人類が1万年以上取り組んできた大問題。暇と退屈をエナジーワークは救えるのか?
こんにちは。らいおんです。
久しぶりの更新です(毎回書いている気がする。。。苦笑)。
さて、いきなりですが、最近強烈に暇と退屈に悩まされておりまして。。。
しかし、「エナジーワークを通じて、今この瞬間(Present time)にフォーカスして、自分を癒やしまくっているはずなのに、暇で退屈とはどーゆーことだ!?」と自己嫌悪と自己否定のエネルギーに強烈に襲われる始末で、すっかり参っておりました(サイキックはこの手の感情もエネルギーではっきり自覚できてしまうので、厄介です。。苦笑)。
これはマズイ、、ということで、暇と退屈をエナジーワークで救うべく(何でもエナジーワークで解決しようとする悪い癖が発動!!w)、悪戦苦闘した記録を書いてみたいと思います。
暇と退屈とは何か?
まずは敵を知らねば話は始まりません。「彼(敵)を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず【孫子】」です。
さて、暇と退屈とは何なのでしょうか?サイキックのクセに禁じ手である思考全開(注:分析的思考は厳禁です)の筆者は、早速文献にあたります(笑)。
今回参考にした文献は、國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学(新潮文庫)」です。この本は、人類が1万年以上取り組んできた大問題(暇と退屈)に挑み、スピノザ、ルソー、ハイデッガーなどの先哲たちの教えをひもときながら、ときに強烈に批判を加えながら(この辺がかなり痛快!)「暇と退屈」の問題点を考える名著です。
さて、まず当たり前ですが「暇」と「退屈」は別物です。(結構この辺を混同している人が多い気がします(かくいう筆者もその一人w))
本書によると「暇」と「退屈」の定義は以下のとおりです。
つまり、暇だから退屈なわけでも、退屈を感じる時は必ず暇なわけでもないのです。そして、どうやら筆者を悩ませているのは「暇」ではなく主観的な「退屈」の方であることがわかります。(でもこれも所詮主観なので、「退屈を感じている自分(お前)が悪いんでしょ!」と自己責任論を押し付けてくる自己否定エネルギーの攻撃は一旦ひらりとかわして前へ進みますw)
さて、敵が特定できたので次に人はなぜ「退屈」になるのか?について解き明かしていきたいと思います。しかーし!!なんと本書の本編にはその辺りが書かれてません!!(笑)でも安心してください、巻末付録にちゃんと書いてました(笑)
人は慣れない刺激に絶えずさらされていては生きていけません。そこで、その刺激を習慣化して(慣れて)身を守ろうとします。しかし、当然のことながら、興奮できるような刺激がなければ人は不快な状態(退屈)に陥ります。・・・・「非常にめんどくさい生き物です、人間って!!(笑)」
ただし、この刺激には度合いがあり、すぐ慣れる刺激もあれば、慣れることが到底不可能な刺激もあるわけです。そして、そのような大きすぎる刺激に遭遇した時、人は神経系の中に「痛みの記憶」として残してしまいます。精神への強いショックによってもたらされるトラウマがまさにそれですね。
最新の脳神経科学によると、人の脳は何もすることがない(覚醒度合いが低い)状態になると「痛みの記憶」を過度に振り返り、自己に対する反省を繰り返す状態に陥る回路を持っています。つまり、この回路が発動すると、とっても不快で苦しいのです。そしてこれこそが「退屈」の正体なのです!そして、「痛みの記憶」には当然個人差があり、さらにこの苦しみに対する耐性にも非常に個人差があります。
「痛みの記憶」はトラウマだけではない
本書では「退屈」の原因になっている「痛みの記憶」の例としてトラウマを挙げていますが、エナジーワーク的には他にも様々な痛みがあると考えます。
以前のブログでも紹介した天外伺朗さんが人間の無意識層を説明する際に用いる下図の「モンスター層」にいるモンスター達(人生において様々なトラブルを引き起こすエネルギー)がそれぞれ「痛みの記憶」であり、私たちの魂(オーラ)、そして神経系に蓄積されていると考えます。
この「モンスター層」には代表的なモンスターとして「トラウマ」の他、「シャドー」「バーストラウマ」「死の恐怖」「性欲」が挙げられますが、実際にはその他にも無数にいるといわれています。
つまり、「痛みの記憶」とは、これら無意識層にあるエネルギーのことを指すということですね。
暇と退屈をエナジーワークは救える!!(はず)
筆者を悩ましている「退屈」の正体が「痛みの記憶」というエネルギーであることが分かれば、こっちのものです!
こちとらエネルギーのプロなわけなので!!(笑)
それでは、「退屈」をエナジーワークで救う具体的な方法を解説します。
まず初めに「退屈」を感じた時には、すかさず瞑想しながら透視能力で、その退屈の正体である「痛みの記憶」をエネルギーで確認します。
そしてそのエネルギー(痛みの記憶)を自分のオーラから流し出して、自分をひたすら癒します。以上です(簡単!w)。
ただし、このモンスター達は、なかなか癒すことが難しい(手強い)エネルギー達なので、1回のエナジーワークで癒しきれなくても気にせず上記のプロセスを「退屈」を感じる毎に繰り返すといいでしょう。
そうすれば、きっとそのうち「痛みの記憶」が癒えるのと共に「退屈」も感じなくなるはずです。きっと。。。笑
(おまけ)当事者研究とリーディング(透視)の興味深い共通点
本書では「退屈」の原因である「痛みの記憶」を回復させる方法として「当事者研究」と呼ばれる精神疾患の回復メソッドを紹介しています。少し長いのですが、重要な部分を引用します。
これは「メタ認知」の一種だと思うのですが、「メタ認知」といえば「リーディング(透視)は究極の『メタ認知』の方法だ!」というのが筆者の持論です。(詳しくは以下のブログも参照ください)
「当事者研究」とは、まず自分の症状を言語化することを通じて客観的に捉え直し、その過程で自分の症状を受け入れることを促しているのだと思います。さらに、自分だけでは言語化(客観化)できない状況を他者に話し、理解してもらい(他者に受け止めてもらう)、フィードバックを受けることを通じて更に自己理解を深めていくプロセスだと思います。
これはそのまま「リーディング(透視)」で私たちが行なっているプロセスなのです。以下過去のブログから該当部分を引用します。
ちなみに「リーディング(透視)」を通じて自分もリーディングする相手の同時に癒せるのと同様におそらく「当事者研究」でも当事者本人だけでなくそれをサポートする他者も何らかの回復が起こっているのではないかと思います。
以上のことから「暇と退屈をエナジーワークやリーディング(透視)は救える!!」という確信を強めた らいおん なのでした。(おしまい)
*記事に記載した内容はあくまで個人の見解であり、記事に記載した団体等の公式見解ではありません