カレン・ザ・トランスポーター #26
前 回
夜風が枝葉を鳴らす音だけが、女神の泉、いや、かつてそう呼ばれていた場所に響き渡る。
20を超えるランタンの光が、ここだけをまるで真昼のように照らしていた。
泉の真横にすらりと自然体で立つのは、薄紫のメイド服の少女『運び屋ギルド』の受付嬢シャーレ。
彼女を取り囲むのは、およそ20名の男たち。
上質な革鎧とショートソードで武装したラジャック村の森林自警団が15名ほど。
残りは自警団の腕章も身に着けておらず、装備もバラバラ。
だが醸し出す雰囲気からは全員が歴戦の強者であることがうかがえる。
重厚な鉄鎧と戦斧の重戦士。
筋骨隆々な肉体上半身を晒した巨漢のグラップラー。
ブレストプレートにダガー二刀流の軽戦士。
弓を携えたウッドエルフのレンジャー。
上質な絹で誂えた神官服のプリースト。
そしてローブをまとったウィザード。
彼らはすでに得物を構え、油断なくシャーレの周囲に展開し、その隙を伺っている。
そう、たった1人の少女に20名からなる男達が隙を伺っているのだ。
彼女は細めていた目をゆっくりと開き、自身に敵意を向ける集団ひとりひとりの顔を、血のように真っ赤な瞳に映していく。
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【FEAR!】【FEAR!】【FEAR!】【FEAR!】【FEAR!】【FEAR!】【FEAR!】【FEAR!】【REGIST】【FEAR!】【REGIST】【FEAR!】【REGIST】【FEAR!】【FEAR!】【FEAR!】【REGIST】【FEAR!】【REGIST】【FEAR!】
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「ヒッ...!」短い悲鳴があちこちから聞こえた。
振り返ったダガーの軽戦士が見たものは、自警団員たちの異様な姿であった。
ある者は目を見開き、生まれたての子鹿のように膝を震わせている。
ある者は得物を取り落とし、両手をだらんと下げたままぼんやりと前方を見つめ、またある者は両手で頭部を抱え胎児のような姿勢で地面にしゃがみこんでいた。
戦闘経験の浅いものたちで構成されているとはいえ、15名からなる男達が一斉に恐慌状態に陥ったのである。たった一人の少女を前にして。
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KIRITO:ウソだろマジか。こんなのwikiにものってねーやつじゃん。
RIVAI:とにかくあの逃げたNPCつかまえたほうがよくね?
AINS:ワザそく!にこんなの書いてなかったんだけど?
SNEAK:いいから追うわ俺、あとたのむわ
KIRITO:おk
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軽く身を屈める仕草の後、レンジャーが地を蹴って駆けだした。
シャーレの右手5mほどの地点を矢のような速さで通り過ぎ、真っ暗な林の向こうにその姿が消えようとした瞬間。
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【DROWN!】
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どさり、という音と共にレンジャーがその場に倒れた。
まるで絞首紐〈ギャロット〉に絞められたように物凄い形相で、首をかきむしりもがき苦しむ。
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EREN:え?
RIVAI:ちょwwwwどうしたんww
SNEAK:◆【DROWN】中はチャットを行うことができません◆
EREN:は?ワケわけんないnだけd
SNEAK:◆【DROWN】中はチャットを行うことができません◆
AINS:【DROWN】って溺れてるときのバステだぞまじか
KIRITO:いいから早く直せ治せ
EREN:そんなじゅもんねーし
SNEAK:◆【DROWN】中はチャットを行うことができません◆
SNEAK:◆【DROWN】中はチャットを行うことができません◆
SNEAK:◆【DROWN】中はチャットを行うことができません◆
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レンジャーは金魚のように口をぱくぱくと開閉させ、白目を剥いてもがく。口からは白い泡を吹き、顔面は傷んだ林檎のように赤黒く染まっている。
彼女はレンジャーの体内を通り抜ける風=空気に対してたった一言、こう命じたのだ。「動くな」と。
かくして彼は息を吸うことも、吐くこともできなくなった。
ほどなくして死ぬだろう。
少女の姿をした怪物がくすくすと嗤う。
一番厄介な追手を真っ先に潰せたことに。
自身を、そしてギルドを侮った愚か者が見せる間抜けな姿に。
だがその笑いを遮るように、青白い雷光の帯が彼女に襲い掛かる。
ウィザードの掲げた杖から放たれた魔法〈ライトニング〉は顔面付近で爆散。直撃か!?
否。彼女の眼前には、衣装と同じ薄紫色に輝く魔法陣が幾重にも張り巡らされ、恐るべし致死の電光を雲散霧消させていたのである。
その魔法陣の向こう側で、もう一度怪物は笑った。
鋭い2本の犬歯を剥き出しにして、彼らを嘲るように。
電光が阻まれるのとほぼ同時に、左右からシャーレに迫っていた2つの影が同時に斬りかかっていた。
右手からは巨大な戦斧が横薙ぎで胴体を両断しようと迫り、左手上空からは鋭いダガーが高速回転する持ち主に合わせて美しい銀の螺旋を描いている。
2人の戦士が白兵戦に持ち込んでいる隙をつき、神官服の男がレンジャーに駆け寄るが、何も手立てを見出せないでいた。
「ふンぐッ!?」
鉄鎧の戦士が小さく短い唸り声を漏らす。
巨大な魔法の戦斧の一撃は多重に張り巡らされた防御魔法陣を全て粉砕したが、腰部を切断するまでには至らなかった。
まるで針金のように細い少女の指先が、1枚の羊皮紙をつまみ上げるがごとくに、超重量、高速度の刃を挟み込んでいたからである。
「ぐあああッ!」
二回り以上の体格差がありながら、斧を押し込むどころか引くこともできない。
同時に攻撃を仕掛けたはずのダガーの軽戦士は?
彼は少女の左手7~8mほど前方、へし折れた杉の幹に背を預けるように倒れていた。
戦斧の刃が食い止められるのと同時に、彼女の背から突然生えた真っ黒なマントのようなものに弾き飛ばされたのである。
激痛に耐え身を起こした軽戦士は、それが何であるかを認識した。
片翼ながら翼長3mはあろうかという蝙蝠の羽。
夜を煮詰めたかとも思える漆黒の中で、時折深紅の光条が蜂の巣のような紋様を描き明滅していた。
がしり。
斧を動かすことができず苦心していた重戦士の前腕を、少女の小さな手が掴んだ。
皿の上のバナナを拾い上げるくらいの自然さで。
ぐしゃり。
重戦士の前腕が───なくなった。
鉄製の籠手は粉々になり、肉は潰れ、骨が砕けた。
言葉にならない悲鳴が夜の杉林に響き渡る。
彼は血の赤と泥の黒に塗れ、己の肉体を旅立った手首から先、それをもう片方の手で拾い上げ、ふたたび声にならない叫びをあげた。
紫色の少女はずっと、くすくすと嗤っていた。
【続く】