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バイイング イン インド☆my traveling diary ヒマラヤドリーム Ⅷ

かつて小さなお店をつくり、旅をしながら遊ぶように仕事をしていた6年間の記憶をつづりたいと思います。買い付け女一人旅。出会った人々。私にとってのインドとは? 新しい旅をはじめるための心の整理。同じように新しい旅路に直面している人たちとこの物語をシェアできればとても幸せです☆

ネパールの旅もようやく終わりを迎える。早速カトマンドゥのタメルに戻りポカラで知り得た石屋さんを探す。むさぼるように毎日歩き回ったタメル。リクシャで行ってみると、そこはやはり何度も歩いた通りだった。番地が示す場所には、やっているのか?と思うほど中が暗く埃っぽい店があった。これは気づかないはずだ。店舗というより倉庫のような場所だったが、中には思いがけずやさしそうな青年がいた。私は早速ポカラのドイツ人に教えてもらったこと、自分のやっていることを手短に話した。彼はゆっくりとうなずき、別のオフィスに行きましょうと言った。バイクの後ろに乗せてもらい、どこに行くのかもよくわからないまま、私は安堵の気持ちでいっぱいだった。

だいぶカトマンドゥの中心から離れた郊外の、細長い簡素なビルに辿りついた。案内された部屋には、オーナーが居た。浅黒い肌で長身ではあるが、私たち日本人やチベット人に近い顔立ちで、抑え目で静かに話す様子も、なんとなく民族的に近しい感じがした。彼はネパールに多いネワール族ではなくタマン族だった。
私が欲しかったいくつかの石の原石を見せてもらった。さらに石を研磨する作業場にも案内してくれた。そこには、同じタマン族の青年が数人で研磨作業をしていた。私は購入したいくつかの石をその場で研磨してもらった。これこそ私の求めていた場所だったが突然訪れたこのチャンスを上手くまっとうすることはできなかった。また次回、きちんとしたデザイン構想を持って訪れたいと思う場所であった。

オーナーは奥様のつくったダルバートを私にもふるまってくれて、一緒に様々な話をしながら食べた。ネパールで食べたダルバードで一番美味しく、毎日食べても飽きないような優しい味がした。

タメルに戻り、私はYと残りの数日間を使って、ナガルコットを目指した。ナガルコットはカトマンドゥからローカルバスで行けるヒマラヤ展望台として有名な場所で、ポカラからの景色と違い、エベレスト側の風景が見られる。しかしYと一緒に辿りついた場所は有名にもかかわらず、ひと気ないひっそりとした里山といった感じ。客引きの青年に素直についていって、そこのホテルに落ち着いた。スタッフの青年たちに交渉し、バイクで翌朝日の出が見える展望台まで連れて行ってもらうことにした。

早朝まだ真っ暗な中を、すごいスピードで山道をどんどんバイクで駆け上っていくスタッフの背に、Yと私は振り落とされないようしがみついていた。3人乗りのスリルで寒さも忘れた。
展望スポットに到着すると、私達の真正面に、うっすらと白く、長く連なる巨大山脈が静かに鎮座していた。山々はその暗闇の中で鈍い白さで発光しているかのようだった。期待以上の展望に私はこれから上ってくる太陽を待ち構えた。ある瞬間を境に一気に山の様相が変わった。そこからは山の色が何色にも刻々と変化していく。山肌が白いので、照らし出される光の色がとてつもなく美しい。この映像と喜びをしっかりと記憶に刻みたかった。幼いころ、テレビでみたヒマラヤ山脈。どうしてあの時この山に強く惹かれたのだろう。ヒマラヤに登りたいと思ったことは一度もない。私にとってヒマラヤは人間が汚してはならない神の領域という感覚がある。でもあの山をこの目で見たい、その場の空気を感じてみたいという夢が今叶った。
連れてきてくれたスタッフが私たちに一生懸命どれがエベレストかを教えてくれていた。巨大な山脈にはいくつのもピークがあり、また私たちの場所からはエベレストが一番高くは見えないことから、とうとうわからずじまいだった。でもこの雄大な山脈を前にエベレストがどれかなんてどうでもいいような気がした。

何度か通ったタマン族の工房での最後の日。オーナーは私に透き通ったヒマラヤンクリスタルの原石をプレゼントしてくれた。それは水のように透明で、まるでヒマラヤの山のように美しい形をしていた。このヒマラヤンクリスタルは、私のお店の入ってすぐのところに6年間いつも居て、私を見守り、お客さんを迎えてくれていた。そして今も我が家を見守り続けてくれている。

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