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自信のない日々よ、これからもよろしく。
はじめまして。
吹田 奈穂子(すいた なほこ)と申します。
2022年2月にヘラルボニーへ入社し、ライセンス部門でディレクターをしています。同い年の夫、猫の睦(むつ)といっしょに住んでいて、寝ることと白米が大好きです。
「社会課題」「障害」といった分野に触れる勇気すらなかったわたしのストーリーは、決してドラマチックとは言えません。ヘラルボニーに入社してから2か月ちょっと、そのなかでも様々な気づきがあり、少しずつ少しずつ、書いては消した長めの自己紹介。
気軽に読んでいただけたらうれしいです。
子どもの頃はどんな子だったのですか?
2021年12月1日。
パフェを食べながら、崇弥さんと文登さんから聞かれました。
「たぶん、良い子だったと思います。」
長女として神奈川県川崎市に生まれたわたしは、仲良しで教育熱心な両親のもと、習い事をしたいと言ったら何でもやらせてもらえるような、とても恵まれた環境で子ども時代を過ごしました。
物心ついた頃には、結果を出せば褒めてもらえることに味をしめており、トントンと、何事も卒なく要領良くこなしていきました。
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「文武両道、成績優秀だね」
両親、友人、先生はそう言ってくれました。
「良い大学に行って、良い企業に就職すれば安心だから」
それが普通だと言われて育ちました。
そして「普通」は、わたしにとってわかりやすい指標だったので、当たり前のように、まるで違う世界のように、照らされている道以外を見ることはしませんでした。
もっと自分に自信を持って!
時はギュンと進み、いま、社会人になって、そうフィードバックいただいたことがあります。一度じゃなく、たくさんあります(笑)
褒めてもらえるように、間違えないように
良くない姿は誰にも見せないように
自己肯定感というキーワードやHSP(Highly Sensitive Person、感受性が高く繊細な性格のある人)についての本や記事も、読み漁りました。
いつも褒めてくれていた両親は、知っていたかな。
無敵だったはずのわたしは、いつからか迷い込んだみたいに「普通」な生き方のなかで、かつ、あなたらしいと言われるような誰かからの眼差しを求めてさまよっていたことを。
わたしには、特技がない。
正確には、わたしには「得意だ」と自信をもって言えるものがない。
以前、コーヒー屋さんのイベントで
「コーヒーを買ったら、バリスタに、お金ではないチップをあげよう」
「そのチップの内容は、自分で自由に決めよう」と言われた。
バリスタには、コーヒーを淹れるという特技がある。
それを享受したわたしも、特技でお返しがしたい。
自分の特技ってなんだ?
その時、いろんな気持ちが入り混じりながら頭を駆け巡った。
好きなこと。あるよね。
HIPHOPを踊る、漫画を読む、ジムに行く、スペイン語を勉強する……。
でも、わたしの好きなことは、モノとして贈れるようなことではなかった。
あと、これらはわたしが好きなことであって、
相手が求めていることではないかもしれなかった。
しかも、これらを「得意だ」と胸を張れない自分がいた。
わたしは、「自分より〇〇が得意な人」をたくさん知っている。
HIPHOPを踊るのも、自分より何倍も努力して、認められている人を知っている。
漫画を読むのも、流行に限らずおもしろい漫画を見つけてはシェアしている人を知っている。
ジムに行くのも、同じ女性でも70kgをスクワットで上げている人を知っている。
スペイン語を勉強するのも、毎週Meet Upに行ってネイティブの人と話している人を知っている。
知っていると、なぜか、
「いや、それを知りたかったら、
自分ではなくこの人から教えてもらってください」
と言いたくなってしまう。
逃げたくなってしまう。
完璧でいようとすればするほど
話は変わりますが、15歳のときからHIPHOPダンスをしています。
最初は、たくさんの習い事のひとつとして持ち前の要領の良さを発揮し、様々なステップを習得していきました。
ただ、これまでの習い事とは少し異なることがありました。
上手に踊るだけでは、必ずしも誰かの心を掴むことはできずその人らしい世界観や、唯一無二のこだわりが表現となるように感じました。
そのうち例のごとく、完璧主義な自分が姿を現します。
できない自分を変えないといけない
足りない自分を埋めないといけない
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踊るたびに、無力で無個性な自分と向き合わなければいけなくて日常の自分と重なるように、踊ることは苦しいものになっていました。
その時その瞬間の、ほんとうの自分
20歳のとき出会った恩師に背中を押され、仲間にも支えてもらい、模索しながらわたしのスタイルは少しずつ、でも確かに変わりました。
見せるものや評価を得るものとしてではなく、いま在る自分を解釈し、その時その場所にいるみんなを感じるものとして。
それは、社会のなかで、人と人のなかで息をしようともがくようで、でも不思議と前向きな、あたたかい瞬間になりました。
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https://www.instagram.com/tv/CIYFHVsg390/?igshid=YmMyMTA2M2Y=
ダンスを通して、
解釈は人によって、またその時その瞬間によって違うということを
わたしはわたしの解釈を信じていいのだということを
わたしの中からしか生まれない表現もあるということを知りました。
出会いに支えられ、拡張されていく
『持続可能な資本主義(新井和宏著)』という本に書かれている企業がもつ8種類のステークホルダーとされるものに、下記があります。
経営者・国・社会・地域・顧客・株主・取引先相手・従業員
ライセンス部門のマネージャーである新井さんに初めてお会いしたとき、このなかで強いて言えばどれが一番大事?と訊かれ、「従業員」と答えたことを鮮明に覚えています。
外資系IT企業でのエンジニア職を経て、目の前のお客様を感動させられる仕事がしたくて転職したカフェ。
マネージャーとして仕事をするなかで一番心に残っていることは、一緒に働くスタッフのことを考える時間でした。
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無力だと思っていたわたしは、かけがえのない個性をもつ彼らの存在にエネルギーをもらい、いつからか、気づけば、強く地面を踏んで立てるようになっていました。
迷いながらも、自信がないからこそ、
一層輝いてみえる誰かのいいところがあり、
迷いながらも、自信がないからこそ、一度立ち止まり疑える主張があり
自信がないということは、
わたしにとって真実はひとつではないということでした。
いま、ここで、決意表明をしよう
前職にいた2021年9月ごろ
うつ病の症状がでて勤務が難しくなり退職した、大好きな仲間がいました。
仲間といいながら、わたしはまったく力になれなくて
心配するような素振りで接した態度は、むしろ無責任に責めて追い込むようなものではなかったか?
彼女は何度も
「働きたい」「みんなとお店に立ちたい」
とメッセージをくれました。
それを実現できなかったのは、その環境をつくった自分でした。
許せない自分をじりじりと燃やしながら、これまで出会い、そしてこれから出会う多彩な魅力をもった人たちによって、自分が拡張されていく瞬間を感じながら
わたしは、未来を想像する。
ありのままの姿を肯定することは
わたしのわがままであり、贖罪であり、希望です。
自信はないままでいい。
踊るように、さまざまな世界を想像して生きよう。
変われなくてもいい。
いつか、どこかで蒔いた種と巡り合おう。
そして、ヘラルボニーと、ここにいる仲間たちと
未来の想像を、創造へと変えていこう。
きっと異彩はひとりひとりのなかにある。
ぜんぶ、つながっている。
だから、ヘラルボニーにいる。
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吹田 奈穂子