’Round About Midnight
本日の“こずや”のBGMは、マイルス・デイヴィスさん(tp)、ポール・チェンバースさん(ba)、フィリー・ジョー・ジョーンズさん(dr)、レッド・ガーランドさん(p)、ジョン・コルトレーンさん(sa)という歴史的最強クインテットによる事実上のデビュー作『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』です。
こう名前を列記してみると錚々たるメンツですが、当時は皆、無名の若者でした。
今となればわかるのですが、どのプレイヤーもかなりの実力者…後のジャズシーンを牽引したレジェンド級の偉人たちが揃っています。
そういった未知の才能を見抜く…又は才能を開眼させる能力が、マイルスさんには若い頃からあったということです。
この時期のジョン・コルトレーンさんはスイングしてないとか、オリジナリティーがないとか…散々叩かれていたようです。
それでも、マイルスさんは彼が一流になって独立するまで起用し続けました。
フィリー・ジョー・ジョーンズさんも派手に叩きすぎるとか…いろいろ悪い先入観を持って迎えられました。
マイルスさんは元々、ジミー・コブさん(後に『カインド・オブ・ブルー』などに参加)とやりたかったのですが、多忙でスケジュールが合わなく、ジミーさんの推薦でフィリー・ジョー・ジョーンズさんが参加した経緯があります。
『カインド・オブ・ブルー』は確かに非の打ち所がない歴史的名盤ですが、この無名の若者達による粗削りなこのクインテットで作った作品群も力漲る名盤です。
セロニアス・モンクさんが作曲した「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」は、マイルスさんの盟友ギル・エヴァンスさんがアレンジ編曲し、それをマイルスさんが譜面も見ないで完全に自分のモノにしたので、もはや“マイルスさんの名曲”になっています。
マイルスさんの師匠チャーリー・パーカーさんの曲であり一緒にレコーディングしたこともある「アー・リュー・チャ」は、ここではマイルスさんとジョン・コルトレーンさんが高速アレンジで、音で格闘していて圧巻です。
フィリー・ジョー・ジョーンズさんのドラムも、やはり派手に弾けまくりで惚れ惚れします。
フィリーさんの本名は、ジョセフ・ルドルフ・ジョーンズさんです。
地元では“ジョー・ジョーンズ”と呼ばれていましたが、偉大な先輩ドラマーの“パパ・ジョー”ことジョー・ジョーンズさんと区別する為に、出身地フィラデルフィアにちなんで“フィリー・ジョー”・ジョーンズと呼ばれるようになりました。
1947年に23歳の頃からニューヨークで活動を始めて、ディジー・ガレスビーさんやチャーリー・パーカーさんらと共演した後、 1955年からはマイルス・デイヴィスさんのクインテットに参加しました。
マイルスさんとは公私共に仲が良くて、互いに“ブラザー”と呼び合っていたようです。
ドラッグ乱用や遅刻癖によって、クインテットをクビにされた後も親交はあったそうです。
元々ジミー・コブさんと活動したかったのは、マイルスさんも1950年代前半にドラッグの問題を抱えていてそこから抜け出したいと思って、フィリーさんを遠ざけていたようです。
しかし、ジミーさんが他のグループでの活動で多忙だったことから、フィリーさんが加入したという経緯があります。
マイルスさんのクインテットをクビにされた後は、独立したジョン・コルトレーンさんやビル・エヴァンスさん、ソニー・ロリンズさんといったレジェンド達と共演しました。
また、多くのリーダー作品を発表するなど、精力的に活動を行いました。
モダンジャズドラマーとして数々の名盤を生み出しましたが、1985年心臓発作でこの世を去りました。
ジャズがビーバップからハードバップへと変革していく時代に、フィリー・ジョー・ジョーンズさんはモダンジャズドラムに大きな変革をもたらしました。
3連符の3つ目を強調したフレーズや、ルーディメンツやパラディドルなど高いテクニックに裏打ちされたドラミングは、今日のモダンジャズドラミングの基礎になっています。
そしてレガートのドライブ感はとんでもないです。
波打つようなスイングで、バンド全体をグイグイと押したり引っ張ったりしてスイングさせます。
音も大きく、マイルスさんのような個性派にも負けない存在感のあるドラムです。
マイルスさんも“間”を適格に埋めてくれるドラムがあったからこそ、どんどん音を減らしてシンプルなスタイルになれたのだと思います。
マイルスさんがどハマりした“フィリー・リック”と呼ばれる2拍3連で入るリムショットは演奏にアクセントを加えて、ソロ奏者に多大なインスピレーションを与えました。
マイルスさんは、このフィリーさんのスタイルを経験したからこそ、1963年に18歳の天才トニー・ウィリアムスさんを大抜擢するという軌跡を起こせたのでしょう。
このクインテットの事実上のデビュー作と上記しましたが、そのことについて…。
マイルス・デイヴィスさんは1955年に大手のコロムビアレコードと契約しました(その後30年間在籍)。
1955年10月26日にコロムビアで最初のレコーディングを行いましたが、まだプレスティッジ(それまで在籍していたレコード会社)からも残りの契約の履行を要請されていました。
1956年5月11日と10月26日に大がかりなレコーディングを行い、その僅か2回のセッションの音源が『クッキン』、『リラクシン』、『ワーキン』、『スティーミン』のアルバム4枚として発表されました。
このプレスティッジ用のセッションが、伝説の“マラソン・セッション”です。
このマラソン・セッションの合間の9月10日に本作の為の2度目のセッションを終了させました。
それが、この『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』です。
1957年になってようやくこの作品がお披露目されました。
そこから所謂、マイルス伝説が始まったということです。
私は記憶がある限りだと3歳から…おそらくそれ以前から、父の影響でこのアルバムを聴いています。
私が初めて憶えたドラマーの名前がフィリー・ジョー・ジョーンズさんでした。
良いものは何歳になっても良い…あぁ~ステキ♪
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