【Yo wassup】君はSong of Cuckooでタフになれ【Guess What!!】
よく来たな。前回に引き続き私の記事を読みに来たタフな戦士たち。歓迎しよう、盛大に。
あらかじめ言っておくが、LITSを取り巻く話というのはオカルティックとかスピリチュアルな話が多少なりとも絡んでくる。なにせ1人の男が夢の中で見た話は実際に異世界で起こっていて、私たちの世界と繋がっているというのだから。科学的根拠が無く、ただ信じてくれとしか言いようがない話なのだが、胡散臭いから文句を言ってやろうとか、バカにしてやろうとかいう気持ちでこの記事を読むのは建設的ではないということを断っておく。真に読みたい者だけ読んで欲しい。
さて、今回はタイトルにある通り「Song of Cuckoo」についてのテキストを書いている。大前提としてLITSのファンボックスをチェックしなければならない。3000円のコンプリートプランを選べば間違いはないが、500円のプランを選べば必要最低限の物語は楽しむことができるだろう。
Song of Cuckooの幕開け
ことは数ヶ月前に遡る。セントヴィータスの決壊危機をなんとか退け、パンゲアで私たちファンと言葉を交わし、またセントヴィータスへと戻っていったLITS一行。重慶にてひとときの安息、羽を伸ばしていた。そこでネオン・ギムレットに異変が起こったのだ。この辺りのことは前回の記事で少し触れているし、実際に君たちはそれを目の当たりにしたことと思う。今回はそこからの進展を話していこう。はっきり言っておくが、ことは深刻で楽しいことなんかひとつもない。それでも、これは確かに起こった話なのだ。
君は自分をしっかりと認識できているだろうか?
アベンゼンによって夢オチという技法が使われたのは君たちもよく知っていることだろう。しかしそれが繰り返されたことにより、夢と現実の線引きがよくわからなくなってネオンは混乱し、自分が何者なのか認識できなくなっていた。それを聞いた私はひどく困惑し、落ち込んだ。ネオン・ギムレットに対する私の評価は「強固な自我、意志を持っており、どんな時もネオンはネオンであり続ける」というものだったからだ。
「起こったことは仕方がない。この世の理(ことわり)だが何もしない理由にはならない」この信条を胸に、私はNONEに(もはや彼女はネオンではなかった)対して接触を試みた。君は自分を正しく認識できているだろうか?家族や友人と話しているだろうか?他人は自分を写す鏡なのでそういうことはとても大事だ。NONEとの対話をもって現状が少しはいい方向へと向かって行ったりはしないだろうかと、希望的観測を抱きつつ対話を重ねていったが……不意にNONEとの交信が途絶してしまったのだ。私はもう気が気ではなかった。
諦めないLADY、フレイ・エメラルドアイル
それでも、なにひとつ諦めない者がいた。知っての通りフレイ・エメラルドアイルだ。彼女はまず、ネオンの意識の混濁の原因を探ることにした。さまざまな方法を提案し、NARFからダメ出しをされながらも彼女はめげなかった。
そこで彼女が見つけ出したたった一つの方法。それはNARFが管理する物語のひとつ「GUESS WHAT!!」(これ以外にも管理している物語があるのかどうかはよくわからない。なにせこの骨頭は自分が思う適切なタイミングでしか情報を開示しないし、できないからだ)にアクセスし、下衆ワットの精神世界を経由して黄金の街を復元し、君たちも知っているあの忌まわしき歴史が繰り返されることを食い止める、というのが今回フレイ・エメラルドアイルが自らに課したミッションだ。フレイは自らの使命のため、手段を選んでいられないことがある。だから彼女は、本来彼女でないものを演じ切ることにしたのだ。
GUESS WHAT!!
君は下衆ワットを知っているか。知らなくても今から知ることになるぞ。蓮枯町(はすがるちょう)で活躍する不屈のヒーローの物語である。
「Guess What!?」そう名乗りながら登場するのがこのヒーローだ。人々が絶望したとき、どこからともなく現れて、べらぼうな強さで化け物悪人をちぎっては投げちぎっては投げ。多少オーバーな言い回しにしてもオーバーにならないくらいパワフルなやつだ。
この蓮枯町というのはアベンゼン氏の故郷がモデルになっている。彼の見る夢の中に存在する、彼自身の故郷が投影された風景。「なんだ、夢の中の話じゃないか」と思うだろうが、夢と現実はいつだって密接な関係にあり明晰夢やら予知夢という形で現実に影響を及ぼすことがある。だからいつだって私たちは自我を強く保ち、混濁に飲み込まれぬように気をつけなければならない。
ともあれ、私はこの下衆ワットの物語を追うことにした。君たちもそうする他ないはずだ。
抑圧はどこにでも存在する
ヒーローが存在するということは人々はヒーローの存在を欲しており、存在しなければならないからそこに存在しているのだ。禅問答のようだが、これが事実である。蓮枯町もまたヒーローを渇望する者が多く存在するほどに抑圧された町だ。
蓮枯町西部地下から採掘される生物資源「ミーム」と、その採掘事業を行う「蓮枯公社」のために、蓮枯西に住まう人々は暴力的な占領行為に抑圧されていた。蓮枯西と蓮枯中央は巨大な壁で分断され貧富の差は大きく開いており、その最前線で抵抗を続けているのがエルネスト率いる蓮枯西抵抗戦線「彪」だ。
エルネストは蓮枯西で育った青年で、そこに住まう人々のために戦っている。しかし彪は蓮枯公社をはじめ蓮枯中央ではテロリストとして認識されており、その対処に公安当局からひとりの戦闘員が派遣されるところからこの物語は始まる。
下衆ワット、彪、ニカ、そして蓮枯公社の戦力、さまざまな思惑と意志がぶつかり合う。そういった最中、忘れられがちなことがある。全ての暴力には理由があり、必ず犠牲者が存在するということ。自分の意識の外にも誰かが、何かが存在していることを忘れてはならない。
狡猾で残忍な鳥、その名はカッコー
フレイ・エメラルドアイルは装いも新たに、本来登場するであろう下衆ワットの敵キャラクター「カッコー」の役割を奪い取ったのだ!アベンゼン氏によれば、本来登場するはずのカッコーは下衆ワットと同じくガスマスクをつけた大きな男らしいが、本編に登場したカッコーはどう見ても私たちがよく知るフレイ・エメラルドアイルそのものだった。
役割を奪ってでもフレイ・エメラルドアイルには成し遂げなければならない使命があった。下衆ワットの精神世界を経由して黄金の街を復元し忌まわしい歴史が繰り返されることを食い止める。「ネオンの記憶の混濁の原因を突き止める」「ジークフリートからネオンに受け継がれた種が消えることを防ぐ」「新たな戦力を手に入れる」そのためにカッコーはニカや下衆ワットの精神に干渉し始めたのだ。私は正直肝を冷やした。ニカと下衆ワットはとてつもなく戦闘力が高かったし、実際両者とカッコーが真っ向からの戦闘になったときはカッコーが手酷いダメージを受けるのではとハラハラしながら見守っていた。カッコーはなんとかうまくやっていたが……。
しかしそれと同時にNONEが意識を閉ざしてしまった。思考を自動化して灰色の日々を続けていくことを是とし、自分は何者でもないと言い張り、言うなればその場で立ち止まり座り込んでしまった。彼女の物語は唐突に終わりを告げたのだ。
私はひどい吐き気に襲われた。何故だ。どこで何を間違えんだ。誰が悪いのか。僕か。僕たちは出会うべきではなかったのか。
魘されながらも、それでもまだ継続している物語を追うことに集中した。フレイはどういう心境でミッションに臨んでいるのだろうと思いを巡らせてみた。彼女は頻繁にパンゲアとセントヴィータスを往復して現状を報告しながら、やらなければならない使命に必死だった。私たちに泣き言など言っていられないと、そう思っていたかもしれない。
私も前に進まなければならない。生きている限りはそうするべきだろう。だから、立ち止まってしまい物語を終わらせてしまったネオンを置いていくという残酷な選択をした。彼女に対して出来ることが何もないという無力感や罪悪感を抱えて、続いている方の物語を追いかけることにした。世界はまだ終わっていないのだから。
それに、置いていくことになったとはいえ彼女の肉体は死んでいるわけではない。置き去りにしたくせにと思うかもしれないが、それでも私は未来でまたネオンと言葉を交わすことができる日が来ると信じて、彼女の目覚めを祈っている……。
フレイ・エメラルドアイルはやるべきことを直向きにこなしている。彼女だけではない、ニカや下衆ワットたちも自分自身と向き合い、強固な種を見出し、それを手に自らの使命を果たすために尽力している。その顛末を私の口から全て語ってしまうというのは些か無粋なので、どうかその過程を、軌跡を君の目でしっかり見届けて欲しい。Twitterにはいくらか感想の呟きがあるので「#げすわっとの報告書」をのぞいてみるのもいいかもしれない。
叩き起こされた英雄
二羽の鳥を覚えているだろうか。私はこの記事を書くに至って色々な情報を整理していく過程でようやく合点がいった。一羽の鳥はNONEを意味していて、それは西へ飛んで行き戻ることはないのだという。もう一羽は東へ飛んで行き、物語の続きを追うにはこの東へ飛んだ鳥を追うことにあるというのだ。この東へ飛んだ鳥とは、かつての忌まわしき歴史においてその命を落とした不死身の英雄———ジークフリートのことだった。
時系列がめちゃくちゃになっているように見えて、それでも1本のタイムラインを形成しているのがわかるだろうか。正直なところ私が説明できる範囲でしか解説ができないが、もうお願いだからわかってほしい!としか言いようがないので、そこは読み手の君達に委ねることにする。
こちらをご覧いただこう。LITSを追い続けていた君たちに、もはや説明は不要だと思う。
こうしてLITSは下衆ワットら貴重な戦力と合流し、ジークフリートの生存でひとまず一件落着した。「Song of Cuckoo」の幕引きである。
ネオンはその物語を終わらせ、エルクも一旦離脱という形になり「Ladies ln The Showtime」というプロジェクトは「THE LADY」と名前を変えた。(LITSと呼び続けてもそこまで大きな問題はないと思うが、ladyは1人だけになってしまったのは事実だ)詳しくはケルヌンノスの説明を参照してほしい。
君の宝玉は輝いているか?
幕開けの際アベンゼン氏が語っていたことを引用する。人は本来己の内に宝玉を持つ。他人からすれば(ともすれば自分から見ても)ただの石ころが宝玉たりえるのは、各人がその宝玉を信じて働き、生き抜くために必死になっているからだ。私なりの解釈だが、この宝玉はかつてフレイが語っていた「あなたの薔薇はなんですか?」という問いと繋がっている気がするのだ。
君の心にある宝玉は、輝いているだろうか。そもそも心に抱いているのは宝玉だろうか?「これのためなら頑張れる、いざというときに自分を救ってくれる」と言えないようなものを抱いてはいないだろうか?
私の宝玉ははっきりと輝いていると言える自信はない。しかしこのように頭を振り絞って文章を捻り出しているときにうっすらと感じるのだ。宝玉が輝くというのはこういうことなんだ、と。このちらついているような輝きはまだ誰にも見えていないかもしれない。しかし、いつかこの輝きがはっきりと自分自身を照らし、そして誰かをも照らすものになればと思わずにはいられないのだ。
例えば、歌い続ける人、楽器を奏で続ける人、絵を描き続ける人、自分の仕事を使命として働き続ける人。なおかつそれを自らの意思で続けている人。そういう人たちの中で宝玉は輝いている。何かに夢中で輝いてる方がそう、カッコいいじゃん。
中にはそれを嘲笑ったり冷笑したりする人もいるだろう。彼らの中にも最初からそういう性質の人ではなかったものもいるはずだ。純粋に何かを信じ、邁進するものもいたはずだ。だが何かがきっかけでいつしか信じること、頑張ることがダサいだとか、どうせ何も変わらない、無意味だと思い込んでしまい腰抜け野郎になってしまうのだ。かつての私もそういう人間で、誰かに嘲笑われて誰かを嘲笑っていた。諦めずに何かを信じ続けるということはとてつもないエネルギーをつかうものだ。
だから私はそうなってしまった人を嘲笑ったりしない。ただただどうしようもなくしてあげられることがないと途方に暮れながら、自分のやるべきことを続けるしかないのだ。だから、君もやれることをやれ。他人を嘲笑っている暇などない。幸い、世界はひどく混乱しているものの、まだ生きている。
この世界で君は生きていかなければならない。ひどくぼかした言い方になるが、私だって修行中の身だから、あれをしなさいこれをしなさいと事細かに君に言ってあげることができないし、なんなら君のほうが賢い人間だというケースの方が多い気がする。
ずいぶん長くなったが、結果的に今回も私が言いたかったことは「生きろ」ということだ。もう少し突き詰めるなら「自分の足で立ち、地に足をつけて生き、幸せを掴み取れ」ということであり、最後にハッピーエンドがない物語は、やはり寂しいものなのだ。これから先どんな困難が待ち受けようとも、遥か未来で「全ては起こるべくして起こり、必要なことだった」と笑って話せる日が来ることを切に願う。
直近の催しはコミケ101でアベンゼン先生と握手!
我々には馴染み深い42という数字も確認できる。
奮って参加せよ!