バブルのトラウマによる、消費への冷笑的な態度。
「賢い消費者になろう」
今の世の中、そういう謳い文句が沢山転がっている。
では、賢い消費者とはなんなのか?
バブルがはじけて30年になる。
未だ日本はデフレから抜け出せず、ずっともがき続け、政府は「好景気」と謳うが、市民感情としては、全く好景気どころか、沈む船に乗っている感覚しかない。
もうあまりにデフレが長過ぎて、我々にはデフレマインドが染み付いて、第二次世界大戦の戦時中のようなしみったれた精神性まで戻って来そうな気配だ。
世界的に東南アジアやアフリカなど、今伸び途中の国以外は、どの国も似たような課題を持っていそうだけど、それにしても日本はその課題が深刻な気がする。
なぜ我々はデフレマインドから脱却出来ないのか。
私は「バブルのトラウマがある」と思っている。
バブル崩壊前の日本は日本人にとって、それまでの戦後復興の苦労が報われたような気分になる、明るい時代だったのではないかと思う。
人々が必要以上に享楽的だったのは、ずっと我慢していたからではないか。
バブルを経験している世代が、懐古主義的に語るのもわからなくはない。
きっとめちゃくちゃで楽しい時代だったのだ。
その後バブルが崩壊して、日本人は夢から醒めてしまったのだろう。
そして「浮かれて調子に乗ると痛い目に遭う」と刷り込まれてしまった。
アリがキリギリスになろうとして、失敗してしまい、アリに戻らなくてはならない、もう二度とキリギリスにはならないと心に誓う、そんな感覚ではないか?
この30年間は、日本人は賢い消費者になるべく、常に損得勘定をし、無駄を省き、浮かれないようにしてきたように思う。
そして、そのギスギスしたデフレマインドは、いつしか他人の妬み嫉みになり、浮かれた人がいれば冷笑し、酷いときはケチを付ける。
「私の方が損をしている!」と声高らかに叫んでは、損を訴えて勝った瞬間に、違う誰かに訴えられる。
なんというか、最近の日本はそんな印象だ。
お金がないことに苦しんでいるのではなく、我々はデフレマインドに苦しんでいるように思う。
損得勘定をし過ぎて、本質の豊かさがなくなっていく。
だけど、もはや何が豊かさなのかもわからない。
特に若者は、私の世代以上に冷笑的である。
しかし、ハロウィンの加熱ぶりというのは、そんな冷笑的な態度への疲労、逃避を感じる。
バブル時代のファッションも流行り始めているし、TikTokのようなダンスという身体性の揺り戻しも見える。
若者はどこかで、バブル時代への憧れがあるように思う。
ハロウィンがなぜ加熱するか?
私はあのペルソナ性ではないかと思う。
もはやペルソナがなければ、享楽的に楽しむことが出来ないのではないか?
それはSNSにも言えるのかもしれない。
あまりに我々は自分達を冷笑的に縛り付け過ぎて、いつしかまともな楽しみ方も忘れてしまったように思う。
冷笑的な態度から脱却する、冷笑的な態度に晒されない仕組みを作る、これがこの先の私達のキーワードになるように思う。
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