カレン・ザ・トランスポーター #8
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――――ガルム峡谷。
急流であるガルム川によって浸食され作られたこのV字谷は、かつて川下りや紅葉狩りなどで金持ちのための景勝地として有名だったのだが、数十mから数百m単位で切り立つ岩壁や、そこに穿たれた無数の洞穴などから、天険の要塞としてゴブリンやコボルドなどが棲みつき、今となってはもう誰も近づかない指定危険区域と化してしまった。
私はその入り口、切り拓かれた広場で峡谷を見下ろして、脳内でルートを再構築する。
最短ルートを進むならばそのまま目的地の洞窟まで直線距離を突っ走ればよい、しかし今回、できれば洞窟に辿り着くまでにあのオッサンをシバキ倒してトランクを奪回したい。
あのオッサンが洞窟の門番に「運び屋がヘマをしたので私が直接持ってきた」とか言い出したら信用問題になるし、よしんば寸前で間に合ったとしても
「すみません、うっかりトランクが入れ替わっちゃって…」
などと依頼関係者の前で口走れるわけがない。
だから、”あのオッサンが通りそうなルート”を全力で追いかけ、トランクを取り戻して素知らぬ顔で届けて、んじゃお疲れさまでしたーとするのが最善である。
公金横領とか使途不明金とかは私の知ったこっちゃないし、何より経過を話すとこちらの不手際もバレる。
向こう側だってわざわざ自分たちの不始末を王女様に話すわけが無いだろうし、これが一番誰も傷つかなくて済むのだ。きっとそうだ。
ガタン、という物音に振り返る。気配は何もなかったはずだが。
背後の土産物屋だったと思しき小屋、そこに括りつけられた看板の留め金が外れて風に揺れていた。
「いつからこんな風なんだろうなぁ」
独り言をつぶやいて改めて周囲を見渡す。
触れただけでボロボロと崩れ落ちそうな柵、川岸で苔に覆われている遊覧船、何もかもが時代の流れと詫び寂を私に教えてくれるようだ。
この建物も昔はずいぶんと繁盛したのだろう。朽ち果てて揺れる看板に刻まれている文字を何とか読もうと試みる。
「名物ガルム饅頭 1個銀貨2ま…い…?」
高 ッ !
★のついた宿でランチが食べられる額だぞ??
ちくしょうブルジョワジーめ!何が詫び寂だ!一揆起きろ!
毒づきながら腰に吊るした革袋に手を伸ばす。
10個入りで銅貨5枚の特売干し肉を齧りながら石段を下りて崖の下へ。
おっさんは川べりを進むだろうから、中間地点のあたりまで森を一直線に突き抜けよう。
そう考えて屈伸などをしていたときだ。
「キシャアアアアアアアアッッッッッッ!!!」
「のわぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!???」
どっちがモンスターの威嚇でどっちが中年もじゃ毛変態執事の悲鳴かわからないような声が2種、ほぼ同時に峡谷に響き渡った。
現在地点にあたりがついたのは有難いが、おっさんはともかくトランクに万が一のことがあっては非常にマズい。
駆け出す。
一陣の風となって森を抜けていく。
私はカレン・キューピッチ。
王都でも有数の運び屋だ。
今は高級下着が満載のトランクを追っている。
つらい。とてもつらい。
【続く】