直島で感じた、ひとつのひかり
直島に行って、単純に想ったことは
『なぜ外国人ばかりがいて、日本人がいないのだろうか?』
ということだった。
ガイドさんによると
『作家さんのファンが多く、その人の。作品を観に来ている』のだという。
なんだろう。
アートというものに対して
観ている【角度】のようなものが全然ちがうんだろうな、、と
私はいろんな職業などがあるなかで
アート、創作、ものづくりをする人に対して
最も敬意を持っています。
直島で雑貨店をやっている
カレーやさんのときからお世話になっていた山西さんは
直島にきた当初、宿のお手伝いもやりながら、創作販売していたそうですが、
あまりに宿がひとりでやることが多く
《自分はいったい何をしているのかわからない=アイデンティティーが失われる》と感じて
宿をやることは止めたそうです。
ここに、私は山西さんの
凄まじい覚悟と信念を感じ
ちょっと恐れおののきました。。
なぜなら、
現代でアートをつづけるということは
紛れもなく
【お金を得ること、生活をすること】を
両立しながら、創作に向き合わなくてはならないから。
きっと、多くのアーティスト、クリエイターが
『結婚したし、子供も生まれたし、自分のことやるのはやめよう』
『生活が大事だから、アートではない就職しよう』
そんなふうに、どこかで区切りをつけ
創作を諦め、封印して過ごす人もまったく少なくないと想います。
器用に両立できれば、それがいちばんかもしれない。
実際、そういう人は多くはないでしょう、、
でも、
本来は【生活がアートなのでは?】
という話なんです。
それをいちばん理解しているのが
私は外国の方だと感じています。
創作を愛している。
簡単には見捨てない。
文化を愛している。
尊んでいる。
それが、人間の根元にひかりを
与えてくれるものだと
どこかでわかっているのでしょうね。
人それぞれ
アートをやる理由はきっと違うのだと想いますが
私は人間讃歌なんだと想っています。
アートをやる人は
究極、一生いわゆる《契約労働》なんてしなくていいとさえ想う。
なぜならあなたはそれを生み出す使命なのだから。
あなたにしか生み出せないのだから。
代わりのきくことに、命を使っている場合ではない。
偶然にも
大好きなジョジョの作者荒木さんが
「神様や機械ではなく、人間こそが一番。それがジョジョの根底にある考え方なんです」
と言っていました、、、、
ご飯はだいじ。毎日のご飯はだいじ。
でもそこからアートを排除していたら
人間なのだろうか?
人間になれるのだろうか?
“Man shall not live by bread alone.”
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