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キリスト教霊性
私が北米のメノナイトの神学校(以下AMBS)で学んだのは、1990年から93年。その後1年間、メノナイトのリトリートセンターでの奉仕と学びの後、帰国した。
私が受洗したのは1987年7月だから、まだまだ未熟な信仰のまま、神学校に行ったと、今は思う。けれど、母教会の牧師に勧められ、自分ももっと学びたくて、留学した。
その頃、AMBSでは、霊性が取り入れられ始めていた。再洗礼派メノナイトは迫害された歴史があり、豊かな伝統を持つ一方、生活様式や礼拝堂はシンプルで無駄がない。そんな中、失ったものもあるのではないか、と考え、カトリックから学ぼうという人たちがいた。特に、「霊性」を学び、それをメノナイトにも取り入れ、自分たちの信仰をより豊かにしよう、という動きがあり、私が留学したのは、ちょうどそのような頃だった。
授業には、「霊性の訓練」をするクラスがあったり、礼拝学のクラスでも、霊性を豊かに育むための工夫が、色々となされていた。「霊的同伴」のクラスもあり、霊的同伴のセッションを受けている学生もいた。私も早速、霊的同伴のセッションを定期的に受けた。また、霊性のクラスでは、沈黙のリトリートが何度かあり、私は一回目ですっかり魅了されてしまった。リトリートでの学びは大きく、心が満たされ、多くの氣づきも与えられた。
そんなある時、友人に誘われて、メノナイトのリトリートセンター、The Hermitageに宿泊して、沈黙に浸った。豊かな自然を通して、沈黙を通して、静かな雰囲氣を通して、祈りの時を通して、他者の微笑みを通して、ありとあらゆることを通して、神は私に語りかけていることを知った。
霊性のクラスで学ぶこと、体験すること、また沈黙をのリトリートは、日本にいた時に、教会でまったく聞いたこともなく、新鮮だった。
そして卒業後、1年間住み込みで、スタッフとして、The Hermitageで過ごすことに決めた。そこでは、とても貴重な出会いや交わり、学びがあった。あそこでの沈黙を知った人は、二度と同じ生活には戻れない、そんなことをある人が言っていた。
帰国して、北海道のメノナイト教会に、霊性を伝えたかったのだけれど、私が若かったこと、日本では霊性という言葉にまだ馴染みがなく、ニューエイジくさいと思われたこともあり、広めることができずに、今に至る。カトリックの修道会を訪れて、霊的同伴の可能性を尋ねたこともあるけれど、当時こちらでは外部の人には開かれていないようだった。今は変わったのだろうか…
リトリートセンターを作れるといいなぁ、と思って帰国したものの、まだ実現していない。
ところが、近年、福音主義の教会が、霊性について注目しているようで、とても嬉しい。私自身、未だにうまく言葉で伝えることができずにいる。日本語の文献も少ない。
けど、同じような志の方がいるというだけでも、力になる。読了したら、また報告したい。