【第9回】「福祉用具企業→大学(看護学部)→在宅へ!新卒だけど、経験をケアにつなげています」
個別性の宝庫である在宅医療の世界には、患者の個性と同じように、ケアする側も多彩で無数の悩みをかかえています。悩みにも個別性があり、一方で普遍性・共通性もあるようです。多くの先輩たちは、そうした悩みにどのように向き合い、目の前の壁をどのように越えてきたのでしょうか。また、自分と同世代の人たちは、今どんな悩みに直面しているのでしょうか。多くの患者と、もっと多くの医療従事者とつながってこられた秋山正子さんをホストに、よりよいケアを見つめ直すカフェとして誌上展開してきた本連載、noteにて再オープンです(連載期間:2017年1月~2018年12月)
【ホスト】秋山 正子
株式会社ケアーズ白十字訪問看護ステーション統括所長、暮らしの保健室室長、認定NPO法人 maggie’s tokyo 共同代表
【ゲスト】吉住 真紀子(よしずみ まきこ)
株式会社ケアーズ白十字訪問看護ステーション
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【対談前の思い・テーマ】
① 病棟経験のない私の背景って何だろう…?
訪問看護師は,みなそれぞれ背景をもっています。私は病棟経験もなく,最初は自分にどんな仕事ができるのかイメージをもてないこともあったので
すが,最近「福祉用具専門相談員でかかわってきたことが私のバックグラウンド」と思えるようになり,それなりの自信と日々のかかわりにつながっています。
② しだいに状態の悪化していく患者に,最後までしっかりかかわりたい
今かかわっている患者のなかで,少しずつ状態が悪化し,看取りに近づきつつある人がいます。その変化をすぐそばで支えられていることに,うまく言葉にできない深い思いを感じながら,看取りまでしっかりサポートしたいと考えています。
福祉用具をバックグラウンドに在宅へ
秋山 訪問看護師になってもう3カ月、そろそろ独り立ちですね。
吉住 学校で勉強・実習はしてきましたが、自分が実際のケアにあたる状況が、最初は具体的にイメージできませんでした。やっと3カ月経った今は、皆さんの背景がいろいろあるように、私は病棟経験はないものの福祉用具がバックグラウンドなのだと、それなりに自信をもってかかわったり、お話しできるようになってきたかなと思います。
1人で行くケースもでき、患者に教えてもらいながらやっているというような状況です。少しずつ、訪問看護ってこんな感じなのかな、とつかみはじめています。
秋山 以前は福祉用具の会社に長くお勤めでしたが、福祉用具に関するお仕事も多岐にわたると思います。そのなかでも、福祉用具専門相談員として在宅へ行くようになったきっかけは何ですか?
吉住 介護保険が制度化されて、レンタル業者として利用する人を訪問していました。介護保険が始まる前も、障害のある人を中心に、電動車いすや階段昇降機を家の中で使えるように調整したり、一緒に考えたりということはやっていたので、家を訪問するのが当たり前という環境でした。
秋山 介護保険が制度化されたころに、一度転職されていますね。
吉住 最初の会社に入って5年間、車いすのシーティング調整などに興味をもっていろいろ教わっていた人がOT(作業療法士)でした。それで「私もOT になろう」と最初の会社を辞めたんです。
でも、まだ若かったし、遊びたい気持ちもあったりして、何となくOT の道に進みきれずにいました。そのころに介護保険制度が始まり、2つめの職場が福祉用具のレンタルを本格的に開始することになって声をかけてもらい、そこに入って福祉用具専門相談員として介護保険制度のなかで働くようになりました。
秋山 そのころ、白十字訪問看護ステーションと福祉用具専門相談員としての吉住さんとのお付き合いが始まったんですね。その後、介護保険利用の人だけじゃなくて、障害のある人もお願いするようになりました。
より踏み込んだケアに、自身の専門性を生かす
秋山 用具でのかかわりをとおして、身近に訪問看護師がいる環境で働いていた吉住さんが、そこから「看護師になろう」と思いきったのはまたどうしてでしょうか。
吉住 実は、私は小学校のときから夢が1つしかなくて、それが看護師だったんです(笑)。
秋山 エーッ!
吉住 小学校のときからずっと、「私は看護婦さんになるんだ」と言っていて、卒業文集にも「将来なるもの、看護師」と書きました。だから、「いいなぁ、看護師さん」って意識していました。その仕事ぶりも、ほかの職種よりも気になっていて、でも、「私には無理だわ、私は福祉用具で、シーティングで、こうやって違う方面から支えていくんだ」と思っていたのです。
思いきるきっかけの一つに、2011(平成23)年3月の東日本大震災がありました。「やりたいことはやらなくちゃ。看護師にならなくちゃ。何が起こるかわからない」と思ったら、OT のときとは違って動けたので、やっぱり看護師にご縁があったと信じてここまで(笑)。
秋山 どこかにずっと、看護への思いがあったんですね。
吉住 シーティングのOT になろうと思って退職したものの結局ならずに、また福祉用具をやりはじめて、でも「やっぱりなんか違う」「もっとこうだったらいいのに」と考えていた時期がありました。そのころに訪問看護師が患者にかかわる姿を目の前で見ることができた経験も大きかったと思います。
拘縮や褥瘡がある状態で在宅に帰ってきた患者をフォローしているのは看護師でしたし、在宅で一緒にかかわるなかでも、最初に私たち福祉用具業者の存在に気づいてくれて、「福祉用具を呼ぼう!」と思ってくれるのも看護師でした。当時の私は、特に訪問看護師と動くことが多かったので、「看護師は福祉用具やOT よりももう一歩進んだサービスができるんだ。看護師って、いいなぁ」とあらためて思いました。いつまでも住み慣れた地域で、 その人らしく生きていく(aging inplace)というテーマにも、福祉用具の担当ではあってもすごく共感できました。そこにもっと近づいて参加したいと思い、決心しました。
秋山 すばらしいですね。
吉住 私のなかでは、シーティングで患者を支えることと今も同じ流れにいて、立場と支える方向性が変わっただけで、中心には患者がいるんだ、と思っています。ただ、看護師の勉強をして、「患者・家族は同じにみる」という看護の考え方を学びました。
家族はもちろん大事ですが、福祉用具専門相談員は家族のためには何かやってはいけなかった。いけないというわけじゃないんですが、家族のためではなく、本人が楽になるためにかかわります。家族の介護の手間を軽くはしますけれど、看護ほど家族のことを重要視はしない。今、看護のその視点がもててよかったと思っています。
秋山 在宅ではさまざまな制度を駆使しますが、本人負担が生じてしまうような際に、家族が納得せず、けっこう苦労する例も、以前はありましたよね。
吉住 家族の考え・気持ちや、家族背景を、福祉用具専門相談員なりに考えてはいたんですよ。でも、患者・家族を一つにみるという、もう一歩ふみ込むような看護のかかわりとその視点は、福祉用具専門相談員の側はもてていません。業者としては「これ以上ふみ込んではだめかな?」という場合もあり、それに比べて看護はもう一歩近い感じがしますね。福祉用具専門相談員のときには考えていただけだったものを、看護はより具体的な形にしていく、ケアに入れていく。すべてにおいて一歩二歩、患者に近い感じです。「これだ」「こういうふうに考えたかった」と思って、今取り組んでいます。
秋山 「坂町ミモザの家」(看護小規模多機能型居宅介護;看多機)にも行ってもらっていますね。「ミモザの家」では、通って来る人もいれば、患者宅へ訪問に出ることもあって、そういう意味では、個別の訪問看護だけではなくてまた経験が広がると管理者としては考えています。
吉住 「坂町ミモザの家」という場は、ふだんの患者宅への訪問とは全く違いますね。環境も違うし、あのなかで一緒にいて、患者の変化をとらえたりすることもでき、家にいる姿とはまた違う姿がみえたり。それも楽しいですし、勉強にもなります。一気にいろいろなことを教えてもらえる環境です。
秋山 新卒で入った人にとって看多機は、ほかの人が実践していることも見て学べるし、新人自身も参加できるので、管理的な立場から見ると、研修の場としてとてもよいと思っています。
なおかつ吉住さんには、そこでリフトの導入を考える際にすごく助けられました。
吉住 まだ、申請の途中ですけれども(笑)。
秋山 勤務者の腰痛予防、労働環境改善のための補助金が出る制度があって、それを活用して浴室にリフトを導入するときの費用軽減ができると、吉住さんが提案してくれました。従来の看護だけの視点だと、そういうものに何か補助事業があるんじゃないかと思ったときに、「設備改修的な助成は、もうほかで使っちゃったし」と、そこで止まってしまっていたので、そのアイデアはとても助かりました。
吉住 今回申請したのは『職場定着支援助成金』というもので、厚生労働省・都道府県労働局・ハローワークなどから、介護労働者の身体的負担を軽減するために、福祉機器を導入する際の費用の半額(上限300万円)が助成されます。このような助成金が利用できることが広まり、介助される人も介助者も、少しでも楽に暮らせればいいなと思っています。
秋山 私たちも、リフトを入れなきゃと思ってはいましたが、とりあえずスタートしながら考えようとしてしまったのです。身体の大きな人・骨格がしっかりしている人の移乗にはとても負担がかかります。どういうリフトを入れるか、具体的な機器を選ぶアイデアも出してもらい、またそういうものを扱っている業者で、補助事業を理解して書類をやりとりしてくれるところを選定する際にも、吉住さんの力を発揮してもらいました。
あとは、ずり落ちしやすい車いすを使っている人たちに褥瘡ができたり、ずり落ちたりということがあるので、シーティングの助言をもらう場面もあり、前職がとても役に立っていると思っているところです。
吉住 看護の視点をしっかりもってシーティングを行うことが、やりたいことの一つでした。ポジショニングもそうですけれども、ちゃんと看護の視点で患者をみることができる、ふれられる、支援ができるということが目標です。あとは、道具なので、うまく使っていくことを患者と一緒に考えながらやっていきたいと思います。
秋山 福祉用具専門相談員のころから、けっこうふみ込んでよく見ている人だなとは思っていたので、だからよく連携してお願いをしていたんですね。
私たちも、用具に関してはいろいろ調べたり見に行ったりしていましたから、よりよいものを使っていくうえでディスカッションできる人がほしかったのです。吉住さんはそれが相談できる相手でした。調整が難しかったり、患者本人の要望が非常にこまかかったり、なおかつ費用面で限度額を超えるものを希望されたりと、いろいろな困難なケースに一緒に取り組みました。
そのときから、もちろん当然ながら患者宅まで出てきてくれて、なおかつ最初は私たちと一緒に行っても、そのあとは吉住さんが1人で行っていましたよね。
吉住 福祉用具を納めたら終わりではなくて、調整をしに何度も行かなければならないので、そこは間をおかずに行く必要があります。看護師のスケジュールだけでは足りないので、用具の側がどんどん行く。それに行かせてもらえていたというのは、「あなた1人で大丈夫」と任せてもらったんだなと思いました。
看護師は福祉用具よりももう一歩進んだサービスができる。患者や家族への思いをより具体的な形にしてケアに取り入れ,患者に近づけるんです!
逆に、看護師がこんなに用具の視点からみていると知ったことで、看護師になって、看護師側から福祉用具も含めて患者をみたいと思うようになりました。当時は秋山さんが、用具のことで具体的に注文をしてくれていました。「こんな人なんだけど、車いすはどうかしら?」みたいに言ってもらえると、「ああ、看護師がそこを調整するんだ。そういうものなんだ」と。ケアマネジャーだけじゃなくて、現場に入っている看護師が、「ケアマネジャーの立場じゃないところで動いてやるんだ」「やっていいんだ」というのがわかって、看護師側からも福祉用具の知識をもってアプローチできるかもしれないと思うきっかけになったと思います。
そして本当に看護師になってしまいました(笑)。
生まれつつある「新卒から在宅」の道
秋山 「新卒から在宅」へ入った看護師はまだ少ない現状がありますが、逆に吉住さんの母校の千葉大学では勧めていますね。
吉住 大学には訪問看護の教室があるので、学校側は「行きたいならどうぞ」という雰囲気です。私の学年は、私を含めて4名が新卒ですぐに訪問看護師になっています。
秋山 そんなにいるんですね。
吉住 まだ同期で情報交換をするまではいっていないんですけれども、仲間がいて、それぞれがんばっているんだなと思うと心強いです。
また、「きらきら(訪問)ナースの会」には一度行きました。1年めだけじゃなく、2~3年めくらいの人もいましたが、「ああ、こんなに若い人たちがやっているんだ!」って(笑)。私は、前職もずっと在宅領域での仕事ではあったので、患者宅に行って、その家の様子を観察して、「こんなふうにしてみようかな」と、グッと患者に近づいていく感覚が身についているのかもしれません。若い人たちの悩みというか、ほかの新人さんたちの話を聞いたときに「もしかしたら違うのかなぁ、私って」と思いました(笑)。
秋山 年齢は違いますから、生活経験が違いますよね。
吉住 そうですね。患者も、私を新人としてはみてくれないですから、「私、いままで学生だったんです」って、言うたびに驚かれるのも私の一つの利点と思ってかかわっています(笑)。コミュニケーションも看護の技術だと思うので、社会人経験があるぶん、そこをいかしたり、とても若い看護師が訪問してきてハラハラされてしまうよりは、少しでも安心感を感じていただけるならいいかな、と思っています。
秋山 大学の教師たちから「病院に行きなさい」とは言われなかった?
吉住 そういう感じではありませんでした。「いきなり在宅なんて、あなた大丈夫?」みたいな風潮は、もともと学校にないですね。訪問看護の教室だけでなく、ほかの教師たちもそういうことはなかったです。特に私は、学年の低いときから進路志望に「在宅」「訪問看護」と書いていたので、「あの人は、訪問看護に行く人なんだ」「ああ、なんか背景があるしね」と思われていたようです。
同級生から「えー、いきなり? すごーい」と言われたこともあります。「すぐには行けない」と思っている子が多いですね。「いつかは訪問看護に行きたいけど、とりあえず病院に行って…」という子も、実際にいるのだなと感じています。
秋山 「行ってもいいよ」と言っている千葉大学でもそうだということですよね。
吉住 おそらく新卒で訪問看護というのは、特別なものだと思っている学生が多いと思います。うちの学校も、もちろん「行きなさい、行きなさい」ではないので、「希望があるなら、がんばって!」というところでしょうか。「経験は、どこからでもゼロなんだから、訪問看護から看護師の経験をゼロから積んでいってもいいでしょう」みたいに言ってくれる教師は、何人かいるのですが、それでもやはり…。
秋山 とりあえず病院へ…。
吉住 はい。「人の家に行くのは、ちょっとあとにしておこう」といった反応ですかね。
秋山 半年くらい経って訪問看護の同期4人が揃うと面白いかもしれないですね。
吉住 ええ、夏はどこかで。
秋山 合宿みたいに(笑)。
吉住 そろそろ会って、聞いてみたいなと思うんです、それぞれ地域が違うので。私は新宿独特の、自転車だけでどこでも行けるし、せまいなかで働いていて、それはある意味では恵まれた特殊な環境だと思っていますが、ほかの同期が行った日野や千葉はきっと状況が違うと思うので、それも含めてどんなふうに日々ほかの人たちが看護をしているのかを知りたいです。
秋山 学生時代の実習自体はいかがでしたか。在宅の実習をしてから病院をみるか、病院の実習をしてから在宅をみるかで、多少の影響はあるとは思うんです。在宅で生活している人、病や障害をもって家にいる人をみてから、病院にいる人の姿をみるということに意味があると考えているのですが。
吉住 今、当ステーションにも千葉大学の3・4年生が実習に来ていますね。私も、ちょうど3年生のこの時期に訪問看護実習に行ってから病棟の本格的な実習が始まったんです。逆の順で行く学生は多いようですが、今考えると、私は3年生で在宅をみてから病院実習に行けたことで、生活者としての患者を想像しやすくなり、看護計画を立てるときに、役立っていたと思います。
秋山 ほかの教育機関でも、非常に多くの実習グループがあって、過密な実習スケジュールを立てるので、どうしても在宅に行くのが前の人と、後の人が出てきてしまうのでしょうが、できれば生活している人の在宅をみてから病院実習に行ったほうが、感覚としてはいいかもしれないですね。
「生ききる」その人の最期を「支えきる」
吉住 今、チームの1人として参加させてもらっているケースが、ターミナルケアになる状況です。
秋山 状態が徐々に落ちている感じですか。
吉住 会うたびに痩せてくる。徐々に落ちているんだなぁということがわかります。一つひとつが勉強と感じています。
秋山 同じようにターミナルケアのケースでも、福祉用具だと、在宅でのかかわりが始まるときにベッドをまず頼まれて、1週間しかたっていないのに「引き上げてください」といわれる。その間の変化がわからずに、また次に行ったときには最期が近いという感じだったかもしれません。今は、その少しずつ変化するプロセスを直接見られるわけですね。かかわりが全く違うと思うのですが、そういうことを同行訪問しながら横からみていて、どう感じていますか。
吉住 今のケースは、アパートで独居なのですが、本人がそこにいたいという意思表示をする前の段階からのかかわりです。本人の意思決定を支えようとその最初の場面からかかわることができ、医師との意見交換があり、サービス担当者会議に参加し、その後の患者本人が意思表示をする場面にもかかわらせてもらいました。そのときは、隣に座って背中をさすったりして、「看護って、こうやってかかわっていくんだ」と思いました。段階を追って、丁寧に一つひとつにかかわらせてもらい、それを表現するのはすごく難しいのですが、一つひとつを「そうか、こういうことか」と深く感じながらかかわってきています。
教科書で知っていたことと同じではなく、もちろん一人ひとり違う。でも、がんの人が、だんだんこうなっていくだろうと予想される経過をまざまざとたどっていくさまをみて、感情として出てくるのは、「最期までかかわって、この人を看取りたい」という気持ちです。今、湧き上がってくる感情としては、それですね。
ですから、携帯を枕元に毎日置いています。私の携帯が最初に鳴ることはないんですが、きっとこのケースは何かあったら呼んでもらえるだろうと思うので、呼んでもらったときは飛んで行って、何かのケアに参加したいと思います。この人は、いつまでもこのままではいられない存在であるという事実も、看護としては冷静にみなくちゃいけない。本人も、「いつか死ぬんだろ。死ぬのは怖くないよ」と言いながら、「1日にいっぺんは、皆と一緒にこうやって楽しくやりたいよ」と話しているので、だったら苦痛なく、1日でも長くそうした日を過ごせるように。
何かが得られるのではないかと、本人やほかのスタッフとも一緒に考えられていることが、いまは、変な表現かもしれませんが、うれしいですね。
秋山 何かドキドキのなかに、ちょっとワクワクがある感じかな。でも、それは悪い意味ではなくてすてきなことなので、「枕元に携帯を置かなきゃ」って思う、そのワクワク・ドキドキする感じというのはすごく大事だと思いますよ。
吉住 悲しいだけじゃなくて、「生ききるんだ、この人はここで」と思うんです。「今まで維持してきたケアの最期にかかわることができるなんて」という看護師としての幸せな気持ちがありますね。
かかわっている患者の看取りは、これが初めてになるだろうと思いますが、先にエンゼルケアを経験しています。たまたまタイミングが合って、担当じゃない人のときに、参加させてもらいました。そのときは悔しかったんです。「はじめまして」と挨拶する相手が、今ここに冷たくなっている。ケアしながら、先輩がいろいろ話しかけている様子を見て複雑な思いでした。
秋山 先輩看護師たちが、家族とその人とのかかわりのなかで話をしている姿というのは、「うらやましいな」という感じですよね。
吉住 はい。生前を知っている先輩が、「いつもこうだったから、ここは……」とその人のふだんをわかったうえで、いろいろ選んでいるなかで、私には、そのふだんがわからないし、今のお顔が険しいのか、穏やかなのかもわからない。生前にかかわっていたら、今私がさせてもらっていることの意味というのも、また違ってきただろうなと思いました。
もちろん、先輩たちのテキパキした動きに、「ああ、こういうふうにやるんだ」「できるようにならなくちゃ」とか、いろいろな思いで参加させてもらいました。
最期のケアにかかわることができたということは、それはそれですばらしい経験をさせてもらえたのですが、今度は、ケアの流れのなかでちゃんと最期まで看取りたいという思いはあります。
絶対に福祉用具専門相談員ではできなかったし、病院でもできない、在宅だからできる丁寧な看取りを、今まさに噛みしめるという局面にいるんじゃないかなと感じています。(了)
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対談をおえて
吉住 あらためて秋山さんとお話しすることができて、福祉用具専門相談員として信頼してもらっていたのだとわかり、これまで私がやってきたことや、現在の考え方などを肯定してもらえたようにも思えて、迷ったときのパワーとなっています。対談時にかかわっていた患者を、在宅で看取ることができ、ほかにもターミナルケアにかかわることが増えてきました。慢性期の人とは半年近くの付き合いとなりました。一人ひとりの生き方から学んだことを糧として、信頼される看護師にならなければと思っています。
秋山 地域のなかで一緒に働いてきた他職種の吉住さんが、看護、ことに訪問看護に興味をもち、とうとう看護師の資格をとり、新卒で訪問看護師になったということを身近に経験しました。その一人前になるプロセスのなかでの対談で、前職の経験の強みを生かしながら、「看護の視点」をしっかりもって、患者や家族に向き合っていこう、ターミナルステージの人の訪問看護も積極的に取り組んでいこうとしている姿に、こちらもエネルギーをもらった思いです。新卒看護師をきちんと育てられる現場として、私たちも研鑽を積んでいこうと思います。
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【ゲストプロフィール】
福祉用具の企業に15年勤務。物を納めるというよりも、「生活を支える」という視点で、福祉用具専門相談員として在宅の現場にも長くかかわる。車いすのシーティングやベッド上のポジショニングなど、用具をとおして支えていた患者へのかかわりをより深めたいと、訪問看護師をめざし進学を決意。看護大学に通う4年間もアルバイトとして福祉用具の領域にかかわり続け、この4月より新卒の訪問看護師として勤務を開始。研鑽を積んだ福祉用具の専門性をいかしながら、現場に出て3カ月、いよいよ独り立ちのとき。
【ホストプロフィール】
2016年10月 maggie’s tokyo をオープン、センター長就任。事例検討に重きをおいた、暮らしの保健室での月1回の勉強会も継続、2020年ついに100回を超えた。2019年第47回フローレンス・ナイチンゲール記章受章。
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※本記事は、
『在宅新療0-100(ゼロヒャク)』2016年9月号
「特集:在宅療養患者の救急対応と地域連携」
内の連載記事を再掲したものです。
『在宅新療0-100』は、0歳~100歳までの在宅医療と地域連携を考える専門雑誌として、2016年に創刊しました。誌名のとおり、0歳の子どもから100歳を超える高齢者、障害や疾病をもち困難をかかえるすべての方への在宅医療を考えることのできる雑誌であることを基本方針に据えた雑誌です。すべての方のさまざまな生活の場に応じて、日々の暮らしを支える医療、看護、ケア、さらに地域包括ケアシステムと多職種連携までを考える小誌は、2016年から2019年まで刊行され、現在は休刊中です。
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