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同情したり安易に分かった気にならない聞く力は相手の魂への敬意~クロアチア人の語学の天才少女と水瓶座の共感力について

ともえ@ファスティング中です。
(→よかったら自己紹介を読んでね)

今日は、本当の「聞く力」について思っていることを綴ります。

私、今のお仕事で部下が全員外国人で国籍も様々なのですが、〇〇してくださいって言っても動いてくれなかったり反論されたりは日常茶飯事。

そして無知な私は、時々うっかり政治的な背景や文化的な背景を無視して地雷を踏みまくっていますよ・・・( ;∀;)

たとえば、台湾人の優秀な子がいるんだけど、絶対に簡体字(大陸の中国語)は使いたくないって言う条件で入社しているんだよね。でも私、その子の前で、

「繁体字(台湾で使われている中国語)も簡体字も似たようなものでしょ? 簡体字案件は受注量が多いんだからやってみない?」

とうかつな発言をしてしまい、中国語のできる日本人スタッフにたしなめられましたよ・・・

私のうっかりな発言は、若い世代の台湾の子の政治的なアイデンティティとか信念を傷つけていた可能性が高いんです・・・。

もちろん、すべての若い世代の台湾人が簡体字を嫌がっているわけではないと思うけど、彼は違っていた。

怒ったりはされなかったけど、私に対して心を閉ざした可能性は高い( ;∀;)

まあ、中国人同士でも、出身地によっていろいろあるらしいし・・・。

そこで今は、私がすべての背景を繊細に理解することは無理なので、自分は無知であると自覚し、すべて理解することはできないと腹をくくることの方が大切だという思うことにしています

特に、戦争や政治が絡む国同士の問題(中国本土と台湾とか、ドイツとポーランドとか、日本と韓国とか)を生半可な知識で「〇〇ってこういうことでしょ~」と決めつけない慎重さがあればOKということです。

結局、聞く力とか寄り添うとか、共感って、浅い知識と安易なレベル(同情レベル、すぐに反感に転じるレベル)だと、相手からブロックされる原因になりますもの。

だから私、ここ数年、部下が全員外国人になってからというもの、お国の事情に立ち入ったりして理解することを放棄しました。

それよりも、彼らが表明・主張している意見や要望を、それらをすべて受け入れるわけではないけどおそらく何かしらの背景があって言っているのだという繊細な注意を保ちつつ、事業部としての共通のミッションに照らしてOKかNOかを決めることに集中し、そこに公正さと透明性を持つようにした。そして目標を達成することによってお互いに喜びを分かち合うことにフォーカスしています。

その方が、結局はうまくいくと気付いたから。

こういう様々なバックグラウンドがある人たちとのコミュニケーションにおいて、

「〇〇さん××が好きなんですね~。私も××が好きなんですぅ~ 素敵ですよね~~」

みたいな、表面的な女子同士の擦り寄りトークみたいなものは、実は要注意。

なぜなら、相手が××に一家言を持っているような場合や、その背景に非常に重いものを抱えている場合、逆効果になりますので。

それよりも、自分自身こそが、相手が心を開いてくれるような信頼感ある人間でいるだけでいいと思っています。

・・・でね。

この話題で思い出したことがあって。

それが、大学時代に出会ったクロアチア人の語学の天才少女のこと。少女っていうとあれですが、当時私が22歳くらいで、その子(Rと言います)は20代半ばくらいかな?

私は大学時代に仲良くしていた別の大学のM先生という女性がいて、彼女のゼミ(多言語翻訳論)に時々お邪魔していたのだけど、そこに同じように別の大学から参加していたのがRだった。

彼女は超・優秀で、クロアチア出身だけどドイツの大学で勉強していて、母語ではないドイツ語は当然母語レベル、イギリスにも留学したことあって英語ももちろんよくできたし、日本語も奨学金で留学しているくらいなので当然できる。

さらにお国の東欧系の言語は3~4つくらい普通にできるよと言っていたので、なんだいって7か国語はできると言っていた。

似通った西洋系言語間での3~4か国語のポリグロットはよくいますが、西欧言語、東欧言語、日本語という言語背景の遠い言語を含めてのこの7か国語のセンスなので、そういう意味では本当に語学の天才だと言ってもよい。

そして・・・Rの天才ぶりというのは、外国語なのにユーモアあふれる文章を書けるっていうところ。

M先生のゼミ生みんなで、彼女の書いた文章に、何度笑わされたことか。

・・・

で。

そのRと一度、たまたまふたりっきりで、高田馬場の学生のたまり場になっているカフェで夜ご飯を一緒に食べたことがあった。

だいたいが他の学生も含めた数人で食事したりお茶することがほとんどだったので、私とR二人っきりはその時がはじめてだった。

話していたのは実に他愛もないことだったけど、話題はどんどん小さなころの話になり、昔自分がどういう少女時代を送っていたかというのをお互いに語り合っていたとき、Rの口からふと、戦争の話題が出た。

そう、あの、史上まれに見る凄惨なユーゴスラヴィア戦争の話だ。
良き隣人だと思っていた人々が突然、お互いを殺し合った恐ろしい戦争。

・・・あれほど笑わせてくれる文章を書けるRは、こう言った。

「あの戦争があってから、私は本当の意味で心から笑えたことはない。
自分の家(Heim)が不気味なモノ(unheimlich)になってしまったから。」

何とも言えないRの空虚なまなざしの奥に、私が知らない感情が渦巻いていた。

それは、1ミリも理解できない感情だった。

・・・私は言葉を失って、フリーズした。

空気が瞬間的に変わるというのはこのことかと思うくらい、急に私たち二人以外の世界が遠くなった。

・・・私が固まったのを見て、Rはこう言って優しく笑った。

「いいんだよ、理解しなくても。誰にも理解されないこと分かっているから。でも、聞いてくれてありがとう」

Rの1ミリも理解不可能な過去を知ったことで、逆説的に少しだけ距離が縮まったように思えた。

その日初めて私たちは、高田馬場でハグをしてさよならをした。


・・・数年後ドイツ・ベルリンで再会したRは、相変わらず多くの人を文章で楽しませて笑わせながらも、依然としてまなざしに空虚さをにじませていた。

ただ、再会したその日、Rは私をおうちに招いてくれた。そして、美味しいムサカ(クロアチアの郷土料理)を手作りしてくれて、一緒にお腹いっぱい食べて、他愛もないことを話すことができた。家(Heim)に人を入れることが苦手だと言っていたRが・・・。

・・・

Rの境遇に安易な同情をすることは簡単だ。

だが、私はこう思っている。

Rが持つあれほどの語学の天才性は、凄惨な戦争、お互いに殺しあうくらいに分かり合えない隣人を持ったからこそ、育まれたのかもしれない。

Rの人を笑わせるユーモラスな表現は、全く笑えないくらいギリギリの人間の極限状態を知っているからこそ、生まれたのかもしれない。

だとしたら、彼女の境遇に安易な同情をすることは、彼女の魂に対しての侮辱ですらある。

だとしたら、1ミリも理解できないことを前提として、彼女の言葉を聞き届けることが、彼女の魂に対して私ができる最善の敬意の払い方。

「いいんだよ、理解しなくても。誰にも理解されないこと分かっているから。でも、聞いてくれてありがとう」

・・・これほどの友情表現があるだろうか。

ちなみに、ユーゴスラヴィアの戦争のことをテーマにした映画はいろいろありますが、こちらの映画はとても良いと思います(かなり重めなので、好みが分かれますが、見たければどうぞww)。

ちなみにね、私はこういう友情以外は要らないと思っているw
(だから友達いないのーーーwww しかも友達とは1年に1回会えばいいかなくらいだよーーーwww)


・・・今世間で、これからやってくる風の時代とか水瓶座の時代は、共感力が大切で~みたいなことをちらほら聞きますが、私見ではその多くが同情レベルの共感力なんじゃないかと思っています・・・。

SNSでいいねを押したくなるとか、自分のファンを集めるとか、その程度を共感力と表現している気がする・・・。

それはむしろ、先日出版された「成功している人は、なぜ聞き方がうまいのか?」の八木龍平(リュウ博士)さんの言葉を借りれば、シンパシーのレベルかなと思ったりする。

共感には2種類あることを理解してください。2種類というのは、同情する共感と、同情しない共感、の2つです。

同情する共感は、英語で言うと「シンパシー」。
一方、同情しない共感は「エンパシー」です。

シンパシーの意味は、だれかをかわいそうと思う感情、ある考えに支持や同意する行動、同じ意見や関心を持つ人への友情。
エンパシーの意味は、他人の感情や経験を理解する能力。

シンパシーは感情ですが、エンパシーは能力なんですね。

もうひとつ違いがあります。
シンパシーは「同じ意見や立場の人に対して」いだく感情。
エンパシーは「自分とは違う意見や立場の人、同情できない人に対して」何を思い、何を考えているのか、理解する能力です。


残念ながら、職場の部下に対して地雷を踏んで間違いを日々犯しているくらいなので、私に聞く力がすごくあるとは思えないのだけど、

いつもRのことを思い出して、低レベルの同情や寄り添いを禁じるくらいの自制心は持っていたいと思って修行しています~✨

ちなみに、以前の記事で書いた福山雅治さん(彼も水瓶座だ!)も、「家族になろうよ」の歌でこう言っている。

どれほど深く信じ合っても
わからないこともあるでしょう
その孤独と寄り添い生きることが
「愛する」ということかもしれないから

・・・

それにしても、リュウ博士の本は名言が多すぎた!!

✔ 女性は利害関係がある男性の話は聞く。

そうそうw だから、自分の話を聞いてくれていると思っている人との間に何らかの利害関係があったら、本当に自分のことが好きだとは限らないんですよね。特に日本の女性は、基本的に人の話を聞くように躾けられていますからね。

リュウ博士の本はいろいろな意味で神本で、水瓶座的な聞く力・共感力を上げるのに持って来いなので、またご紹介しますね~💕

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