レタルの新作を制作中/デザインという暴力について考える
レタルの新作にやっと取り掛かってます。
予定の一か月遅れ…まぁでもやり始めたら、わりと早いと思うので…。
今回は、私だけではなく、チームレタルに加えて、今色々仕事を見て頂いている方にアドバイスを頂きながら、展示会の企画をしています。
私自身、ここ最近いろいろ活動するなかで、レタルというブランドに対して考えが変わったというか、固まったところがあります。
一時はもうレタルは続けられないかなと思うこともあったんですが、やっと吹っ切れた、まぁ、レタルに限らないんですけど、今吹っ切れたものが沢山あります。
デザイナーがアイコンになる必要性はない
レディスのブランドで、女性がデザイナーをやると、どうしても自分のブランドを着ないといけない、アイコンになる必要があります。
デザイナーがブランドアイコンになれた方が今の時代は確かに強いです。
でも、私はこれが結構ずっと嫌でした。
売れるためには、これが出来ないといけないのではないか、ってずっと思っていたところもあったし、それができて売れてるブランドは羨ましいとも思っていました。
私の場合、渋々やるから中途半端でした。
私にとってレタルというブランドは、着たい服を作っているわけではありません。
もちろん着たいと思って作ったものもあります。
初期はわりとそういう着たいものを作ろうと思っていました。
しかし、ここ数年、売れないことでやけくそになった結果、デザイナーとしての自我が爆発し始めまして、そうすると、着たいものとかいう、自分の枠組みで考えるのはしょうもなく、うざったくなってきました。
別に自分という人間が嫌いなわけではないですが、造形的には魅力は感じていないですし。
そもそも自分が着たら見られないですし。
なので、自分をアイコンにして売る、みたいのを考えるのはやめることにしました。
展示会ではレタルを着ますけども。
そもそも私、白いシャツをすぐ汚しますからね…。
見たい景色のために仕事をする
私は美しいものが好きだし、美しいものが見たいわけです。
デザイナーというのは、そのブランドという枠組みの中では神のような存在でなくてはいけない、と最近思うようになりました。
というかそういう気持ちになるのです。
私が服を作るのは、美しい白いシャツを着る民が増えて欲しいと思っているからです。
バウハウスをはじめ、デザインが最終的に家にいくのもよくわかります。
デザイナーが自分の美観ですべて埋め尽くしたいと考えたら、それはもう都市計画になるのでしょう。
ある種暴力的であり、独裁的でもあります。
そう考えれば、ヒトラーが美術に傾倒していたというのもわからなくもない。
お客様が、自分に似合う美しい服を着ることで自信が持て、美しく振る舞え、心も見た目も美しくなること、それが仕事でもあるし、社会貢献でもあるし、私自身のためです。
私が見たい景色をつくるためにデザインをしているのだと思います。
先日会った武盾一郎さんが「作品は❝美しい死体❞、制作過程は人生そのもの」と言っていました。
なるほど、その通りだと思いました。
しかし、デザインはアートとは違うのです。
他人に届いて、使われて初めて完成する。
それはもしかしたら映画を撮るような行為に近いのかもしれません。
パタンナーとしてできることを
白という色は美しくもあり、恐ろしい色でもあります。
ごまかしが効かず、形の良し悪しが一番ダイレクトに出る。
だから私は白という色を選んできました。
私はデザイナーでありますが、同時にパタンナーです。
レタルというブランドは、私のパタンナーとしての挑戦のためのブランドでもあります。
そして、今までの自分が着たいものを作らなくてはいけない、という呪縛から逃れた自分は「とにかくパタンナーとしての力量を最大限に発揮した、布の造形が美しい白いシャツ」を作りたいと思っています。
布やボディと向き合い、日頃外注仕事で蓄積したテクニックを生かし、レタルでしか買えないシャツを作りたいです。
たくさんの人に愛されたいなんて思わない。
ただ本当に欲しいと思う人には届いて欲しいし、その届いた人が震えるようなシャツを作りたいです。
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