“グリーンブック”

"if I'm not black enough, and if I'm not white enough, and if I'm not man enough, then tell me Tony, what am I !?"
この映画のテーマを、「アイデンティティとは何か。誰がどう決めるのか」と解釈した。主人公の天才ピアニスト、ドクは5、60年代の一般的な黒人とはかけ離れた上流階級の白人のような生活を送っているように見える。しかし舞台から離れた瞬間、彼は一般的な黒人として受けいれられる。

トニー

ガサツでマッチョ。タンクトップで強調される大きいお腹と筋肉が印象的な家族思いの差別主義のお茶目なおじさん。映画当初は暴力的で頑固でもなぜか憎めないおじさんという印象が強い。切れると警官でさえ手を出すし、頑として荷物は運ばない(これは最後まで治らない)。bullshitがすごくしっくりくる。しかし、ドクとの出会いより彼の価値観は大きく変わっていく。彼が黒人の側の生活を送るにつれ、差別に対し共感を覚え自分のことのように感情を動かし始める。彼の根底にある性格や人格は変わっていいないのに、立場の違いだけで大きく行動が変わってくる。トニーがドクに変化を与えることが目立つが彼自身の変化い注目しても面白い。ラストシーンで運転手の彼が家まで送ってもらっているのに、彼から出た言葉がお礼ではなく、家族に会っていけよ、であるところも何も変わっていなくて面白い。彼なりの優しさが溢れていてすごくほっこりする。

ドク

黒人天才ピアニスト。幼い頃から才能を見出され、一流のピアニストで生真面目で金持ちの一見理想のような男。しかし、家族とは疎遠であり、白人の世界で生きる黒人というマイノリティのはち切れんばかりの孤独を抱えて生きている一人の人間であった。最初に書いたが彼は黒人でも白人としてもういれられない。舞台では白人扱いだが、降りた瞬間に黒人扱い。黒人からもその風貌で差別される。彼がエンストで農作業をしている黒人たちと目を合わせるシーンで、黒人らからの冷たい視線が印象的だった。原題にもなっている黒人用ホテルガイド"Green book"。彼が黒人であることを強く印象付けるとともに、黒人差別の象徴として扱われている。それでも舞台上では白人から差別されずに受け入れられる。また、家族とも疎遠であるため彼は自分を説明する言葉が見つからず孤独に苛まれていた。どんな差別をされても笑顔で我慢してきた。しかし、トニーと出会いが彼を変えていく。"The world full of lonly people afraid to make the first move"というトニーの言葉が象徴するように、ドクは自身のアイデンティティを見つけていくのだ。Green bookの登場回数が減っていくにつれ、彼は自分の主張を強くするようになり、black, white 関係なく”man” としてのアイデンティティを確立していくのだ。ラストライブでは自分の尊厳を重視しぶっち。最後のクリパに現れるシーンで人種関係なく自分自身そのものがアイデンティティなんだ、受け入れてくれ!と一つの答えを示した。

最後に

本作は黒人差別、現代社会にもつながるアイデンティティの重要さ、深まる人間関係をわかりやすくかつ、面白おかしくかつ、感動に持っていけるように描いている。60年代の差別を、黒人の農作業シーン、スーツの仕立て屋、レストランなど感情的なシーンを置いてわかりやすくしつつも、現代社会にもつながってくる「自分とは何か」という命題に一つの答えを出している。自分とは何者か、SNSで他人の生活が垣間見れる今だからこそ定義が難しい。しかし本作はその人の存在そのものがアイデンティティなのだと訴えていると思った。

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