ADHDとか。〜その1 ADHD発覚〜
30歳になる直前にADHDだとわかった。
それまで2年以上心療内科に通っていたものの、鬱ってほどでもないし、双極性障害なのかな…?なんだかいつも調子がいいとは思えないけど、ずっとよくわからなくて、でも、病院は終わらないし、とにかく自分のことがよくわからないと思っていた。
それに自分のことをずっと自責していた。なんてダメな奴なんだと。
希死虜念みたいなものがずっとあって、どうして自分みたいなのが生きてるんだろう、生きている意味も価値もない、死ぬ勇気もなくて、更にダメな人間なんだみたいに思うことがしばしばあり、ずっと自己肯定感を持てぬまま、底なしの沼のぬかるみみたいなのにずっと足を取られながら歩いている気分だった。
その頃は、会社でパワハラを受けていたけど、あまりに自己肯定感がないので、大きなミスをしたときに、上司に「死んで欲しいと思う」と言われて、「自分は死ななきゃいけないんだ、どうすればいいんだろう?」と頭を悩ませる始末だった。
ADHDの検査は実はずっと前にやっていたのだけど、病院が検査結果をなぜかきちんと教えてくれなかったために、ちょっと知るのが遅くなったりもした。
「そういえば以前やったあの検査ってどうだったんですか」と聞いて、やっと教えてくれたのだけど、病院は私にあまり病名を簡単に言わないのだった。
それに囚われ過ぎたりするからかもしれない。
とにかく、簡単に病名を付けて、薬を出して、はい、っていう病院ではないのだ。
しかし、ADHDがわかった途端に、私の自己肯定感が0から1に変わった。
自意識の私と無意識の私が切り離された瞬間であった。
ADHDの検査はIQ検査が重要になる。
IQ値には実は項目が分けられており、その項目の最終トータル部分がよく聞くIQ○○という数値になる。
発達障害者というのは、そのIQの項目にバラツキがあり、15以上離れている場合の人間をさすらしい。
私のトータルのIQは116で、「ヒグチさんはIQが高いです。これは人口の20%くらいのボリュームなんですよ」とカウンセラーに言われた。
で、項目を見たら、ただひたすら枠内に鉛筆で点を打ち込むような単純作業のテストの部分のIQが89くらいしかなかった。
あとは軒並み100以上あるんだそう。
特に言語や企画を立てるなどの推測の項目は124くらいあったはずであった。
カウンセラーが「この値を示した場合、自分の想像と実際の実務遂行能力が追いつかずにストレスになると思います。」と言われた。
私はその頃の自分は、自分のIQが高いことも知らなかったし、単純作業が出来ないのは努力が足りないからだと思っていた。
カウンセラーはこうも言った。
「人によっては単純作業だけが突出している人もいます。そういう人は、『自分は単純作業の仕事しか出来ないから、給料の高い仕事につけない。どうすればいいのだろう』と悩み、病院にいらっしゃいます」と言った。
この世には私が出来ることが出来ない人もおり、私が出来ないことが出来る人もいるのだ。
出来ないのは努力不足、やれば出来るようになる、と信じてやまなかった自分にとって、ADHDと診断されたことによって、そのマッチョな精神論は崩されたのだった。
それから私はADHDについて調べた。
私は不注意優勢型なので、ADHDの中でも、ADDに属するのだが、調べ始めてびっくりした。
「私のことが書いてある」と。
そして私は今までの努力が大きくズレていることにも気付かされた瞬間だった。