“怒る”ことは寛解の第一歩
私が病院に行き始めた頃の病院の診断は、「白黒思考」「自責的思考」だった。
その後、障害者手帳を貰ったときに書いてあった診断書は「抑うつ」だった。
現在は一旦カウンセリングは終了し、薬をもらうための定期通院となったので、寛解に近づいていると考えられるだろう。
私自身も、身体的にも現在は「人生で一番健康だ」と感じる。
まず朝起きるのが辛くない。
かつては朝起きることが地獄のように苦痛で、常にだるくて、しんどかったけど、現在はそんなことはない。
しかし、治療の過程は、しんどくて辛いものだった。
一時は病院に行って「悪化してるのでは?」と思うことさえあった。
それは「怒り過ぎる」時期のことだった。
抑圧した“怒り”に気付いて
私はモラハラ気味の父とそれに黙って従う母というモデルケースから刷り込まれて、そもそも女性で生まれたことで悩んでいたと思う。
また、学生時代に何度か受けたいじめから自己評価や自己肯定感が低かった。
それらを外に出すわけでなく、自責していってしまっため、「自分は死ななきゃいけない」という希死念慮が強かった。
カウンセリングでは最初の頃「なぜあなたが悪いのか?」と問われて、「悪いと思うから…」と言って、その先の答えに詰まったことすらあった。
カウンセラーはそのように私の固く閉じた扉を疑問符によってノックした。
「私が全て悪い」と思うことはある種の思考停止で、「考えない」ことで、自分の感じてるしんどさを麻痺させていたように思う。
それを「考える」ようになり始める、というのは、実際は辛いことだった。
確かに「生きていてしんどい」のだけど、その実態を直視するというのもまた「辛い」。
しかし、そのしんどさを直視して改善しないことで、私はたびたび同じような目に遭うことに気付いた。
怒らない人を狙う人達
モラハラな人や小狡い人に圧力をかけられて、泣き寝入りしたり、自分だけが損をしたりするということが目に見えてわかって来た。
そういうことがあるたびに、私はひどく寝込んでいた。
しかし、だんだんその寝込んで(というかナルコレプシーのように眠ってしまう)しまったあと、時間差で怒りが湧くようになった。
そして、その瞬間に怒れなくなることが悔しくなり、自分が怒りに焼きつくされるかのように、相手を恨めしく思うようになった。
それまで怒りの感情が認知出来ず、それをひたすら自分に向けていたものの、ようやくここで怒りが認知出来るようになり、今度は怒り過ぎるようになった。
治療でいうと「好転反応」のようなものだろう。
怒りの認知が遅いので、どうしても瞬間的に怒ることが出来なかった。
あとから怒っても、相手は「今更なんだ」という態度だったり、逆に怒り過ぎてしまって「頭がおかしい」という見られ方もした。
そういう態度を相手にされると「自分はおかしいのかもしれない」と思い、今ひとつ自分の怒りに自信も持てなくなっていた。
また、そもそも怒ることに慣れてないし、自己肯定感が低くく、怒るということが恐怖だったので、余計にヒステリックに怒ることになってしまった。
その時期はその時期でとても辛かった。
そういうのをカウンセリングでよく話した。
そして「あなたの怒りは間違っていないですよ。それは誰だって怒ります。」という感情に評価をしてもらうようになった。
また、家族や友人にも「自分はこれで怒っているけど変かな?」と相談するようになった。
大概は「その人に怒るエネルギーは無駄だけど、怒りの感情が発生することは正しい」という答えだった。
そうすると、だんだん自分の怒りの感情に自信がつくようになり、怒りの感情の認知も早くなった。
怒りの感情の認知が早くなるとどうかというと、素早く相手に「それは不服」という態度を示すことが出来るようになった。
そしてだんだんと、「冷静に」怒るようになった。
つまりNoと言える人ですよ、という態度を取れるようになった。
そうすると不思議と寄ってくる相手も変わってきた。
怒れるようになると環境が変わる
今まで私のことを舐めていたモラハラな人々は去って行ったし、むしろ今までの自分のような、「自分の怒りに自信が持てない人達」が相談に来るようになった。
舐められないから、仕事の質も変わって来た。
「怒れるときに怒れる」ということは、実際は素晴らしいことなのだ。
日本人は怒ることが苦手なように思う。
特に女性は、怒るだけで揶揄される。
確かに無闇やたらと筋違いに怒っているのはおかしいかもしれないけど、自分の権利を獲得するための怒りは持つべきだ。
そして、誰かがやたらと怒っているとき、その人は「今までの自分の我慢が我慢すべきことじゃなかった」と気付いた人かもしれない。
その人は同時に辛い時期でもある。
だけど、怒りを出し切ったとき、必ず獲得出来るものがあると思う。
周りにとって怒りを見るのは辛いことでもある。
でも、怒りを無効化してはいけないと私は思う。
その先に切実な想いがあると思うからだ。
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