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消費する/消費される
渋谷でのハロウィンのトンチキ騒ぎの様子をネットで観ながら、この手の人とは仲良くなりたくないなぁ、と思ってしまった。
チームレタルのなっちゃんがこんなことをツイートしていた。
なるほど、確かにここまでしないと自分の欲望を晒し出すことが出来ないんだなぁと思うと興味深い。
私はむしろ仮装するのもなんか恥ずかしいし、集団でなんかしたいとかも思わないし、でも、きっと自分はマイノリティなんだなぁと思う。
だってハロウィンを楽しむ人たちは沢山いるんだから。
このハロウィンを楽しむ人たちと私には何が違うのだろうか考えた。
同じくチームレタルのえっちゃんは「朋美さんは祭りを開催する側ですからね!」と言っていた。
そうなのだ。
別にそんなつもりもないけど、気付くと人が集まったりするし、祭りを開催してしまう。
だけど、「みなさん集まってください!」というタイプじゃない。
タモリ倶楽部でひたすら料理の会で喋りもせず料理に勤しむタモリさんというのを見たときに、あー、自分もこんな感じだな、と思った。
今思い出すとタモリさんがお昼の時間の司会をやっていたのは、些かクレイジーのようなことに思う。
タモリさんはそして素っ気ない。
ゲストのことを大して知らなかったりもするし、興味ないと、全然興味ない感じがありありと伝わる(笑)。
なのにタモリさんのところには人が集まるので不思議だなと思う。
私は張り切って祭りをやりたいというタイプというより、そこで起きる人間模様が面白くて、渋々やっているところがある。
幹事なんてめんどくさいから本当はやりたくない。
三谷幸喜が以前「僕はパーティーを観察する側になりたい」と言っていた。
いかにも脚本家である三谷幸喜らしい話しだと思ったし、わかるーと思った。
私の場合はパーティーを観察もしたいんだけど、ほっとくと何にも起こらないから、一応言い出しっぺをしたり、面白いことを湧き起こそうというときもある。
まぁ、それが面白いなと思うことがある。
ハロウィンで大騒ぎする人は、普段は消費をする人たちなのだろう。
だから消費される恐怖があって、ああいう限定的なタイミング、場所で、さらにペルソナを用いなければ自己表現が出来ないのかもしれない。
私は消費される側でもあるけど、実は結果的に消費している人間だなと思う。
だって観察してるんだから。
時々、他人に「消費された!」と怒ったりしていたけど、いやいや、もっと業深く消費しているのは私の方だなと思う。
私といると、みんな恐ろしいくらいに私に消費されてしまうんだ。
仮装をしてようやく自己表現が出来る人たちなんて可愛いものだろう。
私は自己表現のためには手段を選ばないし、誰も彼も消費し尽くしてしまうのだから。