「努力」
努力とは反復である、と何かで読んだことがあります。
それは本来、人に見せるものでも、人に評価されることでもありません。
努力することは大事。
継続することが大切。
それはそうでしょう。
でもね、
努力しているか、継続しているか、
それは本人にしか分からないことです。
あくまでも「経過」や「過程」の話で、
「結果」が出ない、伴わないことだって、往々にしてあります。
「努力義務」=「〜よう努めなければならない」・・・そうでしょうとも。
けれど「努力」しているかどうか、
傍で見ている人には評価できない。
真に「努めている」かどうか、
客観的に判断することは困難です。
精神とか姿勢とか。
そういった曖昧な部分で他罰感情を刺激する、
集団圧力、いわゆる「空気」を利用して人に一定方向の行動を促す、
努力義務を課す法律には、そういった危うさがあります。
罰則なしの努力義務で飼い慣らし、
いずれ罰則付きの義務とする。
原付きヘルメット、シートベルト、チャイルドシート・・・
みな、そういう流れでした。
もちろん、それらの「効果」について、
統計的有意差が明確であればこそ、納得もしましょうというもの。
同様の手法で間違うことだってあります。
諸々の制限、マスク着用、ワクチン接種・・・
新型コロナ[対策]禍を思わずにいられません。