せかいのいじん「ナポレオン」
やあよい子のみんな、今日もれきしのじかんだよ!
きょうはナポレオンのロシア遠征(へいしを引きつれてとおい国でドンパチすること)のおはなしだ!
ナポレオンというのはフランスの皇帝(いちばんえらいひと)になった人で、1769年から1821年まで生きたひとだ。
ワットが蒸気機関を改良したころに生まれて、松前藩主が蝦夷に転封されたころに死んだっていえばきみたちにもわかるかな?
とにかく、ナポレオンはフランスという国の一番えらいひとで強かったので、大陸封鎖令(たいりくふうされい)っていう命令をだして、みんなでイギリス(ロビンマスクの国だね)をイジメていたんだけど、イギリスはせかいの工場と呼ばれるくらいの国でおもちゃも沢山あったから、ロシアくんが命令をきかずに仲良くしちゃったんだ。
え?裏切りは死を以って償わなければならないって?
そうだよね。もちろんナポレオンもそうかんがえたんだ。
封鎖令の継続を拒否したロシアに対し、ナポレオンは同盟諸国の兵60万人を率い同国への侵攻を開始する。これがロシア遠征(ロシア側で祖国戦争と呼称される)である。
60まんにんがどれくらいスゴイのかというとね、君たちのおとうさんとおかあさんが30まんにんずついるかんじだね。すごいだろう。
で、ロシアの将軍(へいたいに命令するえらいひとだ)のクトゥーゾフは70歳にちかいおとしよりだったんだけど、隻眼(伊達政宗とか夏候惇みたいなことだ)でかっこよくて頭もよかったので、ナポレオンとちょくせつケンカをしないようにしたんだ。
ナポレオンのつよさは世界的にゆうめいだったからね。
そこでクトゥーゾフがやったのが焦土作戦(しょうどさくせん)だ。
焦土作戦というのはとにかく火をつけてもやそう。もやしたあとはさむい(ロシアの冬はマイナスいちまんどになる)からみんなしぬぞ、というさくせんだと言われてたけど、本当はちがったんだ。それをいまからせつめいするね。
モスクワ(ロシアのいちばんおおきいまちだ。にほんでいうとメキシコシティだね)にまで火をつけたクトゥーゾフはT.M.Revolution(てぃーえむれぼりゅーしょん)を呼ぶんだ。うたをうたっているひとだね。
♪凍えそうな季節に君は愛をどうこう言うの~♪
TMRが歌うとロシアはますます寒くなって、ナポレオンのへいたいはみんなしんだのさ。
でもナポレオンもきみたちみたいにあほじゃないので、ちゃんとさくせんがあった。
TMRをたくさんのお金で引き抜く(みかたにすることだ)と、今度はフランスのためにうたわせたんだ。
♪カラダを夏にシテ カゲキに さぁ行こう♪
へいたいのカラダが夏になったので寒さが平気になったんだね。
でもクトゥーゾフもきみたちみたいにあほじゃないので、まださくせんがあったんだ。
今度は広瀬香美(ひろせこうみ)という女の人をよんだ。
このおんなのひとは冬の恋愛脳をうたわせたら世界一というひとで、ロマンスの神様にマシュマロをなげまくってしつもんしたりして、またモスクワが冬になった。
またさむくなったのでナポレオンのへいたいはみんなしんだ。
でもナポレオンはきみたちみたいにあほじゃないから、ひみつへいきをよういしていたんだね。
TUBE(ちゅーぶ)というひとたちがパリから到着して歌い始めるとモスクワはまた夏になった。きりがないね。
結局、クトゥーゾフは「このままだときりがないから春にしよう」ってナポレオンに言いだすんだ。
ナポレオンも春ならケンカができるし、ケンカできれば負けないとおもっていたので、さんせいして春にすることになった。
そこで呼ばれたのが森進一(もりしんいち)というひとだ。
彼に春の歌をうたってもらってモスクワを春にしようというさくせんだね!
♪襟裳の春は~何もない 春で~す♪
森が歌ったあとには何もなかった。
ナポレオンの大陸軍も、ロシア軍も、モスクワの街並みすらも跡形もなく消えていた。
まるで最初からそこには何もなかったかのように。
ただ、春風だけがシベリアの大地を駆け抜けていた。
【おわり】