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【中国2007】友と行く華南の旅③(与友同行华南之旅)
2007.3.9 上海留学中の記事を再編集(写真も当時の撮影したものを再使用しているため画質も粗くまた暗めです)
トップ写真:コロンス島のガジュマル
ガジュマルもここまで大きくなるんだと驚いた記憶があります
友と行く華南の旅①②の続きです
トン族の村がとても面白くなかなか良い経験だったなという気持ちを抱きつつ、アモイへ向かいます
◆当時の旅程
2月4日:上海から列車27時間移動(車内泊)
2月5日:桂林着 (桂林泊)
2月6日:漓江下り(桂林泊)
2月7日:桂林→程阳 バス移動(程阳泊)
2月8日:程阳→桂林空港 バス移動
桂林→アモイ 飛行機移動(アモイ泊)
---------- 今回はココ↓から ----------
2月9日:アモイ着(アモイ泊)
2月10日:コロンス島へ(アモイ泊)
2月11日:アモイ→泉州 バス移動(泉州泊)
---------- 今回はココ↑まで ----------
2月12日:泉州→福州(福州泊)
2月13日:福州パンダセンター(福州泊)
2月14日:福州博物館 夜上海に向けて飛行機移動
【当時のログ再編集】
○2月9日 アモイ!
昨夜桂林発の飛行機は22時頃だったので、アモイには日が変わった頃に到着。降り立ったら、嬉しくなるほど南国という空気を感じる。街路樹にはヤシの木があり、まさに南国という雰囲気。
この日中は暑かったのだ。2月なのに異常な暖かさで26度。汗ばむどころか、一部アモイ人は半袖を着ている。その一方で、南国には不要であろうブーツを頑張って履いている人も。我々も2月だけれど、「半袖Tシャツ買うか!」と言ってしまうくらいに、異常に暑い。
華僑博物院。
従業員さんたちは早く帰りたいらしく、「4時半が閉館だから」と何度も言ってくる。この時まだ16時。私達が通った後は、どんどん電気が消されていくという地味なプレッシャーがー。”元の通路には戻さないわよ"という圧力の元、出口に追い込む作戦で彼女たちはじわじわ攻めてきている。うまいすぎる。さすが。
追い出されるように後にしました。
夕方。
異常に暑かったのに、なぜか突如風が出てきて、体調も悪化。サエナイ。寒暖差にやられたかな。
○2月10日 コロンス島へ
「ピアノの島」と言われているフェリーですぐの小さな島。建物は洋館ばかり。そして総領事館が多い。旧日本総領事館もあって、そこは今や普通の民家として使われていましたわ。
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ピアノの島と呼ばれているくらいなので、もちろんピアノ博物館がありまして、友と共に突撃。二人してテンション急上昇。見学者の中で怪しいくらいにテンションが高い二人。ピアノ好きだな~と再認識。
コロンス島の街角?←日本語が出てこない。。。 马路上的。
オレンジ色の暖色。冬にこの色。いいね、南国。
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海辺の方を見ると、海水浴客が結構いてびっくり。2月です。確かに暖かくい。だけれども、海水浴するほどの水温にはなっていないような。
○2月11日 泉州に行く!福建南管、発祥の地へ
アモイから泉州へ向かうために、またもやバスに乗ります。
アモイには大きなバスターミナルが2つあるんです。
バスターミナル①でバスターミナル②の切符も購入できちゃうみたいなんですね。それを知らなくて、バスターミナル①で切符を購入したのに、乗り場はバスターミナル②だということが判明し、焦る。
急いでバスターミナル②に移動したところ、今度は乗り場が分からない。また焦る。係員に聞いてみると、2階が乗り場だと言われる。
え、乗り場が2階ってどういうことなん?
急いで2階の乗り場に行ったところ、私と友、驚愕。
このバス、ビジネスクラスのバスだ!
ええええ!なんでそんな豪華なバスになってるんだ?と思い、切符を見直すと「商务」の文字が!わー、ビジネスクラスになってる!切符を購入した時に、購入できたことに満足しちゃったみたいで、まさかのビジネスクラス。
バスの中に入ってみると、ビジネスクラスのバスは外観だけじゃない。シートもレザー、シートの広さも正に飛行機のビジネスクラスのシートでゆったり寛げるタイプ。安心して心地よく眠れるシートでしたわ。
アモイ→泉州路線は、バスの本数がもんのすごく少なくて、だからまさかビジネスクラスバスだなんて思いもよらず。そして、ビジネスクラスバスを走らせるなら、もっと本数増やしてくれーと思ったとか思わなかったとか。
この数日間で、ボロバスとビジネスクラスバスを一気に体験してしまった!両方とも乗る機会はもう訪れないかもしれないほど、両極端。
泉州に向かった理由は、「南音」の常設展示を見たかったので博物館に行きたかったのです。そのためだけにわざわざ本数の少ないバスに乗って向かったのに、、、
閉まってるーーーーーー!!!!!Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
えぇ・・休館日じゃない日も休みなの?!
折角足を延ばしたけれど、あっけなく終了。
泉州という街並みを少し散策。
イスラム教徒が数多く住んでいたという歴史のある街。
異国情緒ある街並み。雰囲気も面白い。
【補記 2025】
■この3日間の移動
桂林→アモイへは飛行機で移動しました。確か良い列車がなかったからだったような気がします。
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アモイ→コロンス島へはフェリーですぐ。あっという間に到着です。
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■コロンス島
「鼓浪嶼」Gulangyu と言います。閩南語でコーランスーと言っていたのが西洋人の耳にコロンスと聞こえ、コロンス島として広まったのではないかという説があるらしい。
1844年の望厦条約(アメリカと清の不平等条約)などの締結され、厦門(アモイ)が開港。その後、租界(外国人居留地)となったため、西洋式建築物が増えていった。
音楽家馬思聡(修士論文で調査した音楽家)や、その他の多くの芸術家もコロンス島に住んでいたため、音楽文化が発展したそうです。現在でも「ピアノの島」と呼ばれているのはそのため。
■泉州
海のシルクロードの主要な港湾都市。特に宋代には世界屈指の貿易港として発展したため、アラブやペルシャの商人が盛んに泉州を訪れており、イスラム教徒のコミュニティを築いた。元代にはマルコポーロが訪れている。
訪れたかった博物館はここ↓だった気がする
■南音
なんいん Nanyin といいます。南管≒南音。
泉州を発祥とする中国の伝統音楽の一つで、宋・元代に発展。2009年にユネスコ無形文化遺産に登録されたそうです。閩南語で歌われる。
南管:音楽の体系や演奏形式を指すことが多い
南音:はより広い意味で、歌や文化的背景を含むことが多い。
台湾では南管がよく使用され、大陸では南音が良く使用される。
■閩南語
びんなんご minnanyu。福建省南部(閩南地方)で話される方言。台湾、華僑コミュニティでも使用されている。
普通語の声調が4声に対し、閩南語は6~8声らしい。
つぶやき 2025
・コロンス島は、正に租界といった空気が残っている(残している)島だった。アモイは地理的に台湾/沖縄に近いため、植生も近しく感じた記憶があります。
・泉州は今まで訪れた中国の街のどこよりもイスラム教色が強く、歩くだけでも楽しい街だった。写真が見つからないのが悲しいです。いつか見つけることが出来たら、ここにひっそり貼るようにします。
・今から思うと、厦門/コロンス島辺りはかなり寒暖差ボケしていたような気がします。気候だけでなく、文化も異なっていたので、頭が混乱していたのかもしれないな、なんて思う。