ヘラルボニーを知らない父に、入社報告をしてきた
皆さま、初めまして。
この春、やっと大学を卒業して、ついにヘラルボニーに入社しました!浅川里菜と申します。
ヘラルボニーでは1年半ほどインターンの活動をしてきて、春からは経営企画室/ディレクターとして入社に至りました。
今ここにいることが、とにかく嬉しいです。
「早く入社したい」と耳にタコができるほど聞かされていた母(の耳)も、さぞかし喜んでいることと思います。
好きなことは、散歩、読書、辺境に行くこと。
まったく人がいないノルウェーの山奥で、充電が切れて宿に帰れなくなった話。バスで降ろされた場所が高速ど真ん中で死にかけた、スペイン離島での話・・・など、サバイバル精神を培ってきた武勇伝(?)は数知れず。
そんな向こう見ずな私の原点には、いつも家族がいます。
今日は、5人(と1匹)家族の中から大抜擢された、ヘラルボニーを知らない父の話と、父に向き合う私の話をさせてください。
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父の死
4月1日、入社式の朝。
仏壇に向かって、今日からヘラルボニーに入社するよ!と父に報告をしました。
今思えば、元々この世にない言葉だった「ヘラルボニー」が社名なのだから、それだけ聞いても父はちんぷんかんぷんだったかもしれないけれど、念願だったそのフレーズを報告できて、大満足の朝でした。
父は、2019年の春に病気で亡くなりました。
闘病生活の末、最期は父の大好きな家で穏やかに、家族のそばで眠りました。
お葬式は、父がどれだけ愛されている人なのかを知った、一生忘れない光景として目に焼き付いています。
参列のために外まで続く行列、声をあげて泣く人、長く手を合わせる人の姿。亡くなってなお、父の新しい側面が見えた気がしました。そんな式を立派に取り仕切った家族を横に、自分でも引くぐらい、脇目も振らずに大泣きしたことも、鮮明に覚えています。
もっと、一緒に生きたかった
その一心でした。
そのあとも悲しさは尾を引きます。
電車に乗るだけで、街を歩くだけで、生きてるだけで、涙がボロボロこぼれ落ちてくる。どうってことのない日常が、何よりも父を思う時間となり、苦しかったのかもしれません。
死ってなんだ?
涙が出るたびに、子どものとき、親に聞いたことのありそうな問いを自問自答しつづけました。今もなお、向き合っている問いです。
死ぬ / 生きるってなんだ?
家族ってなに?
・・・自分ってなに?
時間を動かしたのは、ヘラルボニー
父が亡くなって1年が経った2020年の世界は、マスクをつけることが日常になりました。
社会は目まぐるしく変化していくけど、
私はまだ、父の死と向き合うことができていない。
父はもう歳をとらないけど、
私はまた1つ、歳を重ねようとしている。
先に進むことは、
父を過去として置いていく感覚でした。
先に進むことで、
父を忘れていってしまう気がしました。
それが何よりも怖かった。
止まるはずのない時間を、心の中で少しでも止めるために、大学の休学を選択しました。
そうは言っても、コロナ禍で外に出るわけにもいかないため、全力で暇を謳歌していました。本を読んだり家の中でゴロゴロしたり、ちょっとの後ろめたさもあったり。
このままでいいのかなあ〜
ぼんやりと携帯で、Webメディアを流し見していたときのこと。
めっちゃ似てる
瓜二つ、というかほぼ一緒の顔が並んだ記事に目が止まりました。(ジョインしてみて思ったこと:この記事が異常に似て見えた説・・!)
福祉実験ユニット ヘラルボニー?
初めて口にしたその言葉に、心が動きました。
読み進めていくと、ヘラルボニーは、知的障害のイメージを変えることに挑戦している株式会社であることが分かりました。
福祉にも、アートにも、何なら知的障害のある人とほとんど関わったことないけど
この心のときめきは何!!!
その日の夜は、興奮冷めやらぬ、
掲載されている過去のメディア記事・noteの記事をすべて読んだ挙句、アドレナリンが止まらず眠れませんでした。
飛び込んでみよう
次の日、すべての好奇心を詰め込んで、問い合わせをしました。
(もしかして残ってる・・?と思い、Slackでエゴサーチしたら見つけました。余裕のない前のめりな文章がとても恥ずかしいので、あえて記念に。)
未来を描くということは、同時に、亡くなった父を忘れていく行為なんじゃないか。
その恐怖心で必死に止めていた心の時間は、ヘラルボニーに向けて書いた1通のメールから、また動き始めました。
戦闘力のない私の、マイルール
「ご兄妹に障害のある方がいらっしゃるんですか?」「福祉とか、芸術系の大学を出られたんですか?」
ヘラルボニーで働いていると、なぜここにいるのか、ご質問をいただくことがあります。
直感、一択。
全然、大それた理由じゃありません。
ただただ、ヘラルボニーに出会ったときに覚えた、言葉にできない自分の感情を追いかけつづけています。
人生で感じたことのない、
心が大きく揺れ動いた、あの感情。
強烈な異彩を前に、
言葉を失うほど高揚する、あの感情。
まったく予定と調和しない
その存在が眩しく見える、あの感情。
先を見ることが何より怖かった当時の私が、
ヘラルボニーの行く先を一緒に見たいという、
強い衝動に駆られた、あの感情。
今も私を突き動かす、
あの感情の正体は何なのでしょう。
これから長く長く乗り続ける船・ヘラルボニー号で、ゆっくりと考えていきたいテーマの一つです。
*
先述の通り、私はあまり目標志向でなく、直感を大事にすることが多いです。
それでも、ひとつだけ決めて取り組んでいることがあります。
今を、最上にすること
先のことも分からない、ビジネス領域も何ひとつ知見のない、子鹿状態の自分だからできることってなんだろう。ヘラルボニーで走りながらずっと考えてきて、自分にできるかも!と、現時点で思っていることです。
今この瞬間、ヘラルボニーとして必要なものを拾い、いいエネルギーとして放っていきたい。
それなら、どんな小さなことでもやってみたい。
そう思うようになりました。
誰かの小さな行動に、ありったけの感謝を。
変化にあふれる毎日だからこそ、むしろ楽しんでいく心を。
ヘラルボニーを通して、
それを体現していく人でありたいと、強く、思っています。
最後に|ヘラルボニーを知らない父へ
お父さん、
ついに、ヘラルボニーに入社しました!
これから先のこと、楽しみな気持ちでいっぱいです。
正直、この先を楽しみにするということは、
お父さんを忘れていくことなんじゃないかと思っていました。
でも、お父さんの存在は、亡くなっても過去になるわけではなくて、いつだって一緒に並走できる、向き合うことができると、今は思っています。
お父さんの死を通して、見える世界は変わってしまいました。
そんな時、ヘラルボニーに出会いました。
ヘラルボニーに出会ってから、前より自分のことが好きになりました。
ヘラルボニーがこれからつくる景色と一緒に、
私は、もっと、自分の人生が好きになりそうです。
どうか、お楽しみに。
写真を撮るとき、なぜかその年の抱負を叫んだ、家族旅行(2018)の様子を添えて。
浅川里菜