亡命ボクサー

渡独当初はまだウクライナとロシアの紛争が始まって数ヶ月の頃で、
地元の公的な語学学校はほぼ満席の状況だった。

ダメもとで、一番開講時期の早い初級クラスに申し込んだところ
後日語学学校から連絡があり
「難民移民優先のクラスなら空きがあるが、どうか」
とのことで、とにもかくにも早く学び始めたかった私は、二つ返事で正式申し込みをした。

その当時、凡そクラスの半数はウクライナ人、残りはシリア、イラク、コロンビア、ナイジェリア、ベナン、パキスタン, etc. といった具合で、東アジアからの参加者は私のみであった。

人種や性別、年齢は様々なれど、ほぼ全員が英語は話せたので、休み時間などはなんだかんだと他愛もない話をして、小さな教室の傍らで世界を実感したりもした。

そんな中で、ある時にクラスメートから、「あの人、ボクサーらしいよ。Wikipediaに彼のページがある」と言われて、見ると、外観は細目で背丈も私より少し低いくらいだろうか、ニコニコとした男性が座っている。どこぞで見た、かわいらしいポメラニアン然とした表情と雰囲気である。

宿題の答え合わせを皆で順番にしていく時も、自分の答えが間違っていると「Warum ?!」と言いながらニコニコしている。隣の席に座った時などは、聞き逃した内容があると奪い取るような動作で私のテキスト本を持って行ってしまうのだが、本人は決して悪気はない風だ。
時にはボクシンググローブをリュックにぶら下げてやってきて、時には「今から練習なんだ」と早退していく。

一度、授業のテーマで「一か月の間、何にどのくらいの割合で出費をしているか」を隣同士で話し合うタスクがあった。
その時偶然隣にいた私は、食費がメインであとは電気代も高いよね、などと月並みなことを話したのだが、彼は「食費!なんといっても食費!」と言うので、ボクシング選手だとプロテインや栄養食品が高いの?と聞いたらば、彼のメインの食事は鶏のささ身だという。なるほど、体を鍛えている人の食事といえば、なんだかそんな情報を日本のTVかなにかで聞いたことがあるような気がする。

「忙しいんだ。トレーニングしなきゃいけないし、ドイツ語も勉強しなきゃいけない。生活していくためにいろんなことをしなきゃいけない。」そう言っていた彼は、でも、いつも笑顔で楽しそうにしていた。

そんな彼の、件のWikipedia等の情報によると、某国ナショナルチームのイタリア合宿中に行方不明になった、とある。合宿中にドイツ大使館、もしくは異なる国の大使館に駆け込んで、亡命したという流れだろうか。

授業の最後のほうで、将来の夢について話す課題があった。その時彼は、次の(パリ)オリンピックに、もう一度出場する!と語っていた。

クラスが終了して1年以上経ち、彼が再びドイツ国内で勝ち上がっている事、最終的に難民チームの一員としてオリンピック代表に選ばれたことを知った。
授業の中ではドイツ代表と言っていたのだが、決まったのは難民チームという事で、若干寂しい気もしたが、しかし彼はオリンピックにもう一度出場するという夢を、早々に叶えたのだ。

結果、彼はメダルには届かなかったものの、SNSに素敵なメッセージを残していたので、ここに備忘録として転記しておきたい。
原文はアラビア語の為、翻訳には若干違和感があるが、私にはニュアンスだけで十分感じるものがあった。

『2年前にドイツに入国したとき、私は待たず、離れないと自分に約束した。私は家族や友人、そしてすべての悪い思い出から離れていた。いつも支えてくれる友達でいてくれてありがとう。

でも目の前に石が投げられて、とても傷ついたけど、笑っちゃった。
曲がったけど、折れるようには曲がらなかった。

昼も夜も訓練した。私を知っている私の親しい友達は、私が今日オリンピックに出場するためにどんな怪我、痛み、問題を経験したかを知っています。
勝者として手を挙げたいけれど、時にはできない。
何が何であれ、どこに問題があるにせよ、私は最善を尽くして解決する。
いつも応援してくれてありがとう。私に送ってくれた美しい投稿、ストーリー、メッセージをありがとう。

語るべき物語がたくさん、それは始まりに過ぎない。』

難民移民優先のクラスには、計1年程通ったが、どのクラスにもいろんな人がいた。
それぞれが、それで本が書けてしまうのではないかという物語を抱えていた。


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