ゲーム
私はゲーム好きな子供だった。
夢中になって、夢中になって
時間を忘れてやった。
それを親はくだらない、そんなものはやめろといった。
いったい、いつまでやっているんだといった。
それがまずひとつ、
親が、大人が、他者に伝える
【第一の貴賎】のようなきもする。
その、神様のような親が考えること、伝えることすべてが、子供の世界になってしまう恐ろしさ、尊さ。
そういう一種の差別のようなものは
大なり小なり誰でももっている。
でも、それは
黒人は悪、
白人は善、
クラシックは素晴らしくて
ゲーム音楽は悪。
それほどにくだらない比較だなぁ、、と感じる。
私は15歳で社会にでてから
20年あまりが経ち
いろんなものごとが一周、一巡したように感じる。
そして
こどものときの自分や
あの当時の親を見て
『ああ、誰も間違っていない、誰もがそのときの最善だったのだ』と強く想う
もっと突っ込んだ言い方をすると
語弊を恐れずにいうと
【人生は、ゲーム、それも果てしなく壮大なゲーム】じゃないかと感じている
もちろん、やり直しは行かない
時間は一方通行のゲーム
もっと別な言い方をするなら
《厳かなゲーム》だろうか
自分の身に付けたいものを身に付け
住みたいところに住み
会いたい人に会って
時には
その人たちといっしょに旅をしたり
なにかミッションをクリアしたりする
当然、その最中、別れる人もいる。
亡くなる人もいる。
フリーシナリオ、フリーエンディングの物語
ただひとつコンピューターゲームと違うのは
【全員が主人公】ということ
そして、【魔王】なんていないということ
誰も想像がつかない物語なのに
会うべき人がいたり
向き合うべき課題があったり
この命の機会はなんて
苦しく、美しく素晴らしいのだろうと
生きていて
毎日、世界を直視して
感動しない日がないのです。
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