本当の気持ちを出すときと出さないとき
People pleaser(人を喜ばす人)という言葉
本当の気持ちを出すのは難しいものです。
人からどう思われるかが気になって、なかなか本音が言えないことはよくあります。
それでも最近だんだんと、自分の気持ちに蓋をしそうになるとその瞬間をキャッチできるようになってきました。
キャッチする瞬間に頭に浮かぶ言葉があります。
それは、People pleaser (人を喜ばせる人)です。
この土台には「自分の気持ちに蓋をする」があります。
自分の気持ちに蓋をして相手を優先しよう、そうすれば相手の機嫌を損なう心配はないし面倒なことにもならないだろう、とその時は思います。
でも自分が我慢している分、しんどさが溜まっていきます。
そのしんどさがやがて表情や態度、口調に出てきて、結局は相手との関係がギクシャクしてしまいます。
長い目で見ると、自分の本当の気持ちを大切にすることこそが、相手との関係をよく保つためには大事なんだなと改めて感じます。
だからといって「本当の気持ちを言わなきゃいけない」というふうに縛られてしまうと、それはそれでしんどいです。
定時に帰りたいけど、言えない
友人からこんな話を聞きました。
超・昭和な職場で、定時になってもみんな帰らずにダラダラ仕事しながら残っている、自分は定時になったら帰りたいけれど、なかなかそれを言えなくて辛い、と。
友人は、「帰りたいのなら我慢せず、本当の気持ちを言うべきだ」と考えているようでした。
言う「べき」という考え方は、自分を苦しめます。
気持ちを言うときと言わないときを、環境ではなく自分の意思で決められたらいいなと思います。
今は言えそうだから言おう、あるいは今は言いにくいからやめておこう、というのを、「意識して」「自覚して」決めるのです。
「周りの空気に押されて言えない」じゃなくて、「周りの空気はこうだ。今、本音をさらけ出して傷つくのイヤだ。だから今じゃなくて別の機会に言うことにしよう」と自分の気持ちを確認したうえで、どうするかを決めるのです。
「言えない」のか「言わない」のか。
「我慢しなきゃ」なのか「我慢しておこう」なのか。
その違いをちゃんと自覚できるようになると、落ち込みや辛さが減っていくような気がします。
自分を優先してみたら
わたしは最近、自分がこうしたら父は喜ぶだろうな、でもわたしはやりたくないからやめておこう、と決めてやらなかったことがあります。
つい先日、夫と2人で旅行したときのこと。
旅行先の近くに父の親戚のお墓があり、お墓参りに行くべきかどうか少し迷ったのです。
父は故郷への思い入れがとても強い人で、「自分が死んだら、お前たちがしっかりと墓を守れよ」とよく言っていました(今も父は生きています)。
わたしは純粋に夫婦旅行としてこの数日間を楽しみたかったので、お墓参りのことは考えたくありませんでした。
おかしなことです……今回の夫婦旅行のことを両親は知らないので、わたしがお墓参りに行っても行かなくても、何の問題もないはずです。
それなのに、お墓参りに行くべきだという思いがわたしの中にありました。
「お墓参りに行くべきだ。でも本当は行きたくない。純粋に観光旅行でゆっくりしたい」という気持ちが湧いてきたとき、「あ、今わたしは people pleaser=自分の気持ちを抑えて父を喜ばす人、 になってる」と気づきました。
その瞬間、やっぱり今回はお墓参りは行かないでおこうと決めました。
決めたときは少しドキドキしたし、後ろめたさもありました。
でも結局はゆっくりできて、とても良い時間を過ごせました。
後ろめたさは弱まり、むしろ自分の気持ちを優先できた清々しさを感じていました。
無意識に自分で自分を縛っている
少し距離を置いて自分を見つめてみたら、自分がいかに思い込みで勝手に苦しんでいるかがわかります。
父が昔、どれくらい真剣に「お前たちが墓を守っていけ」と言ったかわかりませんが、わたしはそれをすごく強く受け取ったのでしょう。
たとえば父は強さ3のつもりで言ったのが、わたしは30で受け取った、みたいな感じ。
そうなるまでに、いろんなやりとりがあって、わたしは親だけでなく家庭外での人間関係からもたくさん影響を受けています。
その過程で、無意識に「自分のことより親の思いを尊重すべきだ」と思い込むようになっていたようです。
それが良いとか悪いとかという話ではありません。
もっと自分の気持ちを優先できるようになりたいと思ったら、こんな思い込みを持つ自分に、まずは気づく必要があります。
わたしは、なんだかんだと自分を見つめてだいぶ縛りが取れてきたと思っていましたが、今回の旅行で、こんな自分もまだいたんだと気づけました。
気づいた瞬間は嬉しいし、これからはもっとうまく自分を大切にできそうに思えます。
もちろん、親の思いは大切にしたいし、尊重したいです。
でも、親の思いと自分の思いが合わないときは、「べき」に盲目的に従って親の思いを優先するのではなく、じっくりと時間をかけてゆっくり考えて、自分が納得する答えを見つけていきたい、ということです。