ゲリラ監査役 青海苔のりこ #9 後編1
「こんにちは。監査役の青海苔のりこです」
『監査役』を名乗った女はモデルのような8頭身体型を男物の紺色ビジネススーツに包み、ブロンドの髪を後ろでポニーテールに束ねている。
碧の瞳と茶褐色の肌が印象的な端正な顔たちの美女である。
だがその表情は愛想というものを自宅に忘れてきたかのように微動だにしない。
その足元には彼女自身によって障子紙めいて引き裂かれた鉄製ドアの破片。
室内の反応は様々だった。
「え…」
「あわわわわ...」
事態を飲み込めず平静さを失う者。
「喝ーーーーッ」
喝をする者。
「わ、私は一介のADです!やれっていったのはこの人たちです!」
「そうそう、私も単なるディレクターです!本当は嫌だったんです!」
上司を売る者。
「アー...最高...疲れが取れる...空いっぱいのニジイロナメクジだ...」
フェニルメチルアミノプロパンの塩類を吸引する者。
「もしもし!守衛室ですか!もしもし!誰か出ろよ誰か!!」
努めて冷静に対処をしようとする者。
「skip、reverse、またskip、UNO、で、あがり」
「きたねぇぞ!」
UNOをする者。
そして
「セキさん、ここはオイラッポンに任せてください!」
妙な一人称で番組上層部へのアピールポイントと粋がる中年男性。
逆モヒカンの髪型にレインボーのスポーツサングラスがよく似合う。
だが会議の場には似合わない。
身長199cm、パンパンにビルドアップされた胸囲は130㎝!
両の腕回りは60cmを超える。
かつて「ランキング1位の常連」とまで呼ばれたプロボクシング元ライトフライ級王者、バルーン尾形だ。
引退後は自身の試合を放送した東京毎日チャンネルのコネでコメンテーターの座に収まっており、貧弱な語彙を「これは強烈なストレートですね」「これは強烈なカウンターを喰らいましたね」「これは強烈な判定になりそうですね」の3パターンのみでカバーしている。している。
「あなたは強烈な無断侵入ですね!」
両の拳を口元に添え、前傾姿勢でのりこにダッシュしていく尾形。
世界を獲り損ねた右のストレート!
だがのりこは頭をわずかに傾けただけでこれを躱す。
そんなことは予測済みだとばかりにすぐさま左フックが襲い掛かる!
世界を獲り損ねた必殺のワンツーだ!
しかし尾形の左拳ものりこには届かない。
世界を獲り損ねた拳は細く長い指に包まれ押しとどめられたからだ。
ならばともう一度右拳が潜水艦の緊急浮上めいて顎を狙う!
これが世界を獲り損ねたアッパーカット!
────勝った。
そう確信した尾形の視界から、のりこの頭部が消えた。
刹那、脳が疑問を感じる前に尾形の全身に衝撃が走った。
上体を反らしたスウェーイング回避と同時に、のりこのつま先が彼の自慢のバルーンを蹴り上げたからだ。
「~~~~ッ!!!!」
体温を一瞬で奪われたような悪寒、直後に襲い来る激痛!
股間を押さえ無言でのたうち回る尾形を氷の視線で見下ろすのりこ。
「これは強烈な痛みですね。そんなだから世界を獲り損ねるんです」
表情を全く変えることなく尾形へ言い放つと、次の敵意に備えゆっくりと前を向く。
放電する棒を手にして飛び掛かる小太りの男、25歳のADデンミツ!
カスタムを重ね2万5000ボルトにまで至った自慢のバトンスタンガンは、レアグッズ販売の行列に並んだ奴の後をつけて、ひと気の無い場所で脅し取るための神器であり、数え切れぬほどの戦果を誇る。
半歩遅れて向かってくるのは44歳ディレクターのカスタニ!
妻子を放置してFPSにのめり込み、あわや離婚寸前になったものの、殺傷能力を持つ改造モデルガンを突きつけることによって難を逃れたのだ!
腰のホルスターに収まったその数は、娘のプレゼント代を削り、固定資産税を滞納、新聞を解約するなどの財テクを経て今や3丁へと増えていた。
最後、両者をまるで盾にするかの如くその背後に隠れて近づきし黒装束黒頭巾の小男は、35歳暗殺者のヤミヤマ!
ダガー2刀を逆手に構え前傾姿勢で滑るように距離を詰める!
のりこは全く表情を変えずに3人を一瞥すると、テーブルの上から会議出席者用に用意されてペットボトルを手にしてキャップを開け、デンミツめがけ斎藤雅樹めいたサイドスロー投擲!命中!次の瞬間!
BARIRIRIRIRIRIRIRIRIRIRI!!!!!
広い会議室中が眩い火花と閃光に晒される!
高電圧スタンガンのスイッチを入れたまま突進してきたところに、ミネラルウォーターのペットボトルを投げつけられるのだ、いったいどうなるかは即座にデンヤマから距離を取ったヤミヤマがよく知っている!
「「ピカッ!ピカカカカカカカカカカカーーーーッ!!!!」」
デンミツ、そしてマヌケにもそのすぐ横にいたカスタニはペットボトルの中身をまともに浴びていた。
壊れたネオン看板めいて両者の全身は激しく明滅する!
「「ビガガガガガガガッ!ビガッ!ビガーーーーーッ!!!」」
数秒後、炭のように黒焦げになった2人が死のダンスを終えた。
衣服、皮膚、そしてそれほど多くはない髪の毛が焼ける嫌な臭い。
わずかに呼吸に揺れる両肩が、かろうじて息があることを示していた。
のりこは無言・無表情のまま燻ぶる煙の向こうを見つめる。
そこには2本のダガーを構える黒装束、ヤミヤマ。
「......マヌケめ」
小さく毒づくと前傾姿勢でのりこに向け疾走開始!
煙は瞬く間に左右に掻き分けられる。
間合いに入ったヤミヤマは左のダガーで横払い一閃!
のりここれをバックステップで回避!
ヤミヤマ、回避に合わせ右足を大きく踏み込み、右手のダガーを掌中で回転、即座に順手に持ち替えると心臓めがけ鋭い突きを繰り出す!
しかしのりこ、これもリンボーダンスめいた超人ブリッジで避ける!
突きの勢いでヤミヤマのバランスが前のめりになったのをゲリラ動体視力は見逃さない!
上体を跳ね上げブリッジ状態からもとに戻るその勢いを利用し、黒頭巾に覆われた鼻っ柱へ前頭部を叩きつける!
古来より起きあがりこぼしが単なる童の玩具ではなく、頭突きの練習器具であったことを証明するに足る必殺の一撃!
ぼたり。ぼたり。
おびただしい鼻血。鼻骨骨折は間違いないだろう。
「はっ...はひっ...ひっ...ひひ...はっ...はーっ...」
うずくまり、恥じらう乙女のように両掌で顔を覆い、短く荒い呼吸を繰り返すヤミヤマ。
カッ。
のりこの革靴の踵が鳴る。
間合いを詰めたのだ。
ヤミヤマはハッと顔を上げ、すぐそばまで来ていたのりこに掌をかざし、戦闘意欲のないことを示して言った。
「ま、待った!降参だ!俺はアンタの側につく!」
そのままもう一方の掌も向け両手を挙げる。
しかし次の瞬間!
「かかったりーーーーッ!!!」
ヤミヤマの口から発射されたのは視神経毒を塗った隠し吹き矢だ!
まっすぐにのりこの眼球めがけ飛んでいく!
カキン
「え?」
アホみたいな顔でアホみたいな声を出したヤミヤマ。
刹那、状況を把握する。
透明のバリヤー?否、アクリル製のフェイスガードだ。
飛沫拡散防止用に着けていたフェイスガードに逆転の秘策が破られたのである。
「……へ?」
再度のマヌケ声。
そしてヤミヤマの脳裏をよぎる僅かな違和感。
呼吸を整え、落ち着いてフェイスガードの向こう、この恐るべきゲリラ...…ゲリラ?監査役とやらの視線を確認する。
違和感の理由、氷解。彼女の視線は自分ではなく、何ゆえかその背後に向いているのだ。
直後、後頭部に衝撃、激痛。
思わず振り返ると、そこには殺人アオダモ製のバットを手にし、黒白にオレンジのラインが入った野球ユニフォーム姿の壮年男性。
「......え?」
3度目の呆けた声をあげたヤミヤマの目の前、シーズンV9を遂げた無敵球団『大正義ギガンツ』のユニフォームを纏ったハリーは、全盛期を彷彿とさせるスイング一閃。ヤミヤマの顔面を文字通り打ちぬいたのである。
ぐしゃり、という嫌な音。血しぶきがのりこのフェイスガードにも飛ぶ。
うつ伏せに倒れ伏すヤミヤマを一瞥もせず、ハリーは殺人アオダモ製バットをのりこへ突きつけ言った。
「敵に寝返るような裏切り者は喝だ!喝!」
のりこは表情を崩さず答えた。
「まったく同感です」
ハリーの眉間の皺が深まる。
「どういうことかね?」
静かに、しかし明らかに怒気を帯びた声で問う。
「貴方たちは」
のりこは指先を揃えた左手を前にかざし、右足を引いた半身の構えのまま腰を落とす。
顎をわずかに上げてハリーと目線を合わせた。
その唇から、再び冬のベーリング海の如き冷たい声が発せられる。
「視聴者を裏切りました」
ハリーの目がすっと細みを帯び、眉間の皺が深さを増す。
セキは両肘をついて手を組んだまま、こちらものりこと同じく一切表情を崩さない。
ヤミヤマの顔から流れる血が床に広がる。
デンミツとカスタニから立ち上る煙が両者の間をゆっくりと流れていく。
「ドロー2」
「ドロー2返し」
「ドロー2返し返し」
「ちゃぶ台返し」
「あっ反則だ反則ー」
「うるせー」
UNOをする者たちが死闘に関係のない雄叫びを上げる。
ハリーはバットを構える。
『広角打法』それがハリーのバッティングにつけられた異名だ。
左翼手、右翼手、中堅手、果ては捕手に主審まで、文字通りの広角、360°あらゆる方向へ打球を打ち分ける魔技。
すでに傘寿を迎えた老齢の身。
だが、
(私は何ひとつ衰えちゃいない......)
その闘志、その怒り、その誇りが彼の網膜に在りし日の後楽園球場を映し出す。
1対0、9回裏二死一塁を示すバックスクリーンのスコアボードが見える。
スタンドを埋め尽くす大観衆が見える。
マウンドに立つ金髪ポニーテールの不愛想な女が見える。
「3番レフト、ハリー・イサヲ」自身の出番を告げるウグイス嬢の声が聞こえる。
「かっとばせー!ハリー!」大正義ギガンツの帽子を被った少年の応援が聞こえる。
「あっ、今UNOって言ってない反則ー」「言・い・ま・し・たぁぁぁ」
ろくに仕事をしないADたちの声が聞こえる。
「さあ、来い!」
脳内球場のバッターボックスの中、フォームに微細な乱れも生じさせず吼える。
しかしのりこ微動だにせず。
そう、ここがいかに後楽園球場であろうが、のりこの周りにマウンドが見えていようが、彼女は投手ではない、監査役、それもゲリラである。
「どうした!早く投げてきなさい!」
苛立つハリー。その眼光を現在の野球投手が受ければ、恐怖のあまり宣誓四球を審判に告げかねないだろう。
しかし、しつこいようだがのりこはそもそも野球選手ではないし、ゲリラである。
マウンド(幻覚)からキャッチャーミット(幻覚)に向けて放たれたのはボールではない、投手だった。
一瞬身を屈めたのち、マウンド(幻覚)を蹴ってのりこ(現実)が突進してきたのだ。
通常野球の打者であれば、マウンドから投手が突っ込んで来たらそれはもう乱闘か何かの開始だと思うだろう。まあこれも乱闘なのだが。
しかし殺人野球では、打者はバットさえ使えばありとあらゆるものを打つことが認められているのだ!それは女性の頭部であっても例外ではない!
低い姿勢で駆けてくるのりこの頭部は、ちょうどストライクゾーンのど真ん中!ハリーは大きくバックスイングし、殺人アオダモバットを振り抜いた!
しかし、本来そこにあるはずののりこヘッドはバットの遥か下!
バットが当たる寸前でさらに頭部を下げる低姿勢にチェンジしたのだ!
フォークボールである!
のりこはそのままハリーの左膝裏あたりを両腕で抱え込み、思い切り手元に引き寄せる!さながらレスリングの片足タックルだ!
「うおッ!?」
足元を払われたハリーは仰向けに転倒!床に後頭部痛打!
しかし大正義ギガンツの黒ヘルメットが脳を守り無事!
「ぐぬぬ」
頭を起こすハリーの視界に入ったのはのりこであった。
それぞれの手でハリーの両足首を掴み、ハリーは仰向けのまま、両脚を大きくハの字に開くような屈辱的な恰好をさせられている。
「こら!離せ!離さんか!喝だ喝!」
怒鳴るハリー。しかしのりこにその言葉が届いている様子はない。
「離せと言ってるだろ!喝!」
もがくハリー。しかしのりこは両足首を脇下にがっちり抱え逃がさない。
そして、のりこの唇から真冬のベーリング海のような冷たい声が発せられた。
「攻守は交代しました」
「は?」
訝しむハリー。直後、下腹部に激痛が走り意識が消えかける。
のりこが彼の股間を思いきり踏み抜いたのだ。
「今度は私が”ボール”を打つ番です」
「~~~~~!!!!」
股間から脳天まで串刺しにされたかのような痛みが全身を貫く。
叫び声すらも上げられない。目の前がチカチカする。
あれは誰だ。そうだ、いきなり会議に入ってきてなんとか言っていた生意気な小娘だ。大丈夫だ。俺は殺人野球の英雄、安打製造機のハリー・イサヲだ。こんな小娘に負けるわけがない。股間へのデッドボールだって何度もあった、その度に本物のボールを砕き、相手投手のボールも砕いてきてやったんだ。そうだ立ち上がれハリー。お前は殺人野球の英雄で、この番組のご意見番だ。俺がやられたらセキさんはどうな...
「ところで男性の下腹部を守るプロテクターを、ファールカップというそうですね」
頭上から冷え切った、感情の無い声が届く。
何を言っているんだ。小娘の戯言に付き合ってる余裕はない。
すぐに上体を起こさないと。
「ファールになったのでもう一度打てます」
ハリーはその声に思わずのりこの顔を見た。
一切の感情がうかがい知れない、底なし沼のような深い緑の瞳。
その視線が再びハリーの下腹部へ向く。
「やめっ......」
再度の衝撃。
ハリーの眼前が真っ白な光に包まれる。
栄光の球場が、ファンが、光に飲まれていく。
────暗転。
「ゲームセットぉ!」
アンパイアの幻聴を最後に、恐るべき殺人野球の英雄は意識を失った。
【後編2に続く】