『オグバンジェ』
ピンポーン。
6度目のインターフォン。
やはり返事は無い。
(何が何でも親権を取るべきだった)
國谷巽はかつての我が家の前で額に汗を浮かべる。
協議の上、2か月に一度と定められた娘との面会日。
いつも同じボロボロのジャージ。
他の子に羨ましがられた長く綺麗な髪はボサボサで、枯れ枝のような両腕で覚束なくナイフとフォークを使い、「この前おとうさんと会ったとき以来」というハンバーグを口に運んでいた。
11度目。
巽は意を決し懐に手を伸ばす。
娘がこっそり作ってくれた合鍵。
知られたら元妻に何を言われるかわかったものではない。
久しぶりに開ける玄関ドアは思ったより重みを感じた。
照明はどこも点いておらず、真っ暗な廊下が居間へと続いていた。
元妻も娘も留守なのだろうか。
いや、子供部屋には明かりが灯っていたはずだ。
「おーい」
巽は居間へと呼びかけるが返事はない。
「恵、今日は面会日だったはずだろー?」
元妻の名を呼ぶ。やはり返事はない。
靴を脱ぎ玄関に上がり、壁に手をつきながら廊下を進む。
ビール缶の詰まったゴミ袋が足に当たると、がらんがらんという音が暗闇の中に響き渡った。
「おーい、お父さんだよ!」
無人の居間に入り照明のスイッチに手を伸ばす。
オレンジの光に照らされる思い出のリビング。
巽は深く息をつくと周囲を見渡した。
テーブルの上、筆記用具とノートが目につく。
全てのページが同じ漢字でびっしりと埋め尽くされていた。
娘の字だ。
(まだこんなことやらせてたのか)
怒りを抑え静かにノートを閉じる。
「おとうさん?」
娘の声がして巽は顔を上げた。
見慣れたジャージ。
ボサボサの髪。
でも、何かが違う。
「美紗、お母さんはどこ──」
違和感の正体に気づく。
娘は笑っていた。
あのころと同じ笑顔で。
「はじめまして、おとうさん」
そう言って恭しく頭を下げた。
【続く】