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【第16回】12:00 晴れ

執筆:角田 ますみ(すみた ますみ)
   杏林大学保健学部准教授、 専門:生命倫理学、看護師

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 ちょっと考えるところがあって、休日の朝早く家を出た。辺りはまだ薄暗い。もう少ししないと日の出にならないだろう。そんなまだ明けきらない早朝に電車に乗って、関東のはずれまで行く。そんな時間だというのに、電車の中は登山ルックの人やジャージを着た学生たちがちらほら乗っていた。登山ルックの人たちは言わずもがなだが、学生たちは遠征試合あたりで、こんな早朝に電車に乗っているのかもしれない。乗客たちがみんな降りてしまって、最後まで乗っているのは私と、うとうとと居眠りをしているオジイさんの2人だけだった。

 私が降りた駅は小さな無人駅で、改札にも待合室にも誰もいなかった。私は買っておいた地図を出して行き先を確かめると、勢いよく歩き出す。わずかにあった民家を抜け、どんどん進む。少しずつ坂を上り、高台まで出る。さらに歩くと辺りは静かな林道になった。

 その風景を見て、ふと昔のことを思い出す。中学生の頃、友達とここまで遠出してきたことがあった。しばらく歩くと細い山道に入り、小一時間登ると急に開けた山の斜面に出る。そこからの見晴らしがとてもいいのと、春には木々にたくさんの花が咲いて美しかったので、遊びにきたのだった。確か最後にすごい急斜面があって、かなりきつかったのを覚えている。
 
 でも今日はもっと上まで行こうと思う。行ける限りの、一番高いところまで。なぜ今日そんなところへ行こうとしているのか。その理由は少しおかしいのだけれど。

 占い。 

 そう、占いのせいで私は今こうして山道を登っているのだった。その占いによると、今日、私にとって何かすごいことが起きるらしい。それはこの山の頂上で、早朝から日が昇りきった昼までに訪れるらしい。でも、具体的に何が起きるのかはわからない。

 「これはこれは…。明日あたりだねぇ。明日、アンタの身に重大なことが起きる」
 そう言って、タケさんは小さな折り畳みのテーブルから顔をあげた。テーブルといっても50cm四方の小さなもので、天板の真ん中にはタバコで焦げた跡がくっきりとついている。その上にタケさんが何か書き綴った紙が数枚置かれていた。

 このタケさん、実は占い師だった。私が担当していた訪問看護の患者さんで、ウツと高血圧、糖尿病とそれに伴う末梢神経障害があり、そのため片足の親指がない。
 占い師といっても、それが職業だったわけではない。初回訪問時に作成した書類の職業欄には「タイピスト」と記入されていたし、本人の話によると、電話交換手やエレベーターガールといった当時の流行りの職業は全部試したらしいが、どれも続かなかったらしい。実際のところ本業が何だったかよくわからなかったし、本人もそれについては曖昧にしか答えてくれなかった。

 そんなタケさんが有名な占い師だったことを、私は偶然知った。
 ある日、どうしてもその日のうちに渡さなければならない薬があったのだけれど、何度訪ねてもタケさんは不在だった。どうしようと思っていた時、ちょうど本人が近所の喫茶店から出てくるのを見かけて、運よく薬を渡すことができた。聞くところによると、いつもこの喫茶店で食事をしているらしい。それ以来、私はタケさんが不在の時はこの喫茶店を覗くことにしていた。

 タケさんに会うために、ただ立ち寄るだけだった私も、次第に店の人と顔見知りになった。タケさんが占い師だったことを聞いたのは、店の人からだった。その人のことを、タケさんは「ママさん」と呼んでいた。

「タケさんの昔の商売、何だったか知ってる? 占い師、しかもすごくよく当たると評判の有名な占い師」
 そう言って豪快に笑うママさんに、タケさんは苦笑いして言い返す。
「誰が占いなんて商売にするもんか。あれはねぇ、因果なもんなんだよ。商売としてなんかやらないよ」

 ママさんによると、タケさんはどんなに頼んでも簡単にはみてくれないらしい。彼女の気分が乗った時だけみるらしいが、そんな時もごくたまにしかなかった。「当たるの?」と私が聞くと、タケさんはしかめ面でフンと鼻をならした。その顔には、「そんなの愚問だよ」と言わんばかりの表情が浮かんでいた。

 そんなタケさんだが、その生活ぶりはすごかった。タケさんの家はある団地の一室だったが、とにかく家の中がすごいのだ。玄関を開けた途端、犬が数匹出てきて、私に飛びかかるようにしてじゃれつく。よく見ると、どの犬もガリガリに痩せていて、飛びかかってくるわりには力がない。じゃれついてくるというよりは、空腹のあまり食べ物が欲しくて飛びついてくる、といったほうが正しい。

 その犬たちをかわして、中に入ろうとするとまず目に付くのが、廊下の汚さだ。埃だかゴミなのかよくわからないものが、一面にちらばっていて、さらに犬たちのウンチがところどころに転がっている。おもわず足を踏み入れるのを躊躇ってしまうような光景がいつも広がっていて、何度来てもびっくりさせられる。

 たしか他に2つほど部屋があったが、広い部屋の方はダンボールが山のように積まれていて、そこも埃のベールがかかっていた。ダンボールの中身も、タケさんでさえ何が入っているのかわからないという。台所も、汚れて表示すらよくわからなくなった生活雑貨で溢れかえっている。生ゴミを溜めているわけではないので、悪臭がひどくて近所迷惑というわけではないが、一歩間違えるとゴミ屋敷なってしまいそうなカオスぶりだった。

 そんな状態の家で、タケさんは玄関から入ってすぐの小さな部屋だけで生活していた。3畳間に、せんべい布団の万年床。小さな子供用のタンスが一つ。そして折りたたみのテーブルが一台。それが冒頭でタケさんが占いをしていたテーブルだ。そのテーブルも普段は灰皿代わりになっている。訪問すると、いつもそのテーブルにこんもりと吸殻の山ができていて、火事になったら困ると心配して大騒ぎする私に、タケさんはしぶしぶ吸殻を片付けたものだった。

 この部屋にタケさんは一人で住んでいた。家族として息子が一人いたはずだが、行方不明だった。若い頃からウツを患って薬が手離せなかったタケさんは、ウツがひどくなると何もかも億劫になって、部屋の掃除はおろか飼っている犬の世話もしなくなる。もちろん自分の身だしなみもおろそかになる。

 それでも時々気分がいいと、あの喫茶店に出かけていったようだ。ありがたいことに、ママさんもタケさんのちょっとおかしな言動を病気特有のものと思っているらしく、自然体で接してくれていた。
 だから、タケさんがあの喫茶店にいるのを見かけると、私はホッとした。ああ、タケさん今日は気分がいいんだ。そう思うと、なんだか私まで元気になるような気がした。

 そんなある日のことだった。その日は激しい雨が降っていた。私はタケさんを探して、あの喫茶店に顔を出していた。ここ最近ウツ症状がひどくなっていたから、不在だった時は少し心配になって、あの喫茶店にいてくれればいいと気持ちをはやらせて来たのだった。

 でも残念なことに、タケさんの姿はなかった。ママさんに聞くと、ここ2~3日顔を出していないそうだ。私がよっぽどがっかりした顔をしたのか、店を出る時ママさんが私を励ましてくれたくらいだった。ウツがひどい時のタケさんは、まるで浮浪者みたいな様相でフラフラしているので、何かの事故に巻き込まれかねないと常々心配していた。しかも今日はひどいドシャ降りだ。でも見つからない時はどうしようもないのだ。家族でもない医療者ができることにも限界がある。 

 それでもと思い、もう一度家を訪ねると、なんとタケさんは戻っていた。びしょ濡れになった雨合羽から水を滴らせながら、玄関に立つ私を見て、タケさんは顔をしかめた。いつも飛びついてくる犬でさえ、ちょっと逡巡している。雨合羽を脱いで、タケさんのいる3畳間に入ると、タケさんは万年床の上にどっかりと座って、私をじっと見て言った。

「アンタ、こんな雨ん中、何しに来たのさ」
「もう薬がなくなるでしょう。だから持ってきたのよ。これがないとタケさん元気出ないでしょ」
 そう言って私が薬を訪問用のカバンから出すと、タケさんはそれをしばらくじっと見つめた後、そんなモン飲んだって全然元気にならないよと悪態をついて薬を受け取った。

 私はタケさんが無事に家に戻っていたことに気をよくしていたので、タケさんの悪態なんて気にならなかった。悪態をついていられるくらいなら、まだ元気なのだ。しかもこんな雨の日に出かけられるのだから、今日はマシなほうに違いない。そう思って私はタケさんの血圧や脈を測り始めた。そんな私の手元を、タケさんは黙ってじっと見ていた。 

 一通り測り終えて、道具をカバンに仕舞っていると、それまで黙っていたタケさんが口を開いた。
「ねえ、アンタ。アンタのこと占ってあげようか」 

 私自身、あまり占いが好きではない。雑誌の末尾についている占いのページも読まないし、テレビでやっている今日の運勢もほとんど見ない。基本的に信じる気になれないのだ。なんだか未来を決めつけられてしまうようで、窮屈に感じるからだ。本当のところは、アンタは運のない人だとか、何か不運が起きるといわれてしまうのが怖かったのかもしれない。 

 だから、タケさんが占ってあげると言い出した時、「別にいいよ」と返しかけた。
 でもその言葉を私は飲み込んだ。なぜか今回はそれに乗ってみたいと思った。

 タケさんは、万年床のそばにある小さな子供用のタンスから、紙とエンピツを出すと、私にいくつかの質問をした。それらをその紙に書きだすと、すらすらと何かを計算し始めた。その様子がいつものタケさんと違って、妙に勢いがよく力があるように見えて、私はタケさんにいろいろと話しかけた。するとタケさんは、「うるさいよ、今大事なところなんだから」と私を一喝した。

 怒られてしょぼくれた私がしばらく黙っていると、タケさんはテーブルから顔も上げずに語り出した。

 タケさんによると、占いでわかることはその人の基本的な性格と過去にあった大きな出来事、そして未来をどんなふうに過ごすかくらいだそうだ。それも抽象的な感じで具体的な事柄まではわからないらしい。そんなことを言った後、こう付け足した。

「だけど、アンタ。これだけは何だかはっきり出ているよ」 

 明日、アンタの身に重大なことが起きる。ある方角の小高いところに行きなさい。アンタが子供の頃行ったことのある場所だよ。そこで何かがきっと起きる。

 山道を登り始めてから、少し息が切れてきたようだ。さっきから上りがすこしキツクなってきたけど、ペースをゆるめてないからかもしれない。空は、少しずつ明るくなってきている。でもまだ薄暗い。

 結局タケさんの言葉に乗せられて、こんなところまで来てしまった。占いなんか信じないのに。タケさんの言ってることだって確かじゃないのに。ここのところ症状悪化もあって、辻褄が合わず、おかしなことを言ったりもしていた。これだってその一つかもしれない。それなのに一体私は何をやっているのか。

 何かが起きるってどういうことなのかとタケさんを問い詰めてみたけれど、さっぱりわからなかった。タケさん自身も、よくわからないと言った。何かすごいことが起こったり、人生を左右するような人に出会ったりするかもしれない。あるいは大きな事故に遭うかもしれない。そういうはっきりしたものじゃないかもしれない。いずれにしても、アンタのなかで何かが起きるんだよ。タケさんはそう言った。そんな曖昧な物言いに、かえって私は乗ってみてもいいかなと思ったのだ。

 タケさんの家から帰る途中、あの喫茶店に寄ってママさんに言われた言葉も私の背中を押した。タケさんに無事会えたことを伝えたあと、タケさんに占ってもらったことを話すと、ママさんは驚いて言った。
「珍しいわねぇ。タケさん、占い師とかいいながらほとんど占わない人だったのよ」

 人はなぜ自分の人生や未来を占いたいと思うのだろう。未来を知ることで安心したいのかもしれない。あるいは、不運やうまくいかない現状の理由を占いに求めたいのかもしれない。

 私たちは、より良い現実を手に入れるために、情報を収集し、目標を定めて計画を立て、何かを成し遂げようとする。そのやり方が合理的で正しいし、何かを得るためには努力しなければならないと思っている。

 それでも、人生にはいろいろなことが起きるから、どんなに用意周到に計画を立てても、どんなに努力してもうまくいかないこともある。そういう時、人は原因を追求し、自分のやり方が悪かったのではないか、努力が足りないのではないかと、自分を責め、過去を悔いる。そして、未来ができる限り確かなものになるように、さらに頑張ろうとする。

 でも、未来なんて予測できるようで、できないから、人はいつまでも人生の結果がどうなるのかわからないという不確かさを抱えたまま生きていくことになる。その不確かさが怖いから、努力して未来をコントロールしようと必死になる。それでも答えがみえない時、人は「運」というものに原因を求め、未来を委ねるようになるのかもしれない。

 自分の人生に起きた出来事に意味があるのか、今歩んでいる道が正しいのか、この先は保証されているのか。不確かな人生に確かなものを求めて、占いに答えを見出したいのかもしれない。合理的なやり方で未来をコントロールしようとするくせに、不確かな未来が怖くて占いに頼る。

 それでいいじゃないかと、ふと思った。

 私は幼い頃に両親を亡くしたことで、人生がわりとハードモードだった。人生とは、自分の思うようにはならないもの、という思いが強かった。それが原動力となって、自分の人生は自分の希望で決めたいと思っていた。占い師なら、そんな私の人生を、持って生まれた運のせいだと言って、私の肩の荷を下ろしてくれるのかもしれない。それでも、正体もよくわからないもののお告げに、そして、私の人生の苦労を分かち合ってくれるわけでもない占い師に、自分の未来を決められてしまうのは嫌だった。

 でも、人生の意思決定なんて、もしかすると偶然によって決まっていくのかもしれない。その時聞いた誰かの言葉やたまたま目にした何かに影響を受け、図らずも決まっていくのかもしれない。それが人によってはカウンセラーの言葉かもしれないし、占い師の言葉かもしれない。それでもいいじゃないか。それがその人に力をもたらすなら、なんだっていい。大事なのは、その偶然をとらえて身を委ねることだ。いたずらに過去を悔い、未来を案じて揺れるよりも、眼の前の流れに身を任せて楽しむことができるか。それに必要なものは、たぶんありのままを受け取る素直さなのかもしれない。

 最後のとても急な登り道まで来た。これを登り切れば、一番高く開けたところまでたどり着く。
 どうせ何か起きるなら、あの一番高い場所でむかえたい、と私は思った。

 息がこま切れになる。心臓の拍動が身体全体に及んで、頭まで伝わってくる。訪問看護で一生懸命自転車を漕いでいる時ふと感じるような、頭で考えるよりも気持ちにくるみたいな、そんな感じ。
 言葉になる前の、私の細胞ひとつひとつのレベルで、とくんとくんって感じてる、あれ。何も頭に浮かばないんだけど、身体と気持ちがつながっている、あの感じ。 

 そうして、ようやく。
 一番高いところに辿り着いた。 

 息をはずませながら、あたりを見渡すと、そこは明けかけた水色に赤紫色がかった空が一面に広がる。そして眼下の遥か遠くには、人々の住む町並みがかすかに見える。あの一角に、私が担当している患者さんたちも生活しているのだろうか。今ならまだ眠っている頃だろう。 

 少しずつ、空が明るくなってゆく。日が昇る。そうして今日という日が始まる。
 私は、草の生えた斜面にどてっと寝転んで、空を見上げる。風がそっと吹いてくる。汗をかいた身には気持ちいい。 

 はっと気がつくと、少し眠ってしまったようだ。身体をむくっと起こしてみる。もうだいぶ日が高くなってきている。空は、私なんてまるで関係ないみたいに、青く、高いところにあった。私は腕時計をみた。

 12:00、晴れ。

 そうして私は、何かが起きるのを待った。

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【著者プロフィール】
東京生まれ。早稲田大学大学院人間科学研究科修了。

大学附属病院、総合病院などを経て、訪問看護に携わり、多くの人たちの最期を看取る。そのときの経験から「人生の最期はできる限り本人の希望を生かしたい」と思い、生命倫理学(バイオエシックス)の世界へ。アドバンス・ケア・プランニング(ACP)をはじめとする、人生における意思決定支援を中心にさまざまな倫理的問題をライフワークとしており、「医療における関係性のなかの意思決定」や「終活視点で考えるアドバンス・ケア・プランニング」などの講演や、地域と組んで「きらり人生ノート」などのエンディングノートを監修している。また、医療や介護における倫理教育プログラム開発などの研究を手がけている。福島県立医科大学がんの遺伝外来で遺伝カウンセリングにも携わっている。 現在、杏林大学保健学部准教授。

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『ここからスタート アドバンス・ケア・プランニング
~ACPがみえてくる新しいアプローチと実践例』

(へるす出版)

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