ゲリラ監査役 青海苔のりこ #2
昨晩から続く雨が未舗装の道路を水たまりで埋め尽くしてゆく。
とある限界集落にある一軒の農家。
その玄関前には、まだ朝の6時にならぬという頃から1台のワゴン車が止まっていた。
車体横には『FMNテレビジョン』の文字。
バラエティーやドラマを中心とする全国ネットのテレビ局である。
やがて農家の玄関戸がガラガラと音を立てて横に開き、よろよろとした足取りの一人の老婆が出てくると、間髪を入れずにワゴン車のドアも同じように横にスライドし、車内からはマイクを手にした口ひげの中年男性、そしてカメラマンが飛び出してきた。
あとを追うようにディレクターらしく男。
許可も得ずに門を抜け敷地内に入ると、無遠慮に庭を駆け抜けながら老婆に近寄っていく。
「すみません!FMNテレビの『ザ・ゴシップ最高!』なんですけど息子さんのことでお話よろしいですか!」
そう、老婆の一人息子は先日、仕事で10トントラックを運転中、急病による失神のためタピオカGOの人気スポットに突入してしまい、負傷者多数を出す交通事故を惹起してしまっていたのだ。
「あ...このたびは息子が世間様にとんだご迷惑...」
「まったくです!世の中みんなが怒ってますよ!」
レポーターと思しき口ひげの中年男性は老婆の返答を遮って声を荒げる。
「あ...あの...本当に申し訳なくて...私でよければいくらでもあやま...」
「あなたが謝ってもしょうがないでしょう!」
再びレポーターが老婆の言葉を遮る。
「おばあちゃんね!本当にね!申し訳ないと思ってるならね!息子さんのね!何かないの!卒業アルバムとか!昔の寄せ書きとか!反省の印として出してくださいよ!放送してあげるから!」
何を食べて育ったらここまで厚かましくなれるのか!
「いや...そういうのは息子に勝手に...」
「おばあちゃんね!私たちには知る権利があるの!息子さんは犯罪者で私たちはそれを報道する義務があるの!国民はみな知りたがってるよ!怒ってるよ!」
誰も頼んでいないことを代表者面して捲し立てる!
「で...でもですね...」
なおも首を縦に振らない老婆にレポーターの図々しさも頂点を極めた!
「なら勝手に家に入って探させてもらうよ!私たちには知る権利があるんだからね!」
言うが早いか、家屋内に入ろうとするレポーター!
「困ります、今日はおじいさんの月命日で...」
「知らないよそんなこと!剛武さん押さえといて!」
剛武と呼ばれたカメラマンは老婆を羽交い絞めにして押さえつける!
このどこに国民のための報道があるのか!
ディレクターはマヌケな顔で「次の現場あるから巻いて」というカンペを出すだけだ!雨だからスケッチブックが濡れる!
レポーターが玄関で靴を脱ぎ勝手に上がり込んだそのときだ!
「グワーーーーッ!!」
玄関から上がり込んだはずの彼は地面と水平にすっ飛び、また玄関から庭へと転がり出る!泥だらけ!
「!?」
驚いた剛武が玄関を見やると、そこには長い金髪をポニーテールにした20代後半から30代前半に見える女性が両手を腰に当てて仁王立ちしていた。
少し痩せ過ぎとも見える体型と褐色の肌からは、得も言われぬ精悍さと迫力のようなものが感じられた。
「だ…誰だアンタ!?マスコミに暴力を振るうのか?私たちは国民に真実を伝える崇高な役目を...」
「卒業アルバムです」
レポーターの抗議に対し、女は抑揚のない機械的な声で答える。
まるで永久凍土の中から発見されたカミソリのような冷たさだ。
女は言葉通りに卒業アルバムを手にしており、それを手渡すように前にかざした。
「ふ...フン!この家の人?あるならとっとと出せばいいんだよ!」
レポーターは乱暴に卒業アルバムをひったくると、目に留まった付箋のついているページを開く。
そこには────。
・漆黒の魔剣(魂を食べる)を操る暗黒騎士
・魔族と人間のハーフで怒ると顔に紋章が浮かぶ
・婚約者はハーフエルフで同じクラスのミミちゃんに似てる
「アバババババババーーーーーーーッ!!!」
頭を抱えてのたうち回るレポーター!
そう、これは卒業アルバムなどではない!
『中学2年生ノート』だ!
それも老婆の長男のものですらない!
レポーターのものだったのだ!
「ど...どこでこんなもん手に入れた!あんたなにもんだ!」
誰何の声に変らぬ冷たい声が答える。
「私はゲリラ監査役青海苔のりこ。FMNテレビの監査役です」
「そ...そんなこと聞いてないぞ!」
レポーターが吠える。
「何をデタラメ抜かしてやがる!」
カメラマン剛武も怒鳴る!
『次の現場あるから巻いて』
ディレクターのカンペは変わらない!
「当然です。ゲリラですから勝手に就任します」
ゲリラゆえに隠密!勝手に就任していても何ら不思議はない!
これではレポーターたちは反論が不可能!
「監査とわたしのノートは関係ないでしょ!?プライバシーの侵害ですよ!」レポーターが口角泡を飛ばすが、のりこの返答は冷淡だった。
「いいえ。取材対象のプライバシーを侵害しているのはあなたたちです。監査規約及び社内規定に従い懲戒を加えます。始末書の様式は共有フォルダにありますので参考にするように」
「ふざけんなーッ!」
激昂してのりこに襲い掛かったのはカメラマンの剛武!
大学時代チェスに打ち込んでおり身長198㎝、体重55㎏の巨体だ!
剛武の右ストレート!
しかしのりこは首を僅かに傾けるだけでこれを回避!
通過した剛武の腕、その肘部分を抱え込み、曲がってはいけない方向へ思い切り力を加えた!
「グバッ!ギョバババェェェェー!!!」
骨露出!
のたうち回る剛武に対し、のりこは庭に置かれていたビール瓶のケースを振り上げ執拗に頭部殴打!
「グワーッ!グワーッ!」
角の部分を的確に使って殴打!失神!
惨劇を目の当たりにしたレポーターは驚愕!
「しょ...傷害事件だぞ!訴えてやるからな!会社もついてるからな!マスコミが本気出せば...」
「ゲリラ監査は正当な業務行為のため違法性が阻却されます。医者が手術でメスを使っても傷害にならないのと同様です。わかりますか」
一向に変わらぬ冷たい声だ。
「この野郎ォーッ!!!」
レポーターは怒りに我を忘れ殴り掛かる!
のりこは無表情のままスウェー回避!
渾身のフックは宙を切り大きくふらつく!
そこへしなるようなのりこのローキックが炸裂!
パシーン!
極大のメンコをアスファルトに叩きつけたような音。
ほんの少し間を置いて、レポーターは膝から崩れ落ちる。
「あ...あのそのへんで堪忍してあげてつかあさい...」
老婆が割って入ろうとするが、のりこはそれを手で押しとどめる。
「監査はキチンと最後までやらないといけません。わかりますね」
変わることのない声。
突然家の前の道路が騒がしくなった。
報道用のワゴン車がいくつも到着すると、その中からレポーターやカメラマンがどんどんと口ひげレポーターとのりこの元にやってきたのだ。
どれもこれもFMN系列のものではない。
わけのわからぬ口ひげレポーターを尻目に、他局の連中は次々と放送を開始した。
「ご覧ください。こちらが漆黒の魔剣を操る暗黒騎士の...」
やめろ。やめてくれ。
声にならない叫びが山間の村に響き渡っていった。
─────
ここは夫の不倫が発覚した大女優の自宅。
FMN放送用ワゴン車の中で、玄関の様子をうかがうレポーターとカメラマン2名。
「まったく、あのヒゲ野郎連絡もつかないで何やってんだ」
「おかげで俺らが代理出動っすかwww」
「まぁ文句ばっか言ってても仕方ねぇ。お、玄関開いた、行くぞ」
レポーターとカメラマンが飛び出す。
ディレクターは車内で「次の現場あるから巻いて」のカンペを作っている。
自動シャッターの向こうから現れたのは金髪ポニーテールの痩身褐色女性だった。
彼女は冬場の大理石よりも冷たい声で2人に告げた。
「ようこそ。で、何をお知りになりたいんでしょう?」
【終わり】