エルサレム入城
先週はオンラインで
二つの聖書を読む会があり
同じ箇所を異なる人々と読みました。
そこで分かち合われた
疑問や思いは以下のようなものでした。
聖書日課の
ルカ福音書19章28節〜40節
第一のグループでは
なんでろばなんだろう?
それも子ろばなのはなぜ?
ゼカリヤ書9章に
子ろばに乗る王が出てくる。
軍馬ではないので
平和の君の象徴ではないのか。
服をろばにかけたり、道に敷くって
不思議な感じ。
ファリサイ派の人が
「先生」とイエスさまに言っている。
「もしこの人たちが黙れば、石が叫び出す」
ってどういうこと?
もしかしたら、人々がイエスを王と叫んでいるのはとてもまずい状況だから、イエスを守るために「お弟子たちを叱って下さい」と言ったのかもしれない。
服を敷いたのは「人々」と記録され
声高らかに神を賛美したのは「弟子たち」と
記されているのは、何か意味があるのかもしれない。
「あなた方は神のことを思わないで
人のことを思っている」
というイエスがペテロに言った場面と重なる氣がしてきた。
声高らかに神を賛美した人たちは
イエスを見捨てて逃げ
イエスさまはこの後十字架につけられるって
考えると…
などなど…
第二のグループでは
「主がお入り用なのです」っていうと
貸してくれるのが不思議。
子ろばってなんで?
「主がお入り用なのです」
とイエスさまは自ら「主」と自分のことを
言っている。
向こうの村に子ろばがつないであるのを
イエスさまは知っていたんだ。
「まだ誰も持か乗ったことのない子ろば」って
どうやってわかるのだろう?
「石が叫び出す」って真理は隠せないってことではないのか。
イエスさまは、十字架への道を覚悟していたということじゃないだろうか。
「この人たちが黙れば
石が叫び出す」ってイエスさまの決意、覚悟の表れではないだろうか。
聖書を違う人たちと読んでいくって
本当に面白い。
理解が膨らみ
深まり
広がる。