一人じゃないってやっぱり素敵なことだよね。
新しいレタルのコンセプトが固まって、頭がスッキリしたのですが、その後転職し、転職先でフリーランス的な働き方をし始めたところ、しばらく外注パターンの仕事が忙しくて、レタルのことに取りかかれない時期が続きました。
レタルをやりたいけど、外注パターンの仕事をしないとお金は入らない。
仕事はひっきりなしに来る(嬉しい悲鳴ですが)。
そんな状態が続いた去年から今年の前半。
ぼんやり「もうレタルは無理かもしれない」と思う瞬間もありました。
しかし、その外注パターンの仕事の中で、「白いシャツの店レタル(旧レタル)」のサンプルを貸し出す(参考にするため)場面がちょこちょこ出てきました。
「なるほど、そういうサンプルを作るとデザイン提案という仕事というのもできるのか」と思い、そういう引き合いがあるなら、レタルに力を注いでもいいのではないかと考えました。
そう意識を切り替え始めたタイミングで、少しずつ手が空き始めました。
ここ数年の暖冬の影響もあり、秋服の仕事が減ってしまったのです。
現在、会社では、私以外にも去年入社したパタンナーの社員がいるので、手を空けるわけにはいかないのです…。
不安になる状況でしたが、ただ不安がってもしょうがないし、と思い、その社員とマネージャーのえっちゃんと三人で新たにレタルのサンプル作りに着手し始めました。
現在は、自分一人で何から何までやらず、社員にもパターンを手伝ってもらっています。
旧レタル時代、レタルを一人でやっているときに、煮詰まることがよくありました。
だんだん自分の商品を考えることが常態化してしまい、客観的に見られなくなるのです。
その結果、工場への指示に不足が出てきたり、商品が上がっても、何を売り文句にしていけばいいのかわからなくなる場面がありました。
また、自分のやっていることを自分は過小評価しがちで…、宣伝するにも自分の内臓を見せてるみたいで恥ずかしくなることもしばしば。
もしかしたら自分で全部完結しない方がいいのではないか、とあるときから考えるようになりました。
もしかしたら、レタルのファンの方の中には「ヒグチさんがパターンを引いてこそレタル」と思う人もいるかと思います。
私のパターンと比べると、社員の引くパターンは、シルエットにメリハリがあり、パンとしていて(擬音ですみません)、製品らしい安心感があるように思います。
私はゆらぎみたいなものを好むので、あえてディテールを華奢に落とし込むところがあります。
そのゆらぎがレタルっぽさだと思う人もいるのかもしれません。
しかし、製品らしい安心感というのは、量産に移行する上で重要な要素なのではないかと私は思っています。
そう思う理由として、自分のマインドがレタルの立ち上げの20代の頃と変わってきているからだと思います。
旧レタルの頃は「わかる人にわかってもらえればいい」みたいな閉ざしたマインドでしたが、出産を経たり、社員を入れる経験をして、「やっぱり作るなら沢山の人に着て欲しい」という気持ちに変わってきました。
「こんなにたくさんの人が関わっているのだから、みんなの想いを無碍にしたくない」
現在、その想いが強く私にあります。
そうした想いのせいか、社員の子にパターンを引いてもらうと、私はすごく宣伝したくなったりします(笑)。
自分で完結するよりも、たくさんの人に関わってもらった方が強い気持ちになれるのかもしれません。
顧客の方たちには少し寂しく感じることもあるかもしれませんが、今までのレタルらしさも、新しさも感じるレタルになればいいなと思う今日この頃です。