、もう生きていても仕方がないと思うのは当然の結論だ」
「出来ることはあるが、結局大したことはないし、他の人も出来ることをただやっているに過ぎないから、自分は必要のない人間だと思ってしまうのも仕方がない」
「恋人も出来ずただ生きているだけしか能がないから、不要な人間だと思ってしまうのも当然だ」
「精神疾患を患い、何も出来ていないから、自分が要らない人間であるというのはどうしてもそう思えてしまうことだ」
「家族もおらず、恋人も友人もいないから、世の中にとって要らない人間だと感じるのは普通だ」
などと、まずは自分の考えを肯定して受け止めてあげましょう。
次に、頭に浮かぶこういう思考を紙に書き出したり、スマホのメモアプリに書き出したりしましょう。
漠然と自分が要らない存在であるとは感じている場合もあるかもしれません。その場合は、子供の頃から今まで自分が要らない存在であると感じるような出来事を見つけましょう。
そして書き出したこれらを眺めてみましょう。無理に自分から出てきた考えや感じ方を否定せずに、本当にそうなのだろうか?とゆったりした気持ちで眺めてみましょう。
要らない理由に対して本当にそうなのかをじっくり考えてみる
「自分がなぜ要らない存在なのかという理由を見つけよう」で書いたことを眺めるのはかなり嫌で向き合いたくない気持ちになるかもしれませんが、大事な自分の考えですので大事に取り扱うように見つめましょう。
そうやっているうちに、発想や視点が変わってきたら良い感じです。「自分が要らない存在である」という思考に真っ向から反論するのではなく、「それって本当に自分が要らないという結論を出すほどの問題かな?」とじっくり考えていくようなスタンスで向かいます。
辛い作業にはなると思いますが、じっくり取り組んでいく内にいつも出していた結論とか違った、違う視点の意見や客観的事実が色々頭に浮かんでくるかと思います。
以下に例を挙げます。
「見た目が良くないから」→人間の魅力のうち、見た目は一つの項目でしかないよな
「何の取り柄もなく、いつも人を怒らせてしまうから」→今いる場所では取り柄がないと感じているだけかもしれないよね。人が怒るのは怒る人が短気で心の狭い問題のある人達だからかもしれない。
「コミュ障で友達もいないから」→人と雑談が苦手な人間など五萬どころか、億単位でいるはずだよね。他者との意思疎通やつながりを作ることは、雑談だけではないよね。文章、SNS、動画、手紙、スポーツ、音楽、芸術、様々なもので他者と繋がれる方法はあるよね。
「何をやってもダメで、自分が生きていても迷惑をかけてしまうだけだから」→何をやってもダメというのはそもそもありえない。まず、今の年齢まで生存しており読み書きを習得し、何か思考し、何か行動をしているはずだよな。どんなことやってきたかな。
「何をやっても中途半端で人に誇れるようなことは何もないから」→中途半端なところまで行動しているはず。中途半端なことが嫌なのはどうしてだろうか?
もし、よく考えてみても中途半端が嫌なら、選択と集中を行うためのスキルを磨いてみよう。
「出来ることはあるが、結局大したことはないし、他の人も出来ることをただやっているに過ぎないから」→他の人とは誰を指すのかわからないが、かなり自分に高いハードルを課しているようだよな。
人と比べて良いことがあるのは「自分もやりたい」とワクワクするときだけなんだよな。人は他人と自分を比べがちだけど。それ以外は、人と比べることをやめていこう。「人とまた比べてしまった自分を許す」と唱え、「今日からどのようにやり直そうか、絶対に諦めない」と自分を勇気づけてみようか。
「恋人も出来ずただ生きているだけしか能がないから」→そもそも恋愛のスキルがあるのか、人を愛するということは何なのかわかっているのか、誰しもが何となくで浸れるような簡単なものではない。生きている能力こそ素晴らしい。生きている能力しかないなんてあり得なくて様々なスキルや能力を使って生きているはずだよな。
「精神疾患を患い、何も出来ていないから」→精神疾患を患ったら人生は終わりか?そんなことはない。今すぐにはどうこう出来ないかもしれないが、自然と抜け出す何らかの方法はあるはず。また、精神疾患だけが大きな苦しみではないし、苦しみとは生きる上でどうしても生じる必須のものかもしれない。
「家族もおらず、恋人も友人もいないから」→寂しいのは辛いよな。人との繋がりが自分にはどうしても必要なのかもしれない。何か方法を考えていこう。
もしこういう反論のようなものが見つからなかったらメッセージをください。僕も一緒に考えようと思います。
自己肯定(アファメーション)の習慣を身につける
「自分のことを要らない人間、要らない存在であると思っている自分を肯定しよう」の項目で書いた手法ですが、思うことやったこと、失敗したと思うことなどの多くをとにかく肯定していきましょう。
朝寝坊してしまった→朝寝坊した自分を許す、オッケー
仕事で出来ない自分はダメだなあ→仕事できない自分もオッケー、許す
部屋も片付けられないし→部屋を片付けるのが苦手な自分を許す、オッケー
とまあ、こんな感じです。どのくらい続ければよいかというと、まずは3日間続けましょう。3日間続けたら自分を褒めましょう。3日間続かなったら、「3日間続かなかった自分もオッケー」と自分に声をかけてまたその日からやり続けようと誓いましょう。
こういう習慣はほとんどの人が続かないものなので、“続かない前提”で何度も繰り返しましょう。物事を続けられないのは、予定に織り込み済みでやっていきましょう。
そのほか劣等感や恐怖心などを緩め解消していく
自己肯定(アファメーション)が続いていたら、そのほか自分にある劣等感や何か行動に伴う恐怖心などを緩めて解消していきましょう。また次回書きます。
まとめ
今回は「自分が要らない存在である」と感じることへの対処法を書いてみました。キルケゴールは「絶望は死に至る病だ」という言葉を残しています。
愛着障害なんていう言葉も心理学の中で出てきていますが、多くの人がこの分野に取り組み、様々な観点から良い方法を編み出そうとしていますので、必ず自分なりの良いアプローチ方法が見つかると思います。